二

 昼休み。図書館のラウンジ内に設けられた飲食スペース。俺は、先に着いていた小山が持ってきてくれたたこ焼きをゆっくりと咀嚼しながら、午前中の疲れが抜けず、ぐでっとしていた。


「いやぁ、大漁だったよ。これはもしかしたら文化祭MVPを狙えるかも」


 俺とは対照的に元気溌剌な赤坂は、ここにやってくるまでの道すがらで買ってきたイカタマのお好み焼きを実に美味そうに食べている。


「そうなんだ。うちはこれからが本番だから、それほどだったよ。とにかく二人ともお疲れ様」


 小山は微笑みつつ、俺たちに向ける視線にどことない労いを込めているように見えた。


「ありがとな」

「ありがとね。これからもクラスメートが頑張ってくれると思うから、期待していいよきっと」


 俺の力ない声と、なぜだか自信満々な赤坂の声。ここら辺が気力の差なんだろうな、とあらためて思う。自然と思考は先程までいたクラスへと引き戻される。


 蓋を開けてみればオバケ屋敷は大盛況だった。理由はいくつか分析できそうだが、文化祭実行委員会によって決められた出し物の被り防止によって、校内でただ一店のオバケ屋敷となった我がクラスに人気が集まったこと。そして、早くも祭りの空気に乗せられた自由時間中の生徒たちがなだれこんできたこと。おそらく、こういった経緯によって、午前中の俺たち受けつけは大忙しだった。


 業務はやってきたお客様への挨拶からはじまり、決まりごとや注意事項の説明、店内への誘導。これらに加え、長く並びはじめた列の整理なんかもやった。


 慣れない作業に巻き込まれたてんてこ舞いになる俺。その横で赤坂は、見て見てたくさんいるよ、と列の最後尾を指差したりして終始騒ぎっぱなしで楽しく仕事をこなしていた。その上、今もまだ元気なのだから体力気力ともに俺を大きく引き離しているのだろう。そんな感想を持ちながら、ラウンジから少し離れたところに設けられた古本市へと視線をやった。


 平行に並べられ三つの長机。その上に置かれたいくつかのダンボールの脇には、いずれも、『全品百円 三冊二百円』と赤いマジックで書かれた紙が張ってある。中にある本は、学内図書館の奥に溜め込まれていた去年までの古本市での売れ残りであったり、俺らが持ってきた、いらなくなった本だったりした。


 三つの机から離れたところに、それでいて垂直に置かれた机は会計レジになっていて、穏やかな顔をした現編集長の長谷部と時折見かける図書委員の小柄な男子生徒が座っている。長谷部の手元には『OVERFLOW 文化祭号』と書かれたコピー誌。これが俺ら文芸部誌の最新号。この秋の成果にして、俺らの引退作品集になる予定のものだった。表紙は普段出している時とは異なり、ややお金をかけてカラーになっていて、女子高生と男子高生が紅葉が降り注ぐ中で向き合っているイラストが描かれている。


「ここに来ると落ち着くな」


 思わず呟いた一言。素直な気持ちだった。隣で小山が頷いてみせる。


「うん、なんか文化祭って感じがする」


 声が響くのは閑散とした図書館。今、ラウンジ内には文芸部員と図書委員以外はいない。例年、文化祭中の図書館は人が来ないわけではないものの、だいたいはぽつぽつ来てはぽつぽつ去っていくという流れになりがちだった。


「うちとしては、もうちょっと賑わってくれてもいいんだけどね」


 午前中の客の列だけではまだまだ物足りないらしく、ニヤニヤしながらお好み焼きの残りを頬張る赤坂。その元気を分けて欲しいような欲しくないようななんとも言えない気持ちになる。


