二
授業中。目の前には私学受験を想定した国語全般の問題。比較的得意科目なのもあって、さほど苦にならず、まずはすぐにできそうな問題をさっさと埋め、長文読解をはじめる。家でも学校でも、そして模試でも。何度も似たようなことをしていたせいか、半ば流れ作業になりかけている。とりわけ現代文に関してはそれなりの自信を持てるようになっていた。それに比べれば古典と漢文はややおぼつかなかったものの、比較的得意教科であるというのには変わりがない。
現代文の解答欄を埋め終わり、一呼吸。耳にはともに取組む同級生の鉛筆やシャーペンを紙に押し付ける音が入ってくる。もう既に全問を解き終っているものや、最初から匙を投げているやる気のないものたち、そして俺と同じように休んでいる生徒以外は皆が皆、鉛筆かシャーペンを動かすか問題文に目を落としている。
考えてみれば不思議な状況かもしれなかった。目標は違えど、この教室にいる全員が同じ内容のテストを受けているというのは。当たり前だと言われればたしかにその通りだし目的も理解はできる。ただわかっていてもちょっとおかしく思える。
こんなことをしてなんになるのか。そんな小学生とか中学生っぽい感想が頭に浮かんだ。
大学に入れる可能性が高くなる。直近でいえば間違いなくこれだろう。そして、今の俺になによりも必要とされること。では、その先は。大学に入って学ぶ予定なのは、姉ちゃんが専攻している日本文学。役に立つという点でいえば、少し物を書くのが楽になったり、小説の肥やしになるかもしれない。それ以外では人との会話を盛り上げるかもしれず、しっかりと学べば教師になるという道も開ける可能性もある。
ただ、何かに役立てたいから学ぶのか、と聞かれると首を捻ってしまう。少なくとも、こうして向かい合っている国語に関しては役立てるという意識よりも楽しいという感情が勝った。受験に使う科目であれば、日本史における争いの歴史なんかも楽しいでやっている部分もある。逆にいえばその他の教科は、受験で使うから、やっているという点が否めない。楽しいと役立つ。前者も自分のためという意味では、役立つから、という理由に含まれるのかもしれなかったけど、なんとなく役立つから、という言葉自体に嫌な気持ちを覚えなくもない。
何も考えずに楽しいことだけしていたい。心の底ではたぶんそう思っている。なかなか、そうは行かないんだけど。
再び、鉛筆を握る。少しばかり他事に時間を使い過ぎた。古文に目を通しはじめると、当然ながら現代文よりも頭に入ってこない。とはいえ読めないということもなく、同じ手順を繰り返し問題を解いていく。気分はまるでベルトコンベアーだった。
諸々の授業を終えた昼休み。頭が栄養を欲していた。
「シロー。うち、ちょっとやることがあるから先行っておいて」
弁当を持って立ち上がった俺に、赤坂が近付いてきてそんなことを言う。最近多いな。
「わかった。小山にも言っておくよ」
「ごめん。できるだけ早く行くから」
赤坂は片側に縛った髪を揺らすようにして軽く頭を下げたあと、じゃあ行こうかミドリちゃん、と座っていた村中の方へと近付いてく。最近、仲良いなあの二人、なんてぼんやりと思いつつ、いつも昼食をとっている図書館へと向かおうとした。
「いいな、水沢は」
唐突に隣から声をかけられ振り向く。同じクラスの白山がどことなくうんざりとした表情でこっちを見ていた。
「なにが、いいな、なの」
クラスの中では比較的話す仲なのもあり、聞き返すと、白山はどことなく、高い上背を起こしながら大袈裟に肩を竦めてみせる。
「赤坂さんと一緒に昼飯を食べてるんだろ。俺はそういうのないからさ」
「こっちは同じ部でなんとなく集まってるだけなんだけど」
それこそ集まって食べはじめたのも、三年になって少ししてからだった。なんとなく昼に集まる日があって、その時にここで食べるのが一番楽だなという気分になり、赤坂と小山も同じような気持ちだったからか自然と集まるようになった。
「そういうの俺のところはないんだよ。とっくに引退済みだし、みんな結局、クラスの仲のいいやつと食ってるし」
やや悔しげに呟いてから羨望の眼差しらしきものを向けてくる白山。たしか白山は水球部だったか。三年になるまで聞いたこともない部活だったので、なんとなく記憶に残っていた。
