第九話

 ジャックが軍人になってから、一年が過ぎた頃。ジャックの階級は上がりに上がり、軍曹にまで上り詰めていた。


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 「アースボルド軍曹、お時間です」

 「ん、あぁ...。新兵の訓練を確認するんだったっけか? ダルい...着替えてからアルを呼んでくる。どっかで待ってろ」

 「ハッ!」

 ジャックの部下が敬礼をして下がる。遠ざかる足音を聞き、未だに寝惚けているジャックは朦朧とする意識の中なんとかベッドから起き上がる。

 「クゥァ...寝みぃ...」

 伸びをしながらハンガーに掛けられている自身の将校用のロングコートタイプの軍服に袖を通す。新兵の前だからと、普段は被る事の無い軍帽も被った。

 姿鏡の前で身嗜みを整えて自室の外へ出るとアルも同じデザインの軍服に袖を通し、腕を組んで待っていた。

 「おせぇよ。新兵への恫喝が終わっちまうぞ!」

 「終わんねぇよ、まだ10分前だ。開始前から恫喝してたら疲れる。俺らだって訓練あんだから」

 アルはジャックを急かすも、ジャックは落ち着いている。いや、面倒なだけかもしれない。ジャックは軍曹になる前から新兵の様子を伺うのが好きではなかった。

 「俺は俺の事で手一杯だから、嫌なんだよ」

 ジャックはポケットに手を突っ込んで悪態を付く。

 「嘘言うなよ。お前、新兵の間で鬼教官より鬼って恐れられてんぞ」

 「はぁ? なんで?」

 ジャックは馬鹿言うんじゃないと言いたげな顔でアルに問う。

 「鬼教官は怒鳴るだけだから堪えられる。けど、お前の場合は陰湿にネチネチ言ってるだろ? それが意外と...って事らしい。女は女でお前の容姿に惚れて来てたみたいだったが...絶望しただろうな」

 アルが笑いながらジャックを覗き込む。

 「うっさい。てかなんでそんなに新兵の事を知ってんだよ...」

 「聞いたんだよ、今回の新兵はごますりが得意でな」

 「そうかい...」

 「心ここに在らずって感じだな。なんか考え事か?」

 アルの問いにジャックは軽く頷く。

 「まぁ、な。一年前、研究所で出会った女の子はどうしてるのかなと思ってさ」

 そう言って窓から空を見上げる。アルはジャックに対し、普段通りに言葉を返す。

 「その子はその子なりに生きてくだろうぜ。親父さんがあれなら尚更だ、俺らとは違うんだ。俺らみたいに親を殺した訳でも殺された訳でもない。最悪、女なんだから娼婦になるなりで生きていけるだろ」

 アルの冷たい言葉は正しい。ジャックはその言葉を認められず、声を荒げる。

 「それが! それが、あの子に対する言葉なのか?! 確かに生きていけるさ、体を売って金に出来るんだからな。けど、それで幸せって言えるのかよ! 俺が言いたいのはそんなことじゃねぇ! もっと単純な、彼女が幸せに暮らせるのかって話だ!」

 「勘違いしてるぞ、ジャック。お前はいつから他人の幸せを心配出来る様な身分になったよ、えぇ? 人殺しになった時点で、俺らに人並みの幸せを求める資格も、他人の幸せを心配出来る資格は持ち合わせちゃいねぇぞ。お前はもう少し大人になれ。青臭い勘違いした正義感だけで生き残れない事はお前が言ってた事だぞ」

 アルの言葉にジャックは黙り苦い顔をする。

 「...それでも...。それでも、俺は引き摺っていく。引き摺りすぎて軽くなるまで引き摺っていくさ」

 「青いねぇ...。ま、良いんじゃねぇの? 引き摺っていけば、俺には関係ないけどな。さて、新兵を扱きに行きますか」

 アルの楽しそうな顔を見てジャックは呆れた様に肩を竦め、アルの横を歩いた。

 

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 「....アースボルド軍曹、調子はどうかね?」

 「少将殿...、良いとは言えません。私は彼の様に世渡り上手ではありませんから」

 新兵とアルの様子をジャックは木にもたれ掛かり、遠目から見ていた。そこに老年の優しそうな男性がやって来て、ジャックに声を掛ける。ジャックは木漏れ日に目を細め、老年の男性を見上げた。

 「私も段々と衰えを感じているのだよ、アースボルド軍曹。君と彼...オーグナイス軍曹か。君達は異例の速さで階級を上げた。もしかしたら...六年後位には、私を追い抜くかもしれんな」