「長谷部。今んとこの部誌の配布状況ってどんな感じ」


 なんとはなしに会計席に腰かける後輩に尋ねた。毎年、客の入りにかかわらず、部誌は無料配布なせいもあってけっこうな数が捌ける。とは言っても、学内での文芸部誌の需要は文芸部内の事前配布分と図書委員などの比較的親和性の高い集まりを除けばほとんどないに等しいため、例年本番は学外の人たちが入ってくる二日目で、まださほど数は出ていないだろうと踏んでいた。


「好調ですよ。少なくとも去年よりは早いペースで捌けてる気がします」


 そんな俺の予想に反して、長谷部の解答は満足げかつ誇らしげだった。珍しい。いったい、誰がもらっていっているんだろう。


「なんか、今年は表紙で目に止まっている感じがします。会計に来た人はだいたい一目見て興味を持ってくれてます。いやぁ、赤坂先輩様々だなぁ」


 現編集長の穏やかな声で、ああ、そういうことかと腑に落ちた。途端に、小山の持ってきたたこ焼きをもらいはじめていた赤坂がより笑みを強める。


「ねっ。うちの言った通りだったでしょ」


 少々腹がたちそうなくらい自慢気な顔。とはいえ、実際に効果を上げているのであればそれが許されるくらいの功績と言える。そう今回の表紙は赤坂の提案で外部に委託したものだった。


「そうだね」


 俺は頷きつつも、なんとも言えない引っかかりをおぼえなくもない。


 その引っかかりの根幹は、一学期末の部内会議にまでさかのぼる。その会議において、赤坂が文化祭号の表紙の部外の生徒に描いてもらうことを提案した。これまでの表紙は、編集長がそれらしいものを作るか、部内でイラストを描けるものに頼むというかたちが一般的で、文化祭もまたなし崩し的にそうなるのだろうなというのがほぼ決まっていただけに、赤坂の提案は困惑をもって迎えられた。とりわけ、入部してから今までの表紙イラストをほとんど担当していた現部長の入江の抵抗は強く、なんで委託する必要があるんですか、と不機嫌さを隠さず、提案をしてきた最上級生の女子を睨みつけた。さほど絵に明るくない俺の目から見ても、入江のイラストはなかなかのものであり、なぜ赤坂がいきなりこんなことを言い出したのかわけがわからなかった。そんな部長の一睨みを平然と受けとめた赤坂の答えもまたシンプルなものだった。


 すごくいい絵を描く子を見つけたから、これで文芸部の冊子の表紙をやってくれたら面白いことになりそうだって思ってね。


 面白いことになりそう。そんなふわっとした理由を惜しげなく曝したあと、いくつかプリントアウトされたイラストを俺らに見せつけた。イラストは少年少女から、鳥や猫といった動物、更には綺麗な夜景や虹のかかった青空など多岐に亘っていたが、一目で華があると感じた。それは他の多くの部員もそうだったようで、部長もまた渋々ながら認めていた。そんな反応に気を良くしたらしい赤坂はにっこりと微笑み、


 うちはさ、高校最後に小説を載せる冊子を最高のものにしたいの。そのためだったら、どんなことでもしたいって思ってる。


 そう言ってから入江の方へと視線を向けて、


 誤解して欲しくないんだけどうちは霧香ちゃんの表紙も好きだよ。けど、この人の表紙だったらそれ以上のものが見られると思っている。だから、今回はうちのわがままをきいてくれないかな。 


 ゆっくりと頭を下げた。入江は小さく溜め息を吐いてから、部内で表紙コンペを行った上で、その方の表紙の方がいいということでしたら、と折れた。


 こうした経緯により、今回の文化祭号の〆切の数日後に部内での表紙に関する投票が行われ、僅差で赤坂が依頼をした誰かの表紙が採用される運びになった。悔しそうな入江の表情がいまだに頭の中にこびりついている。それとは対照的な赤坂の曇りない笑顔も。

 