「それに引き換え、水沢はいいよな。可愛い子と飯を食えて」
そんなにいいものだろうか。白山の言葉を耳にしてあらためて考えはじめる。
別に絶対に昼休みに図書館前に集まって食べなくてもいい気がする。ついでにいえば、今回例に挙がっている赤坂やもう一人の小山と一緒でなくてもいい。それこそ、白山とお昼ご飯ということになっても、悪くないだろう。
「白山は、女子と一緒にご飯を食べたいの」
尋ねてすぐ、不躾だったかな、と反省した。白山は、何言ってんだこいつ、みたいな顔をしながら首を縦に振る。
「当然だろう。あっ、もちろん可愛い子限定で」
歯に絹を着せない発言だった。女子に飢えている感じからして、水球部には異性がいなかったのだろうか。そう思って聞いてみると、またもや勢いよく頷かれた。
「おう。三年間ずっと男だけでわちゃわちゃやってたからな。それはそれで楽しかったけど、他の経験もしたかったというか」
とほほ、なんて口にするクラスメートを見つつ、三年間を振り返る。文芸部の男女比は、三年間でちょこちょこ変化はしていたものの、だいたいにおいて女子がやや多めだった。
「でも、男女問わず、仲がいい人と食べられてるんだったらいいんじゃないかな」
どんな言葉をかければいいのかわからず、さしあたっては無難そうなもの選んだ。途端にがっと詰め寄ってくる白山。
「水沢。お前、彼女はいるか」
突然の問いかけ。一瞬だけ頭が真っ白になったものの、首を横に振る。
「いないよ」
表向きはそういうことになっていた。白山は疑わしげな視線をこっちを見ていたけど、すぐに一歩後ずさり、そうか、と感慨深げに呟いてから、
「どっちにしろ、お前が羨ましいよ。文芸部ってすぐ手が届くとこに女の子がいるんだろ」
そんな偏見を口にする。
「今はだいたい同数だけど、女子の方がちょっと多いね」
それを耳にした白山は一人でしきりに頷いてみせてから、
「少なくとも俺より女子に会うチャンスがあるわけじゃん。恵まれてるよ、お前」
決め付けるような物言い。もっともその決め付けは俺の所感とも一致していた。
「そうだね。恵まれていると思うよ」
白山の言うところの、女子に会うチャンスが多い、というだけでなく、両親や幼なじみを中心とした友人はもちろんのこと、衣食住に不自由ない環境にも恵まれた。そして、なによりも。
「そうだそうだ。だから、お前はしっかりと今の環境を活かすべきだし、ついでに余裕があればそのおこぼれをこっちに寄こして欲しいもんだ」
勝手な展望を語る白山。俺は薄く微笑んでみせてから、それは難しいかな、と控え目に答える。
「そう言わずにだな」
尚も絡んでこようとするクラスメートに、そろそろ時間だからと断わりをいれて、教室の後ろの出入り口から飛び出した。背中になんとはなしに視線を感じつつも、もしかしたら既に赤坂は用事を済ませているかもしれないと思い、小走りになる。窓ガラスが強い日差しを反射していた。
図書館前に着くと小山一人が椅子に座り、膝の上には青い布に包まれた弁当箱が置いてある。
「遅いぞ、司郎」
「ごめん」
詫びてから、図書館の出入り口を潜った。そのあと、司書さんに断わりを入れて椅子を借りて再び外に出る。ちょうど小山が、包みを解いているところだった。
「お待たせ」
隣に椅子を持っていったあと、こちらもまた弁当箱を膝の上で広げはじめる。
「赤坂、遅れるって」
「そっか」
最近、同じようなことが多いせいだろうか。小山もあまり気にした様子はなく、梅干の下にある米を箸で突く。
「今日、どうだった」
視線を落としたまま尋ねてくる小山。
「ぼちぼちかな。むしろ午前は国語があったから気分は上向きかも」
「そっか。こっちもまあまあだったよ」
まあまあ、の内実は語られない。語りたくないのかもしれなかった。俺は、そっか、と応じてふかし芋を一口齧ったあと、
「そう言えば、今朝マガジン立ち読みしてきたんだけど」
登校前のささやかな楽しみについて話し出す。
「よく、そんな時間があるな」
小山は半笑いでこっちを見て、続きを促してきた。俺はずっと追っている連載ラブコメの面白かったところの印象を中心になるたけネタバレしないように注意しながら語っていく。同じ部の友人はそれほど興味はなさそうながらも笑みは崩さないで、そう言えば、と昨夜聞いたラジオであがったとるに足らないあるある話について語り始めた。
