水も滴る部屋38p

 水の流れる音と一緒に何かが動いている音がする。

(なに? 何の音?)

 茅野は静かにその音に注意を向ける。


 カタッ

 ガタッ

 ガタッ

 ガタッ……


 脱衣所のドアからその音は漏れていた。

 茅野はドアに嵌められた小さな磨りガラスを穴があきそうになるほどに凝視する。

 しかし、暗がりでそんなことをしても、磨りガラス越しに見える向こう側もやはり、ただのぼやけた暗闇でしか無く、中の様子はまるで分からなかった。

(どうしよう)

 茅野は椅子の上で立ち尽くした。

 茅野はもうブレーカーの事はすっかり忘れていた。

 じっとしているうちに音が静まる事を茅野は少し期待したが、しかし、そうはならなかった。

 音は、鼠がじっくりと餌を食み続けているかの様に部屋の中に響いていた。


 ガタッ

 カタッ

 カタ

 カタ

 カタ

 カタ

 ガタッ……


(何よ、この音? 何なのよ? 私の気のせい?)


 気のせいなのか?


 茅野は、それを確かめる為に、そろりと椅子から降り、ドアの磨りガラスを避けて屈み、脱衣所のドアにゆっくりと耳を当てた。

 茅野の耳には、水の流れる音とガタガタカタカタという音がやはり聞こえた。

(聞こえる。気のせいじゃ無い。中で一体何が起こっているの?)

 茅野は息を呑むと脱衣所のドアノブにそっと手をかけた。

 音を立てない様にドアノブをゆっくりと回す。

 開いたドアの隙間から茅野は中の様子を覗き込む。

 隙間から見る限りでは脱衣所には何の異変もない。ただ、ドアを開けた事で水の流れる音とガタッ、カタッという音がより大きく聞こえる様になった。

 茅野は何かを確かめる様に黙って頷くと身をかがめて脱衣所の中へと入る。

 洗面台があるだけの一畳にも満たない脱衣所。

 茅野が脱ぎ捨てた衣服が床に散らばっている以外は引っ越してきたばかりで流石に整理されている。

 その脱衣所の中にある、木枠に縦の線が引かれた大きな擦りガラスのはめ込まれた浴室のドアを茅野は見つめた。

 水の流れる音とガタッ、カタッという音が浴室のドアからハッキリと漏れていた。

 音の発信源は疑いようもなく浴室だ。

 茅野はゴクリと喉を鳴らす。

 浴室のドアにはめられた擦りガラスは浴室の中の闇しか映していない。

(風呂場の中で何が……) 

 

 水の流れる音が聞こえる。


 茅野は目を強く瞑ってその音を聞く。


 茅野は思う。


 ああ、きっと捻られた風呂の蛇口から水がドクドクと出ているのだろう。

 浴槽から溢れた水が音を立てて流れているのだろう。

 そして、そして……


 カタッ

 カタッ


 この音は……この音は……


(何の音なの?)


 ドンッ!


 急に鳴り出した何かを蹴り上げる様な大きな音に、茅野は悲鳴を上げそうになり口を押さえた。


 ドンッ!

 ドンッ!


 茅野は後ずさり、壁にもたれかかる。

 茅野は激しく呼吸を繰り返した。

 茅野の吐き出す息は寒さで白い。

 呼吸を繰り返すうちに茅野は少しだけ落ち着いた気がした。

(……よし)

 茅野は浴室のドアに近づくと、大きく息を吸い込んで勢いよくドアを開ける。

 その瞬間、茅野の目の前に恐ろしい光景が映った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る