「部外者の意見ですけど、僕もいいと思いますよこの表紙。綺麗だし、なんだか初々しさみたいなものがあって」

「でしょでしょ。もっと誉めてくれていいんだよ、君」


 長谷部の隣に座る図書委員の男子の言葉により気をよくする赤坂。その傍らにいる俺はなんとも言えない気持ちを抱えたまま小山の方を見やる。視線の先には苦笑いがあった。どうやら似たような気持ちらしいと察する。


 この引っかかりはなにに由来するのだろうか。渾身の力を込めて描いてきただろう入江の表紙用イラストが採用されたなかったことに対する申し訳なさからか、唐突にあらわれた部外者のイラストが自分たちの表紙になったうえに予想以上に好評で去年までの自分たちの面目がつぶれたように感じるからか。おおむねこんなような感情のいずれかか、あるいはこれらが混ざりあったものか。


 仮にこのような感情に由来する引っかかりだとすれば、随分と器が小さく醜いものだと自嘲する。こんなようなことをぐちぐち思うくらいだったら、提案が出た時点でもっと積極的に反対していればよかったのだ。


 とはいえ、今更言ってもはじまらないし、出来だけみれば歴代最高の表紙といっても過言ではない。ぐちゃぐちゃとした心の内はともかくとしていいものを仕上げてくれた以上はお礼の一つや二つ、描いた人間には伝えなくてはならないだろう。


「赤坂」

「なに、シロー。あらたまっちゃって」


 不思議そうな顔をする級友に、冊子の方を指差してみせてから、


「やっぱり表紙を描いてくれた人にお礼を言いたいと思うんだけど」


 と口にする。それに赤坂は、ああそれね、と気まずそうな笑みを浮かべた。


「前も言ったけど、今回載せてくれる条件が匿名かつ正体を明かさないことだったからね。そもそも、表紙を描いてもらおうとしたのもうちのわがままだったから、これ以上、あの子に迷惑はかけられないっていうか」

「そっか」


 頷きつつも、気持ちは釈然としないままだった。


 表紙担当は匿名かつ顔出しはしない。このこと自体は赤坂の方から最初から伝えられていた。赤坂曰く、随分と謙遜していたらしく、俺らの集まりに顔を出すのも畏れ多いなどといっていたらしい。そんなわけで、俺はこの冊子の頒布数増加の一因を担っているであろう立役者とまだ会えていなかった。


「けど、お礼の言葉なんかがあれば、できるかぎりうちがあの子に伝えるから、何でも言ってくれていいよ」

「うん、ありがと」


 俺は赤坂に礼を述べたあと、後であらためて伝える言葉をまとめようと決める。いや、俺個人が言葉を伝えるのではなく部自体の連名というかたちに落ち着くのかもしれないし、そちらの方が自然な気もした。


「この分だと今日の祭りが終わったあと、明日のために増刷した方がいいかもしれませんね」

「さすがにそこまで捌けるのか。明日の方が客が増えるといっても刷りすぎると来年までに多くの在庫を残すことになりかねないし」


 ラウンジの丸机と古本市のレジ代わりの長机の間でかわされる現編集長の長谷部と元編集長の小山のやりとりは、小さな問題を提起しながらも、その実ほとんど緊迫感をはらまない嬉しい悲鳴そのものだった。それを耳にしながら、手持ちのビニール袋からやってくる途中に買ってきた焼きそばを広げだす。とにかく、腹が減っては戦はできぬだ。


 /


「品評会しようか」


 午後になり、長谷部と図書委員の後輩と入れ替わりで古本市の店番に入ってからしばらく経った時。現編集長の言葉通り、こころなしかいつもより冊数が出て行く部誌をお客に手渡ししたり、古本を買っていく顔見知りだったりよく知らない生徒だったりの接客を適度にこなし終え、人心地着いたところ。赤坂が唐突にそんなことを言い出す。