できるだけ、授業だとか受験だとかから遠くへ遠くへ。少なくとも今はそんな現実逃避的なノリが暗黙の了解としてあった。そして、それなりに盛りあがる。
「それにしても小麦はなにをしてるんだろうな」
そんな盛り上がったどうでもいい話は、唐突に元の学校、引いては現実という時空に引き戻された。そして、俺と小山の間で共通の話題の中では、もっとも興味を惹かれるものでもあるのだろう。とりわけ、この友人側では尚更。
「クラスで仲のいいやつと一緒に、どっか行ってるみたいだよ」
そう答えながら、俺は赤坂の行き先に心当たりがあった。おそらく、あそこだろう。学祭で見たとおりだとすれば、ほぼ予想に間違いはないはずだった。
「そうか。けど、別にそっちで弁当食べてきてるってわけでもないみたいだし。ほんと、なにしてんだろ」
先日、直接赤坂本人に尋ねた際に、ちょっとね、とお茶を濁されたせいでより興味を掻きたてられているのだろう。小山はどこか渋い顔のままがんもどきを口にしていた。
「どうだろうね」
小山なら、俺の予想を教えてもいい気はする。けれど、赤坂がごまかした以上は、少なくとも今は秘密にしておきたいのだろうという事情も汲みとれたため、さしあたっては言わないことにした。
「なんか、司郎はあんま気になってないみたいだな」
こっちの反応が素っ気なさ過ぎたのか。そんなつっこみが入る。
「そういうわけじゃないけど、本人が言ってくれるまではいいかなって」
「そりゃそうかもしれないけど」
どことなく不満気な小山。どうにも級友の様子が気にかかって仕方がないらしい。俺も何も知らなければこのくらい赤坂のことを気にかけただろか。少し考えてから、たぶん、今とさして変わらないだろうという結論にいたる。良くも悪くも赤坂は自分の思うままに生きている類の女だから、心配要らないだろう、と思っている節があった。これもある種の信頼のかたちか。
「クラスでの小麦はどうだ」
気がかりがおさまらないらしい小山の話題は、一貫して赤坂から離れない。これはやってくるまではこのままだな、と覚悟する。
「別に普通だよ。ちょくちょく授業終わったあとに愚痴言ってきたりもするけど、まあそんくらいは前から良くあったことだし」
少なくとも、俺の見立てでは過度に思い悩んでいたり、変になっていたりしているようには見えない。むしろ、受験生的には元気なくらいだった。
「そっか。だったらいいんだが」
そう言いながらも、納得しきれていないように見受けられる。とはいえ、これ以上、俺からはなんとも言い難い。
しばらくの間、小山は黙りこむ、弁当へと視線を落とした。サトイモの煮っ転がしを食す友人に、俺の方もなんとなく話をする気にはなれず冷凍ハンバーグの覚めたソースの冷たさと甘さを味わう。
なかなか赤坂がやってこないまま時間だけが過ぎていく最中、一足早く弁当を食し終えた小山が水筒から蓋に注いだお茶に口を付けたあと、きょろきょろとあたりを見回しだす。その後、鮭とそぼろとでんぶの三色ご飯の最後の一欠けらにとりかかっていた俺に、
「司郎、ちょっといいか」
あらたまった感じで語りかけてきた。大事な話かな、と思いそそくさと米の山を片付けてから、
「なにかな」
と尋ね返した。小山は少しばかり迷うような素振りを見せたあと、
「お前は小麦のことをどう思っている」
などと聞いてくる。この意味を読みとれないほど、鈍くはないため、
「まあまあ仲の良い友だちだよ。恋仲になりたいとかそういうのはない」
誤解の余地がないように口にする。小山もさほど意外に思った様子はなく、ほっと息を吐き出してみせた。
「そうか。いや、そうだとは思ってたが、念のため確認ってことでな」
まあ、あとでどうこうって言われるのは何かと面倒だしな、と理解しながらも、
「なんとなく小山が赤坂のことをそう思ってるのは知ってたけど急にどうしたの」
今、この時に切り出した理由を聞く。小山はやや言い難そうな顔をしてから、頬を人差し指で掻いた。
「機を見て、伝えたいと思ってな」
相談の理由もこれまた単純。それはそうか。