 少将の言葉にジャックは言葉に詰まる。返す言葉が見つからず、沈黙するばかりだ。その沈黙を破ったのは少将の言葉。

 「怖いのかね? 彼が君を越える事が。自分より先に戦死する事が」

 「その時が来れば、事実として受け止めるしか無いかと...」

 ジャックは嘘を付いた。アルは自分より世渡り上手であることを認めている。

 その能力があれば上手く取り入り、昇格する事も不可能ではない。そして階級が上がれば上がる程、戦場へも指揮官として送られる。

 それは戦死の確率が上がる事に直結する。

 「...昔、君と同じ事を言った兵士が居た。名はフロイド・ヴァン・クロスフォード。軍神と恐れられた元総司令官だ。彼は私の同期だった...」

 名前を聞いたジャックは一瞬だけ、顔をしかめた。その名前は自分の父親で、自分が殺した人間なのだから。

 ジャックは少将の話を遮って質問を投げ掛ける。

 「そのフロイド総司令官と少将が同期ならば少将はもっと上の階級の筈では?」

 少将はジャックの質問に柔らかな言葉で答える。

 「そうだな。確かに本来ならば私の階級は大将辺りになっていても間違いじゃない。だが、私は自らの意思で少将に留まっている」

 ジャックは少将の言葉に疑問しか抱けない。否定的な意見も肯定的な意見も持てず、只疑問しか抱けない。

 「なぜですか? 階級が高ければ高いほど待遇が良くなる筈...」

 「なぜか? 私は逃げてしまったからだよ。彼が求め続け、焦がれた戦場から...。

 当たり前だと皆は言う。無謀な作戦だった、だから逃げ出したとしても無理はないと。本来なら非難し罵倒する筈の彼は、それでも私を許したんだ。彼は頭を下げ、謝罪までした...。

 なのに私は彼に何一つ言えずその場から逃げ出す様に兵科を移った。

 ...結局、彼の葬儀にも顔を出せず、墓にも出向いてやれない。そんな私が大将等と言える訳も無かろう。

 だから当時の階級から動いていないのだよ」

 「....だから俺の心情も分かるって事ですか...?」

 少将は先と変わらぬ口調で淡々と話す。

 「分かるとは言わんよ、分かると言ってしまったらそれは同情だ。私は同情などしないさ。

 君が本心を隠し、偽り、騙すのならばそれで良い。けれど、それはいずれ君を苦しめ、取り返しの付かない事態を招く。

 悔いを残さぬ様にする事と自分の選択を誇りに思える様にする事だ。

 アースボルド...いや、ジャック・クロスフォード君?」

 「いつから気付いてました? バレない様に努めてきたつもりですが...」

 「君はフロイドに目がそっくりだ。それに君の母...ナタリアと瓜二つと言える程に似ている。その透き通る銀髪もナタリア譲りだ。

 それで別人だと言う方が難しいがね」

 「...この事を誰かに言いますか? 俺がクロスフォード家の人間だと」

 少将は笑いながら答える。ジャックはその間、冷や汗を流して待つしか出来なかった。

 「アハハハ!! 私が言うとでも? 言いやしないよ。仮に言ったとして誰が信じるというのだ、クロスフォード家の現当主が名を偽って軍人をやっていると。もし信じる人がいるなら君は今すぐスピード昇格間違いなしだがね」

 ジャックはその言葉に苦笑いしながら返す。

 「俺はゆっくりやっていきますよ。クロスフォード家の現当主は名前だけで出世したとか言われたく無いので」

 「そうか...。話しすぎたな、たまには酒でも飲もう。アースボルド軍曹」

 「ハッ!」

 ジャックは少将の言葉に敬礼をして答え、アルの方へと駆け出して行った。

 (ジャック・アルトリウス・クロスフォード...。君は...どこまでその自己犠牲を貫けるかな。少なくとも、フロイドは出来なかった事だ。けど、君なら出来るだろう...)

 

─────────────────────

 「ジャッキー、どうしたよ? 飯食わねぇのか?」

 訓練も終え、就寝を残すのみとなった。ジャックとアルは自主トレもあり、かなり遅めの夕食を摂っていた。

 「ん、あぁ...。自主トレの時に頭打っただろ?そのせいか意識が朦朧とする」

 頭に巻かれた包帯を擦りながらジャックは話す。ジャックの表情はぬぼーっとした表情で、目が死んでいる。

 「まぁ、軽い脳震盪だから寝れば治るだろ。アル、まだ食えるか?」

 「へ? まぁ、まだ食えるけど、食って良いのか?」

 ジャックの言葉にアルは嬉しさ四割、罪悪感六割位の表情で聞き返す。けれど、既にジャックは席を立ち部屋に戻るために踵を返していた。

 「良いぜ、俺が良いって言ってんだからさ」

 ジャックは振り向かずに手をヒラヒラと振って自室へ向かおうとした。

 だが、その途中こっそり入手した煙草を吸うために外の訓練場へ寄り道をする。

 「はぁ...ゴホッゴホッ!! なんだよこれ」

 煙草を咥えて火を着け、なかなか火が着かず何度も繰り返して着けて吸おうとするが、煙臭く、咽せる。

 涙目になる程に咳き込み続け、呼吸が落ち着くと同時に煙草を地面に叩き付けて苛立ちながらブーツで踏み、火を消した。

 「クソッ! 二度と吸うかこんなもん! 金の無駄だったぜ。高かったのに...」

 肩を落としてとぼとぼと自室へと帰っていく。ジャックはポケットの中に押し込んだ残りの煙草を捨てる事は出来ず、そのままだ。

 「....歳とれば吸える様になんのかなぁ...煙草って」

 そんな事を呟きながら自室のベッドで眠りに着いた。

 この時のジャックは数年後の近い将来、ヘビースモーカーですら辞めておけと言わんばかりに煙草を吸い続ける男になっているとは思ってもいないだろう。


 

 

 

 

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