「品評会って、今回の文化祭号のか」

「そうそう。っていうか、それ以外にないでしょ」


 何言ってるの。そんな風な白い目で見られる。俺は一応、聞いてみただけだ、と応じてから、


「けど、正式な品評会は文化祭後にあるし、その時でもいいんじゃないか」


 指摘する。望むにしろ望まないにしろ、文化祭の反省も含めて文化祭号の講評も行う。それが俺が在籍中の流れだったし、たぶん姉ちゃんの代やその前から変わってはいないに違いなかった。


 赤坂は、その時でもいいんだけどさ、とまとめた髪をなでながらきょろきょろしはじめる。釣られて周りを見たが、ラウンジ内には俺と赤坂しかいない。


「シローはもう誰かから、今回描いたものの感想って聞いたりした」


 尋ねられる。首を横に振った。


「いや。なんかばたばたしてたし、誰からも聞いてないよ」


 下書きが早めにできれば、姉ちゃんと前もって感想会をすることもあったけど、今回は向こうが下宿しているのに加えて、それぞれ〆切ぎりぎりまで原稿があがらず、それどころではなかった。


 俺の答えに、赤坂はなぜだかガッツポーズをする。


「喧嘩でも売ってるの」

「違うって。ただ、ちょっと嬉しくて」


 わからない。なぜ嬉しいのか。赤坂は、だってさ、と楽しげに前置きしてから、


「ファンとして、いの一番に感想を伝えられるんだよ。しかもシローの高校最後の作品に。これってすごくない」


 どことなくうっとりとした様子でそんなことを言ってみせる。ここに来てようやく、赤坂がこんなに喜んでいるのかを把握するものの、個人的には理解に苦しむ内容だった。


「それって、そんなに嬉しいことか」


 赤坂にとっては無粋な物言いになってしまうかもしれないとわかりつつも、耐え切れずに尋ね返す。赤坂は、そりゃあ書いた本人だったらピンと来ないかもね、と苦笑いをした。


「うちはここで最初にシローの小説を読んでから、今日までずっと楽しんできてるんだよ。そんな大好きな小説を書く相手の宝物みたいな新作に一番最初に感動を届けられる。これほど嬉しいことってあると思う」


 素朴な調子で尋ねられる。相変わらず、赤坂側の理屈だけは把握できた。ただ、感動は共有できないままであるので、いまいちピンと来ないままではある。


「赤坂の感動はよくわからないけど、とにかく今すぐ品評会をやりたいと」


 こくこくと犬みたいに頷く赤坂。尻尾があれば振っているかもしれない。


「わかった。赤坂がやりたいんだったら。ただ、赤坂の書いた話も一応読んではいるけど、まだしっかりとは読んでないからあんまりちゃんとした感想にはならないかもしれない。それでもいいなら」

「もちろん。シローから最初に感想をもらえるんだったらなんでもいいよ」


 それはそれでどうなんだろか。そう思わなくもなかったけど、俺の感想で赤坂が喜んでくれるのであればいいのか、と考え直した。




 とりあえず古本市に新たな客がやってくるまで。そんな緩い縛りとともにお互いの書いたものの品評会が始まった。


「今回も面白かった」


 開口一番聞かされた感想は、いつもながら満足げかつストレートなもので、少々照れくさい。その上で、赤坂は、ただ、と前置きしてから、


「ちょっといつもと違う感じがしたんだよね」


 違和感を表明した。


「どんな」


 尋ねると、赤坂は、えっとね、と首を捻りだす。


「一番、違うと思ったのは、語り手が生き生きとしてたことかな」


 挙げられた点に俺は、やっぱりか、と納得した。


「シローって良くも悪くも、主人公だろうと被害者だろうと犯人だろうと駒だって割り切って書いてるじゃん。でも、今回はもう少し生っぽい感じがして。ここら辺はいつも使ってる三人称の語りから一人称での語りに切り替わってからかもしれないけど」


