07:見世物小屋(下)

「そろそろ夕飯にしよう」


 お兄さんは見事な人間ピラミッドにほんのり涙しながらそう言った。


 ぱんぱんと手を鳴らすと、右手の扉の奥からキッチンカートに乗って料理が運ばれてきた。わたしのためにあらかじめ用意してくれていたようだ。そして料理を運んできた少女の風貌が、これまた変わっていた。頭には毛髪が一本たりともなく、目が見えないのか、常に瞼を下ろしていた。


「当劇団の優秀なシェフさ。人呼んで盲目電球少女。自分の頭がどれだけ輝いているかなんて彼女は生涯知るよしもない。皮肉なもんさ」


 テーブルに三人分、一皿ずつ料理が置かれる。隣で歯抜けが、わあ、と感嘆の声をあげる。

 盲目電球少女は粛々とした態度で「帆立貝の二色ワイン風味のヴィネグレットソース仕立てと和風季節の盲目仕様サラダでございます」と述べる。ある意味、歯抜けの台詞より頭に入ってこなかった。


「こと料理に関して、彼女はすべてを超越しているのさ」


 お兄さんはフォークを器用に扱い、サラダを口にした。


「料理人として彼女は辛い試練をいくつも乗り越えてきた。その上で毛髪と視力は無用と――いや、むしろ不要なものだと断じたんだ。とある大会を準優勝で終え、涙を飲んだその夜、彼女は我々に頼みこんできた。私の髪を抜き、視力を奪ってくれと。その二つが己の味覚を研ぎ澄ますのに、大きな障害になると悟ったのさ」


 納得しかけるわたしだったけど、いやいや、視力はともかくなんで髪の毛まで。


「なんへゆう、ちゅおいおんなのほへしょう」


 歯抜けが感動する横で、わたしはナントカ前菜サラダをもくもくと頬張った。その味は、わたしにはよく理解できなかった。


 お客を退屈させないためなのか、食事の幕間にも軽い芸が行われた。

 芸とはいっても、全身に謎の穴が空いた少女が謎の汁を出し続けながら「じゅる、うじゅる」と呟くだけという、全く意味不明なものだった。しかもどこからこんなに謎の汁が出るのかってくらいの量で、しかもなんとなく汚いし、一体こりゃなんの嫌がらせかと思った。

 食後のシャーベットを食べ終えると、お兄さんはパフォーマンスの続きを見せてあげると言った。正直、もううんざりしていた。


「あの、その前にちょっとお手洗い行っていいですか?」


 わたしは歯抜けの手を掴み「案内してよ」と少し強めに言う。彼女とともにリビングを出て廊下の角を曲がる。トイレはもう目の前にあったが、わたしは振り返り、歯抜けの両肩を掴んだ。


「あおいちゃん。さっきも言ったけど、早くこの家から出るべきだよ」


 歯抜けは首をかしげた。


「だはら、なに言っへんでしゅか?」

「だって、あのお兄さん絶対おかしいよ。へんたいだよ。あなたたちのこと面白がってるし、あなたたちを笑いものにして、お金を稼ごうってんだよ」


 まあわたしは三百円しか要求されてないけど。


「しかも急におちんちん出して、変なことし出すんだよ。なんて言えばいいか分かんないけど、ふつうじゃないよ。悪いやつだよ。あなたたちのこと、ちゃんと人として見てないから、あんなことができるんだよ」


 歯抜けは無垢な瞳でわたしを見据えた。ふぅと息を吐き、わたしの手をどけた。


「兄ひゃんは、しょんなひとじゃないでしゅ」


 兄ひゃん、という言い方が嘘っぽくなくて、ああそうかと思った。よく見れば顔つきが似ている気がするし、たぶん歯抜けはあの人の妹なんだ。

 歯抜けは、つたない、というかやたら聞き取り辛いしゃべり方で兄について語り始めた。わたしは必死でそれを頭の中で通訳した。


 お兄さんは過去、変人として酷いいじめに遭っていたらしい。

 どうがどう変なのかは彼の感じからしてお察しなんだけど、学生時代はより顕著だったという。あの変態的な感性を隠しもせず暮らそうってんだから、そりゃいじめられる。

 本人も少しずつそれを自覚していき、自ら周りと距離を置くようになった。おとなしくしていることでいじめの回数は減ったけど、遠い場所から周囲の人々を眺めることによってある感情が生まれてきた。

 歯抜けは言う。兄さんは、五体満足で平気な顔して、偏った画一的な価値観で生きている人間が許せないんだって。そういう奴らと暮らすのも反吐が出るのだと。大学の連中ともうまく溶け込めず中退してしまったし、バイトを始めたって、まともな身体とまともな思考の奴らばかりで気分が悪くなり、やがては辞めてしまった。あいつらの偏見に満ちた気色の悪い団結感、集団意識が理解できず、またうらやましくもあった。自分は世界でひとりぼっちなのかもしれないと、毎晩のように孤独に打ちひしがれ枕を濡らした。

 そこで、彼はある本と出会う。世界中の奇形の人間を集め、彼らの半生をまとめたものだった。彼らは口をそろえて言う。辛いのは不便な身体でなく、社会から向けられる奇異な眼差しだと。

「俺は、本質的に彼らと同じだったんだ」ある日彼は妹に向かってそう言った。その手には木製バットが握られていた。妹は首を振った。理解できないよ、と。

 次の瞬間、彼の手によって、妹の歯はほとんど叩き折られてしまった。


「あおいにだっへ、せはいでたったひほりの兄しゃんでひゅ」


 歯抜けは悲しげな表情で自分の腕をそっと抱いた。単なるおばか娘かと思いきや、その顔には多少の知性が見てとれた。この子ならまだ立ち直れると、わたしはそのとき確信した。