「ってことは、いつ告白するかを相談したかった感じかな」
既にいつやってきてもおかしくない時刻になっているため、周りに気を配りながらも確認をとる。ぶんぶんと頷く小山。納得はしつつも、俺に聞かれても困ることだ、とも思う。
「小山自身はいつがいいかとかはあるの」
「あんまり、迷惑がかからないタイミングがいいとは思っている」
顔を紅潮させそう語る友人。あまり冷静ではないにしても、できうるかぎり理性的な選択をしようとしているのだろう。
「じゃあ、受験の諸々が片付いてからがいいんじゃない。小山がそれで良ければだけど」
結局、口にしたのはごくごく当たり前の一般論だった。そして、周りへの被害という点からすれば、この選択が考えうるかぎりの最善な気がする。もちろん、小山もそれがわかっているんだろう。
「うん、そうなるよな。そうなるん、だよな」
かたちだけは了承した風に見える返事。その実、小山はどことなく納得しかねているようだった。
「もっと早く告白したいのかな」
ぐいぐい行き過ぎかもしれないと思うものの、時間がかぎられている以上はできるだけ早く済ませるに越したことがないので切り込んでいく。小山は、そういうわけじゃないんだが、と否定しながらも、
「思いたったうちに言っておかなきゃ、後々、勇気がなくなりそうな気がして」
びくびくとした調子で口にした。
さて、どうしたものか。個人的にはさっき言ったとおり、受験関係の諸々が終わってからがいいだろう、というのは揺るがない。しかし、これが小山の告白である以上、露骨に個人的な意見を押し付けるのもなにか違う気がした。
「司郎なら、こういう時どうする」
大方の流れにしたがって問いかけてきた小山。考えをまとめるべく、あらためて俺のときはどうだったか。記憶を探りはじめてすぐ、そう言えば、告白したことがなかったな、と思い当たる。それこそ、姉ちゃんとはさほど言葉をかわさずになんとなく今のかたちのままだし、もう一つの方にいたっては向こうからの提案を受けいれたかたちでしかない。
結論。説得力のある助言ができるほどの人生経験がない。
「小山と同じ気持ちじゃないからなんとも言い難いけど、今の俺だったら、やっぱり色々落ち着いてからにすると思う」
結局、さっきの意見に毛が生えた程度の発言をするほかない。途端に萎んだように顔を伏せる小山。
「そうか。まあ、そうなるか」
それなり以上の名案を期待されていたらしい。自覚するとともに、なんだか申し訳なさが込みあげてくる。とはいえ、ここで告白をたきつけたりしたところで、いい効果があがるとはどうにも思えなかった。
「あんまり、役に立てなくてごめん」
「いや、いいんだ。俺も色々と決めかねて司郎に相談したんだし。やっぱり、自分のことは自分で決めないとな」
言い聞かせるような物言い。俺は俺で自らの力不足を恥ながら、近いのか遠いのかわからない未来に行われるであろう告白は上手く行くだろうかと考えはじめる。
小山の意思は今教えてもらった。では赤坂の方は。色々と伺い知れない。良くも悪くも自分の快楽原則に忠実な女だけど、友人相手に情を見せることも多い。とはいえ、その情が同情となって告白自体に影響をおよぼしはしない。俺の知っている赤坂は、良くも悪くも、そういうドライさを持ち合わせている気がした。
赤坂の意思は小山に告白された時点でどう傾くだろうか。赤坂の方が小山を憎からず思っている可能性もゼロではないだろうし、逆に友だちとしか見ていないかもしれない。俺の周りの女子は表立ってはさほど色恋沙汰の話題を好まず、赤坂もまたその例外ではなかった。姉ちゃんに次いで、そっち方面に関してさほど興味を示したところをみせたことがない。比較的明るく人に好かれやすいのもあって、周りの人間とはそれなりに楽しくやっていそうではあったけど、振舞い自体は小説が恋人とでもいえるようなものだったので、そちら方面に対してどう思っているのかはほぼ未知数と言えた。
「それにしてもさすがの司郎でも、やっぱり人の恋愛相談となると勝手が違ってくるのか」
明るく振る舞おうと努めているようにみえる小山の言葉に首を捻る。
「何がさすがかは知らないけど、人だろうと自分だろうとこの手の話は難しいし慣れないよ」