 生っぽい。その言葉はいつもは非現実的と思われているということだろうか。いや、ここら辺は自覚的に書いていたので今更なんだけど。赤坂の物言い的に随分と大きな変化に見える。


「そんなに変わったように読めたの」


 問いかける。即座に頷かれた。


「大違いだよ。あと、いつもは物理トリック主体だけど、今回は一人称を使った叙述トリックが主体になってたから、驚きが大きくなったかな」


 まさか、主人公の六郎の正体が花憐だったなんて最後まで気付かなかったよ。そんな述懐に、今回もトリックが機能したらしいことにほっとしつつも、書きあげたあとから不安になっていた疑問が心の端っこからせりあがってくる。


「けど、叙述トリックとしてはまっすぐ過ぎたから、正直すぐにバレるかもしれないって気が気じゃなかったんだけどな。本当に最後の最後まで気付かなかったの」


 読者を疑う。下手をすれば、赤坂の喜びに水を差してしまうかもしれない、と危惧しつつも、聞かざるを得なかった。赤坂は、疑い深いなぁ、とニヤニヤする。


「そこら辺が、うちの一番満足度が高い部分に繋がるんだよ」


 わけのわからない言葉に、俺の中での謎が深まった。そんなこちらの様子により気を良くしたらしい赤坂は、手元の文化祭号をパラパラとさせながら、


「うちらはおおよそ三年間小説を読み合ってきて、面白い面白くないとか、ここをこうしたらいいとか、いやここはこうしなきゃいけないとか、色々言い合ってきたわけじゃん。そうやって積み重ねてくると、個人個人の小説の傾向っていうのはおのずと固まっちゃう。うちは短編の大量爆撃、コヤ君は重めの時代小説、それでシローはミステリ。そんな風にして誰が言い出したわけじゃないけど、なんとなく住み分けして、だいたいはその通りのものを書いてきた。もちろん、それ以外のものを書いたこともなくはないけど、大抵は自分のテリトリーから出てこないで三年間小説を書いてきた」


 振り返るように語った。そうしてから、目尻を弛める。


「そうやってきた三年間、たまに気分転換をする時以外、ずっと物理トリック主体のミステリを書いてきたシローが、叙述トリックに手を出した」


 そこまで語られてようやく赤坂の言わんとしていることの輪郭が見え始めてきた。赤坂は、もしかしたらただのネタ切れなのかもしれない、と口にしつつも、


「ただ、実体がどうあれ、物理トリックを愛用しているシローが叙述トリックを使った。わかるかな。三年近く積みあげてきたイメージ自体が、うちにとってはトリックの肝になったの」


 ふぅっと息を吐き出す。そして、冊子の俺の小説の冒頭ページをめくって示して見せ、


「うちのための小説、だよ」


 少し気どったように言った。そもそも、赤坂が挙げた俺のイメージ自体は他にも何人かが共有しうるものだろう。けれど、これほどしゃぶるように楽しんでもらえたのであれば、作者冥利に尽きる。


「ありがとう」


 礼を口にした。照れくさくて小声になる。赤坂はおかしそうにくすくすと笑ったあと、


「どういたしまして」


 誇らしげに告げ、ごちそうさま、と付け加えた。


 その後も、赤坂はいくつかの誉め言葉とトリックの強引さに対する粗なんかをひとしきり口にしたあと、大きく息を吐き出す。


「うちとしてはいくらでも語れるけど、時間がなくなっちゃいそうだしね」


 水を向けてくる。あわよくば、自作の感想を聞くだけ聞いて済ませようとしていたところだったが、そうは問屋が卸さないらしい。比較的忌憚のない意見をもらったのだ。応えなくてはならないだろう。


「最初に確認するんだけど」

「なになに。なんでも聞いて」


 食い気味な赤坂にたじろぎつつ、


「赤坂が書いた五編は緩やかに繋がっているってことでいいか」


 尋ねる。少なくとも俺にはそのようにしか読みとれなかったものの、誤読しているかもしれない。仮にこの段階で誤読していたとすれば、失望されるのではないのか。そんな小さくない不安が少しずつ競りあがってこようとしていた。


