06:見世物小屋(上)
わたしは小学生の当時、髪が短かった。顔つきも男の子っぽかったし、しょっちゅう性別を間違われたものだ。だけど今はそれをある意味幸運だったと思うし、また不運だったとも思う。
ある日、友だちの家へ行くときのことだった。道すがら一人、チューペットをかじっていると、突然、とんでもなく綺麗な顔をしたお兄さんに声をかけられた。「ねえボク、三百円持ってる?」という風に。
「お兄さんに三百円くれるなら、面白いものを見せてあげるよ」
わたしは少し考え、笑顔で頷いた。お兄さんの見た目が格好良かったのもあるし、はなっからお金を要求してくるあたり目的がはっきりしていて、そこまで悪い人という感じがしなかった。
「オーケー。きみがちゃんと楽しめたら、後払いでいただくよ」
お兄さんの自転車の荷台にまたがり、数分ほどじっとしていると、とあるマンションに到着した。一番上を見上げると首が痛んじゃうほどの高いマンションで、セキュリティも暗証番号と借主の指紋認証を必要とした万全なものだった。最上階から数えた方が早い階まで一気にエレベーターで上がると、高級ホテル顔負けの豪奢な柄の絨毯と廊下が現れた。
果たして、わたしみたいな小汚い娘が足を踏み入れていいものだろうかと危惧したが、お兄さんは手のひらを伸べてわたしをエスコートしてくれた。
キーカードをスライドしてドアを開く。大の大人三人が準備運動できそうなほど広い玄関が待ち受ける。
そんな開けた空間で、わたしと同い年くらいの女の子が土下座をして待っていた。信じられない光景に思わず目をこする。土下座と思っていたそれは、よく見ると旅館の仲居さんがするような座礼だった。ただ、少女が一糸まとわぬ裸の姿だったから、反射的に土下座に見えてしまっただけで。
「おふぁえりなしゃいまへ」
たぶん、おかえりなさいませ、と言ったんだと思う。面をあげた少女には歯が四、五本しかなかった。歯さえあれば美少女であろうという顔立ちだったので、いっそう痛々しく見える。
「ほんひつ、ご案内をはんとうひはいはふ、あおいともうひましゅ」
お兄さんは、ドン引きするわたしににこりと笑いかけた。
「彼女には歯がほとんどないだろう? だから俺が『あおい』と名付けてあげたんだ」
「どういうことですか?」
「歯がなくたって、あおいなら発音できるからね。せめて自分の名前くらいは名乗れないと、皆さまに失礼だろ」
わたしが聞きたいのはそういうことじゃなかった。俺が名付けた、の意味が分からなかったのだ。まさかあの子の親じゃあるまい。彼の見た目の若さからするとせいぜい十九かそこらだろうし、こんな小学校高学年くらいの大きな娘さんがいるとは考えにくかった。いささか見当違いな疑問なのはわかってるけど。
こちらでしゅ、と少女に案内され、わたしたちはリビングに通された。
ひどく殺風景な部屋だった。手前側にテーブルと、イスが三脚並んで用意されており、左右に木製の引き戸が一つずつ、それから部屋の隅にクローゼットが設置されている。本当にそれ以外何もない。まるで面接室みたいな作りだ。
わたしは促されるように真ん中のイスに収まった。右のイスにお兄さんが座る。少女(歯抜けと呼ぼう)は右側のドアへと歩いていく。それから、ふと思いだしたようにこちらを振り返る。
「おひゃと、こーふぃーと、おれんひじゅーひゅがありまふが」
「はい?」本気でなんと言われたのか分からなかった。
「お茶とコーヒーとオレンジジュース、どれがいいのかってさ」
お兄さんが通訳してくれる。その顔は笑いをこらえているように見えた。わたしはごくりと喉を鳴らす。
「じゃあ、オレンジジュースで……」
「はひほまりまひた」
ぶはっ、とお兄さんが吹き出した。わたしはとても笑う気分にはなれなくて、じっと手元に目を落として黙っていた。