そんな俺の本音を謙遜と受けとったのか、小山は再び水筒の蓋にお茶を注ぎ、
「だけど、司郎はこの手のことに対して経験豊富だろう」
なんてことを言ってみせた。どうやら何か誤解があるらしい。そう思ったあと、小山よりは、というのであれば条件を満たさなくないかもしれないと考え直す。
「小山と対して変わらないって」
とはいえ、表向きはこう口にするほかない。けど、小山は茶で唇を湿らせ、
「けど、付き合ってはいるんだろう」
確信のこもった言い方をする。
果たして、どこまでわかって口を開いているのか。
「さっきから思ってたけど、なんか誤解してないか。俺はフリーなんだけど」
牽制気味に軽口を叩くように言ってみせると、小山は、またまた、とひらひらと手を振り、
「別に隠さなくたっていいんだって。ましてや、知ってる俺相手にいないなんて言わなくてもいいんだって」
涼しげに笑う。どうやら、付き合っていない、という方面でしらを切るのは難しいらしい。仮にこれ以上、突っぱねた時にどうなるかは予想できなかった。とりわけ美亜姉あたりへの態度の変わりようからすれば、何が地雷になるかわからない。
「いつから、知ってたの」
とりあえず、誰かと付き合っていることだけは認める。相手に言及されたとなれば、途端に取り扱い注意になりかねないものの、付き合っている、だけであればまだ被害は少ないだろう、と決めうった。
「三年に上がる少し前くらいかな。なんとなく、雰囲気が変わったのを見て、そうなんだなって察した。司郎の方が言って欲しそうになかったから、今日までは話さなかったんだよ」
「じゃあ、今日はなんで話したの」
尋ねると、小山は先程の赤坂への思いを口にした時のように顔を紅潮させる。
「今日、小麦への気持ちも口にしたし、この際、知っていることはある程度、お前に伝えといた方がいいかなって思ってな」
知らないふりをして態度に出たりすると、それはそれで面倒なことになるかもしれないし。そう付け加える小山に俺は、そっか、と応じたものの、どことなく疑わしく感じていた。どちらかといえば、本人なりの一代決心によって舞いあがった心が口を滑らしたという方が納得が行く。
「小山、わかっているとは思うけど」
「わかってる。秘密にしておくよ。その代わり、お前も小麦についてのことは胸にしまっておいてくれよ」
ご満悦といった風に微笑む小山。それに一つ頷いて見せながら、実のところこの友人が求めていたのはお手軽な共犯意識だったんだろうな、と思った。それは俺には今のところ必要ないものだったけど、この友人としてはこれから来る戦いのためにどうしても得ておきたいものだったのだろう。
「とにかく今後ともよろしく」
少しだけ軽くなった声に、ああ、と応じる。その傍らで、実のところ小山と赤坂に上手くいってほしいと思っているのか、自分の中で心許なくなってきた。
以降、再び話題は赤坂から離れ、小山が最近聞いたラジオリスナーの近所の八百屋での失敗談なるものが聞こえはじめた。俺はポケットから取りだした英単語帳に目を通しながら、なんとはなしに相槌を打つ。
そんな風に過ごして、残り休み時間が二十分と少しほどになったところで、ようやく赤坂が菓子パンとペットボトルの紅茶を手にして走りこんできた。
「ごめんごめん。遅くなっちゃった」
肩で息をする女の友人に、俺は、気にしないで、と声をかける。
「ほら、どうぞ」
前もって用意していた椅子を勧める小山。短い、ありがとう、のあとすぐ腰かける赤坂。
「いつもながら、コヤ君は気が利くねぇ」
「いやいや、そんなことないって」
笑い合う二人を見ながら席を立つ。
「ちょっと、飲み物買ってくる」
なんだかんだ長話になって体が冷えはじめていた。
「そうか。いってらっしゃい」
上機嫌で送り出そうとする小山と、
「間が悪いね。うちが来たばっかりなんだしもう少し話してくれてもいいじゃん」
拗ねるように口を尖らす赤坂。
「ごめんごめん。すぐに帰ってくるからさ」
そう告げて、小走りになる。ちらりと後ろを見やれば、実に楽しそうに話しかける小山と、心地良さげに受け答えする赤坂の姿。なんとなくほっとしてから足を急がせた。
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