 直後に赤坂が、うーん、と唸る。


「自分で書いた話だし、一応うちの中では決まってなくもないけど、自由に読める部分について断言しちゃっていいのかな」


 そんな迷いを口にする。この手の個人的なこだわりに引っ付いた地雷はいたるところに転がっていた。引っかかりそうになったり、実際に引っかかったことも何度かあった。


「今のは聞き方が悪かったかも。じゃあ、俺はそう受けとったっていう前提で話を聞いてくれ」

「なんか、ごめんね。気を遣わせちゃって」

 

 普段はあまり聞くことのない赤坂の弱々しげな言動。戸惑いつつ、一端窓の外へと視線を逸らす。午後の日差しが目に沁みるのとともに、学内のうるささが耳に入りこんできた。程なくして、再び向き直ってから、続けるぞ、と促してから、


「一本目のどこかの地方都市での一人住みの女の話も、二本目の電車内での男女のミステリアスなやりとりをまとめた話も、三本目の山の中にあるとてつもなくおいしいアイスクリームを家族のために取ってこようとする姉弟の話も、四本目の書くことについて悩む女が人に助言しながら最後には自分の悩みに突き当たる話も、五本目の女二人が夜の池を東屋から見ながら後悔を語り許しあう話も、明言はされていないけど、語り手の『私』は同じ人物なんじゃないかって、俺は読んだ」


 そこまで一息に言って、微笑む赤坂を見つめる。五本の短編を書いた女は何も語らない。ご名答と言っているようにも見えるし、それでそれでと先を聞かせてほしいとせがんでいるようにも見える。本人の言動の感じからすれば、後者が本命だろうか、なんて考えつつ、話を続けようと口を開いた。


「最初は、どの話も語り口が違うから気付かなかったけど、『私』の内面描写を読んでいるとどこか通じるものがあるような気がしてきた。それこそ、作者である赤坂の個性が色濃く出た結果なんじゃないか、と結論をだしかけたけど、どうにも『私』の悩みの方向性が一緒である気がしはじめてからは、この通じている感じが意図的なものなんじゃないかと疑いはじめた」

「五本の『私』の通じている部分っていうのは、どういうところか聞いてもいい」


 ここに来て口を挟んでくる作者。とはいえ、今回の問いはさほど難しいものではない。


「五本の短編中で具体的には明言されないけど何らかの気がかりがあること。『私』自身の述懐を信じるのであれば、その気がかりをできるかぎり表に出さないようにしていること。あとはよく読まないとわかりにくいけど、どの『私』も一つ前の話に出てきた事柄にたいして感想らしきものを口にしているところとかかな」


 特に最後の部分で、俺は五本の短編の連続性を確信した。あまりにもさらりと流されているから、当初は偶然だと思いかけたけど、それが二度三度と続けば偶然と言い難い。


「仮に俺の予想通り全ての『私』が同一人物であるとするならば、これは五本の連作短編であると同時に同一テーマの中編ないし長編なのかなと思った」


 自分なりの判断を口にすると赤坂は、なるほどね、と言ってみせるものの、それきり黙りこんでしまう。興味深げな目に見入られながら、話の続きを求められているのだろうと察し、口を開いた。


「この予想が当たっているなら、『私』は各短編内でほの見えていた気がかりも共有していたと見るのが自然なはずだ。じゃあ、この気がかりとはなんなんだろう。答えは直接書かれていないから、推測するしかない」

「それで、シローにはその気がかりとやらの正体はわかったの」


 試すような問いかけ。俺はどう応えるべきか悩んだあと、首を横に振った。


「いいや。ただ、さっきの俺の小説の話じゃないけど、この『私』からは、どことない生々しさが漂っているように感じられた。だから、安易に考えるなら、作者自身を鏡にして成立した人物なんじゃないかな、と思った。つまりは、赤坂が今抱えている悩みがそのまま反映されているんじゃないかと」