「でも、あなたは他の娘たちとは違うでしょ」


「なにがちがうんでしゅか」


「だって……」自分で言い出したくせに照れ臭い。「だってあなた、かなり可愛い顔してるよ」


 でも、言ってしまえば楽なもんだった。そうだ、歯抜けはここに居る他の女の子とは違う。


「歯がないだけじゃん。口閉じてたら、フツーに可愛いよ? それだけで他の変な娘たちと一緒くたにされるのって、あんまりだよ。そうだ、頑張ってお金をためて、歯医者に行って歯を治してもらおうよっ」


 歯抜けの反応は、あんまりよくなかった。目に光がない。わたしは必死だった。


「ずっと裸でいるのだって意味不明だよ。てか寒くないの? 兄さんとか劇団員が変だからって、きみまで変でいる必要はないんだよ。歯を治して、可愛いお洋服着て、そんで、お互い大きくなったら原宿にパンケーキでも食べに行こうよ。わたしが一緒に行ってあげる。ほら、わたしたち、ふつうの女の子同士――」


「おい」


 とつぜん、背後から肩を掴まれる。全身に電気が走ったみたいにわたしは飛び上がる。振り返るとお兄さんはもう、拳を振りあげていた。般若のような顔して。


「人は見た目じゃなあああああ」


 い、というところでパンチが飛んできた。思ったより遅いパンチだったので、ちょっと仰け反るだけで避けられた。でも、後頭部が壁にぶつかって涙目になった。


「なんだか怪しいと思ってたけど、きみも女の子だったのか」


 お兄さんは肩で息をしてわたしを睨みつけた。運動不足なのかもしれない。


「俺はね、普通の人間、とくに普通の女の子が大っ嫌いなんだ。黄色い声でぎゃあぎゃあと喚き、徒党を組み、路上でオーシャンズ11のパッケージみたいに横いっぱいに広がり、誰かの意見に同調し、俺のようなのを見るたびに下品に笑い猿のように手を叩く。迷惑ったらありゃしない。気持ちが悪い。不気味ったらねえ。どっちの頭がおかしいんだ? お前らだろ。お前らだろうが!」


 後ろに飛び跳ねてパンチから逃げる。へろへろな動きだから簡単だったけど、その怒り方に危機感を感じた。


「お前も俺を馬鹿にするのかっ。俺を、俺たちをっ」


 気づけば、廊下に奇形少女が集結していた。全員、わたしに敵意の目を向けていた。この前国語で習った言葉が頭に浮かぶ。

 四面楚歌。


 お兄さんは空中に拳を振りながら、泣き出していた。下半身はいまだに丸出しになっていた。笑えばいいのか哀れめばいいのか迷う。やがて疲れ果てたのか、膝を崩し、お兄さんは奇形少女たちに支えられるようにして倒れた。


「俺たちを、ばかに、するなっ」


 わたしはため息を吐いた。これ以上この人たちと関わっていたら、こっちまで変になっちゃう。


「もう行こう、あおいちゃん……」


 ドン、という音が響いた。一瞬地震かと思った。ぽた、ぽた、と自分の額から血が垂れているのに気づき、悲鳴をあげる。

 見ると歯抜けが、わたしの血がついた肉たたき棒を振りあげていた。


「おまへも、おなひきもちゅを、あじわえっ」


 一発、二発、三発と、頭の同じ場所も何回も殴られる。


「おまへのあたまなんは、へっほんしゃえばいいんでしゅっ」


「お前の頭なんかヘコんじゃえばいいって言ってるんだよ」


 疲れ果てながらもお兄さんが健気に解説を入れる。いや、べつに聞こえなかったわけじゃなくて。痛すぎて何の反応もできないだけで。

 えいっえいっ、という歯抜けの声が、だんだん遠くなっていく。がしゃがしゃと変形していく頭蓋骨の音がうるさい。視界がおぼろげになってくると、そのままわたしは意識を失った。


 ◆◇◆


 二年後。いくつものスポットライトを浴び、わたしたちは無数の拍手を全身に受けていた。


「登場していただきましょう。奇形ガールズです!」


 舞台上から観客たちに手を振る。横一列に並べられたわたしたちは、思い思いの衣装を身につけ、初の大舞台に胸を高鳴らせていた。

 薄暗闇の中、自分の愛称が書かれた応援旗を見つけ、ちょっと誇らしくなる。『おしり頭娘』。いまとなっては、お気に入りのニックネームだ。

 お兄さんが舞台中央にやってくる。彼を中心にわたしたち劇団員は手をつなぎ、深く一礼した。もう一度、盛大な拍手の波を浴びる。


「ファンを増やすチャンスだ。絶対成功させるぞ」


 舞台裏で発したお兄さんの言葉に、わたしたちはうなずく。


「おしりしゃん、がんばるのは、これからでしゅよ」


 歯抜けと握手をかわしながら、ふと考える。だけど浮かんできたそれは酷く正常な疑問で、あるいは普通の人間としての考え方だった。今はもう違うんだと、へっこんだ頭を左右に振る。


 わたしにはもう、何が普通なのか分からない。というか、そんな概念も忘れてしまった。自分たちが笑われているのか、崇められているのか、蔑まれているのか……そもそも、ちゃんと人として見られているのか。

 それすらも、考える必要はない。

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