しばらくして、歯抜けの手によってオレンジジュースが三つ運ばれてくる。お盆には美味しそうなクッキーの皿も乗っていた。歯抜けは左のイスに座り、真っ先にクッキーに手を伸ばした。お兄さんがその手をはたく。
「食べていいけど、まずはお客さんが先だろ」
そう彼が叱りつけると、歯抜けは、てへへ、と可愛らしく笑った。そのとき少ない歯の間からピーという音がして、お兄さんがフフッと笑った。完全に、バカにした笑いだった。
「これから、なにが始まるんですか?」
「ボク、質問は案内役にしな。そのための彼女なんだから」
「すみません」わたしは歯抜けに顔を向ける。「何が始まるの?」
「みへものほやでひゅ」
「はい?」
「みしぇものほやでしゅ」
「あの……」
「みーしぇーもーのーぐぉーやぁぁー!」
お兄さんが爆笑した。わたしもようやく言いたいことが『見世物小屋』だと分かったので、今にも怒り出しそうな歯抜けを両の手でなだめた。
オレンジジュースをすすり、お兄さんは大きく、手を二度鳴らした。その動作は、お偉いさんが踊り子を呼びつける動きに似ていた。
そこで、左手のドアがけたたましい音を立てて開いた。何事かと見ると、その暗い空間の奥からバッと何かが飛び出した。それは全身茶色の体毛に覆われた、野生児のような少女だった。
「ケモノ娘だよ」
お兄さんは腕組みしてポツリとつぶやく。案内役が紹介するんじゃないのかと思ったが言わなかった。ケモノ娘の耳鳴りじみた呻き声によって圧倒されていたのだ。彼女には全身の毛だけではなく、頭頂部に立派な二つの獣耳があり、なるほど、まさにケモノ娘だと思った。四つ足でうろうろとリビングを徘徊し、ときおり、わたしたちに向かって威嚇するように犬歯を剥き出しにした。
そっと、歯抜けがイスから立ち上がる。その手には、いつの間に用意したのか、高級そうなロースハムが握られていた。
「ほぉ、ほぉ」どおどお、と言いたいらしい。
ケモノ娘の動きがぴたりと止まった。鼻をひくひくと動かし、歯抜けに近づいていく。警戒するように歩み寄り、次の瞬間、ケモノは恐るべきスピードで彼女の手からハムを奪い取った。それは人間の動きじゃなかった。餌へと飛びかかる足捌きも、ハムにかじりつくその仕草も。
歯抜けはチッチッと舌を鳴らしながらケモノ娘へ手を伸ばす。無謀だ、とわたしは思った。あれはとても人になつくようには見えない。「よーひよひよひ」。まして歯抜けはムツゴロウでもなんでもない。
餌に夢中になっていたケモノ娘の耳が、ピンと伸びる。目をカッと開き、歯抜けを視線で殺さんばかりに睨みつける。明らかに歯抜けを敵とみなしているようだった。
ぐぉあぁぁがあぁぁ。
低くうなったかと思うと、ケモノ娘が一気に歯抜けへ飛びかかる。
「ひゃあああっ」
歯抜けは情けない悲鳴をあげ頭を抱える。その頭にケモノの歯が突き刺さろうとする。が、それはすんでのところで止まった。
見ると、身長二メートルはあろうかという女がケモノ娘の首根っこを掴んでいた。女には目が一つしかなかった。左目は空洞で、右目は不自然なくらいぱっちりしている。レスラーも悔し涙を流しそうな屈強な体格をしており、ケモノ娘がいくら四肢を振って暴れても、彼女はぴくりともしなかった。
「でた。一ツ目筋肉少女だ」
「あれ、少女なんですか?」
「ああ見えて彼女は六歳だよ。一ツ目なのはともかく、特筆すべきはあのはち切れんばかりに盛り上がった筋肉山の稜線さ」
ちょっと何言ってるか分からなかったが、お兄さんは真剣な眼差しで彼女の魅力を語っていた。命からがらという感じで、歯抜けが隣に戻ってくる。「ひぬところでひた」と青ざめた顔で言う。
一ツ目娘はケモノの首根っこを掴んだまま、右手のドアを開けた。まるで空き缶でも放るみたいに奥へとケモノをぶん投げる。その後、ギャオンという鳴き声がした。
