ドリーム・レンジャー

 何にもする事はない。


 いや「やらなきゃいけない事」ってのは山のようにあるんだけど、何にも手を付ける気になれない。

 私の望み。今の私を起こしてくれる物。

 それはたったひとつ、あの子の笑顔。

 でもそれは私が奪い取った。


 毒親。殺人教唆未遂犯。ナルシシズム女。

 どれも間違っていない。


 親権ははぎ取られ、もはやあの子は私の子どもではない。


 パソコンに残っていた「計画書」。本当に完璧な計画だった。その計画に基づき、あの子はあの日まったく私のために暴れた。

 完璧な計画を実行し、五十万円相当の被害と二人の軽傷者を生み出した。


「僕はみんなを守る、僕はみんなを守る……」


 取り押さえられてなお、あの子は戦いをやめようとしなかった。まったく私の言いつけを守った。

 もしあの時包丁を、とか言うのはこの子の完璧な計画の前では無駄だったんだろう、グッズを切り裂くための包丁を調達する時間まで計算されていた。


「マイ・マ・サヨシ」


 耳に入れたくもなかった名前が、息子のあだ名になっていた。事件前からそう言われていたようだが、事件後は完全に定着してしまった。

 完全に私のせいだった。


 夫や隣人たちの慈悲を甘やかしのひとことで踏みにじり続け、100点満点を追い続けさせられた小学五年生がなしたこの事件は、ひと月経った今もまだ新聞雑誌テレビネットを騒がせている。



「あんた、まさかと思うけどどれほどのもんか見ずに判断してたんじゃないでしょうね」


 離婚直前、義母であった女性からそう言われてもなお私は罪深さを感じられなかった。その質問に対し首を縦に振って大バカ呼ばわりされてなお、まだ意味が分からなかった。


「あの子はあんたのせいでひとりぼっちになってたんだよ。それであげくあんたがエリート意識を植え付けちまったもんで頭でっかちになっちまってさ、まだ逮捕されないような年齢でほんと良かったよ」

「まさかお義母さん」

「私をいくつだと思ってるんだい!まだ五十五歳だよ、うちの弟は四十代だよ」


 若くてきれいな義母、憧れの女性だった義母がそんな物に触れていたとは思いも寄らなかったと言わんばかりの表情を私が作ると、義母は一枚のDVDをプレイヤーに突っ込んだ。


「この五人は、あんたにとっては悪の手先かい?」

「まさか、と言うかなぜ」

「事件を聞いて撮ったんだよ、それで正直どう思う」

「つまんないですね、陳腐で乱暴で、それでいて無駄に話が重くって。ああこれ何なんですか、朝っぱらからドロドロの恋愛なんか」

「悪い奴がそこに付け込んで、なんて王道パターンじゃないかい。ほら見ろ、ここを敵の怪人が利用してさ、ほらここで赤いのがビシッと決めてさ」

「だから危ないんです」

 ケチを付けようとしている人間を目の前にして、この五十代半ばの女性は目を輝かせていた。その姿に恐怖心が巻き起こり、そして自分のやった事は正しいと言う確信を抱いた。


「あんた包丁なんかよく持てるね、煮物なんかよくできるわね」

「すると何ですか、子どもの安全を守るのがそんなに悪いんですか」

「俺は正しい、お前は悪だ、俺を殺そうとするお前は悪だ。そう言い残して死んだ怪人もいたのよ」


 それがあの「マイ・マ・サヨシ」だと言う。

 あの子は私の言いつけを守り、自分たちを堕落させる「悪」であるとした彼らを排除しようとした。

 まったく、悪意のないまっすぐなやり方で。おそらくは学校の中でも散々そう言って阻止しようとして来たのだろう、正義のために。


 その姿は、まぎれもなくヒーローだった。

 私のために戦う、ヒーローだった。そのヒーローは、私を守ろうとした。

 一かけらの悪意もなく。




 私はこうして全てを、自らが育てた者のために失う事になった。

 その事に気づいた私は、そのヒーロー気取りに殺された登場人物の家族のように泣いた。

 泣いて泣いて、何もかも空っぽになってしまった。

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