それから一ツ目が見せたパフォーマンスは、こう言っちゃなんだけど、つまらなかった。延々とボディービルダーのように筋肉を強調したポーズを見せつけるばかりで、特に目を見張るような芸を見せてくれるわけでもない。
わたしはあまり人の肉体に興味があるわけじゃなかったので、暇を持て余すようにクッキーを頬張っていた。お兄さんもあくびを漏らしている。
「一ツ目はそのポテンシャルこそ素晴らしく、当劇団でも一押しの奇形娘なんだが、いかんせん、アピール内容が地味でイカンな」
歯抜けも飽きたらしく、熱心に少ない歯でクッキーをかじっている。やがて一ツ目は我々の反応があまりよろしくないことを察し、肩を落として右ドアの奥へと下がっていった。今度は左のドアから、舞子の姿をした少女が現れた。彼女は腕が人より三本ほど多く、その分、手にする扇子の数も多かった。
彼女の舞を横目にしながら、わたしはお兄さんに聞こえないよう、歯抜けにそっと耳打ちする。
「ねえ、もしかしてこんなのがずっと続く感じ?」
「しょうでしゅ」
わたしは子供なりに言葉を選び、歯抜けに囁いた。
「なんていうか、残酷だね?」
歯抜けは虚空を見上げてうなった。考える合間もクッキーをかじっていた。
「しょうでふか?」にこりと笑う。「あおいは、べふに、ひどいことはしゃれてないでしゅよ」
その言葉に(あまり言葉になっていないが)、わたしはなにも言い返せなかった。いや、明らかに何かがおかしいと感じていたが、まともに反論するには語彙と常識と知恵が足りなかった。わたしは前方へと視線を戻す。そこで、視界の端に移ったものにぎょっとして、思わずイスから立ち上がった。
「な、何してるんですかっ?」
お兄さんが、下半身を丸出しにしてせっせと働いていたのだ。その行為が何を意味しているか当時のわたしには分からなかったけど、とんでもなくいかがわしい行為だってのは、直感で察した。
「男はね、高ぶったらこうしなきゃ、気が済まないんだよ。ボクも男の子なら分かるだろう?」
ああ、そうかと思った。わたしが本気で男の子だと勘違いされていることじゃなく、この男の正体についてだ。
「ほらボクも一緒に、ワンツー、ワンツー」
たぶんこういう人のことを、『へんたい』と呼ぶのだと。わたしは、手拍子で彼を応援している歯抜けの腕をつかんだ。
「逃げよう、あおいちゃん。この人やばいよ」
歯抜けはぽかんとわたしを見上げた。自分が一体何から逃げるのか、まるで意味がわからない、というような表情だった。
今度は頭を三つ持った少女が出てくる。三つの頭はどれも泣き顔だった。三つ頭は、二人の奇形少女に両腕を掴まれ連行されるようにやってきた。彼女らはそれぞれ、シマウマ柄とヒョウ柄の黒い斑点が全身に浮かんでいる。三つ頭の少女は、どうやらこの場に呼び出されるのを嫌がっているようだ。それで少し安堵する。この狂ったショーをおかしいと思う子が、わたし以外にもいたんだなと。
「いや、やめてっ。こんなの無理だよっ」
泣き叫ぶ三つ頭娘を、シマウマ娘とヒョウ娘が「大丈夫、大丈夫だから」と励ます。
「こんなのおかしいよっ、出来ないよぉっ」
三つの顔をくしゃくしゃにする彼女を、わたしは心の中で応援する。そうだ、もっと言ってやれ。もっとぐずって、ショーを台無しにしてやれ。
「大丈夫だってば、ミッちゃん」ヒョウ娘が大袈裟に腕を振る。
「あんなに練習したじゃないミッちゃん」シマウマ娘が胸に手をあて、彼女を激励する。
「でも……」
三つ頭は躊躇うように下を向いた。周囲にピンと緊張が張る。お兄さんも手を止め、はらはらとした様子で見守っていた。
やがて三つ頭は顔をあげ、決心したように大きくうなずく。
「ハイッ!」
一分後、三人が作り上げた中国雑技団さながらの見事な人間ピラミッドに、だめだこいつら、とわたしは思うのだった。
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