 安易だったかな。尋ねれば、赤坂は破顔した。


「面白いね。けど小説に『私』と書かれたからといって、現実世界の作者とその『私』を同一視するのは浅はかじゃない。それだったら、今回のシローの小説の『俺』とシローの内面を同一視しちゃうけど、それでいいかな」


 赤坂のもっともな言の葉。いつもであれば、そうだな、と笑い飛ばすところだった。けど、今回ばかりはそういうわけにもいかず、少々間が空く。途端に隙間に廊下越しに伝わる祭りの賑わいが大きくなった気がした。怪訝な顔をする赤坂。


「えっ、もしかしてそう受けとっていいってこと。いや、たしかにあの生っぽい感じはいつものシローの書き方じゃなかったけど、もしかして材料とか作り方まで違ったってことなの」


 推測を一足飛びに進めた赤坂は、いや本当にそうなのか、とか、けどたしかにそれだったら辻褄が合うし、とどことなく温度の下がった声で話を進めようとする。


「たしかに珍しく俺自身の心情を材料にはしたけど、それってそんなに不思議なことか」


 このままだと赤坂の思考はどこへ向かっていくかわからないと危惧し、あまり言いたくなかった制作の内幕と今湧いた疑問を口にした。なぜか、赤坂は幽霊を見たような目をこっちに向ける。


「たしかに普通に小説を書く人だった多かれ少なかれ自分の感情を材料に使うし、今回のうちだって脚色は加えているけど思っていることを書いたつもりではあるよ。ただ、今回の文化祭号以外のシローはそういう書き方をほとんどしてこなかったよね」


 静かな。それでいて力強い問いかけ。いや、問いかけというよりも赤坂としてはたしかなことをただただ確認するような感じがした。気圧されるようにして頷く。


「赤坂にも話したことがあるかもしれないけど、基本的に俺が最初に考えるのはトリックで、それを核として話とキャラといったものを肉付けしていっている」

「うん、いつかわかんないけどそう聞いて随分と納得したんだ。けど、たぶん、今回は作り方が違うよね」


 再びの問い。頷く。


「そうだ。今回はいつになくいいトリックが思いつけなくて、仕方なく他のところからはじめたんだ」


 姉ちゃんとの電話での会話。その際に頭が残った人物から、という言葉を参考にし、とりあえず何も考えずに手だけ動かして、俺という一人称、その俺の目を通して見えた家族や環境。そういったものを周りにあるものを材料に、何の意味もなく書いてみた。


「最初はただぼんやりと書いていて、そうしている途中に今回の叙述トリックを思いついた。そこからは本当にこれでいいのかと事前に何度か考えて躊躇っていた時も合ったけど、書きはじめればとんとん拍子だった」


 筆の滑らかさが災いして、原稿の量が増えもした。俺の言葉に、赤坂は細かく頷きながら、


「さっきも言ったけど、なんとなく生々しいなとは思ってた。ただそれは、シロー個人とは切り離されたうえで書かれた人物造詣なんだな、と思ってた」


 搾り出すように言う。なぜ、俺が自分を材料にすることを信じられないのか。その疑問の答えは、


「今まではどんなキャラも駒として、作者のシローの心情はほとんど反映してなかったから、今回もそうだなって。生々しく見えるのも、切り離したうえで新しい書き方をしてるんだなって考えてた」


 赤坂の口かそんな風に語られた。言われてみれば、現実の自分と地続きなキャラというものを今まで書いたことはなかった気がする。仮に自分と同じ高校生が主人公だったとしても、だいたいの参考資料は今まで読んできた推理小説の登場人物を足して割ったりして作っていたから、そこに俺自身との共通項を見出し難い気がした。少なくとも、明確に自分という人間を材料にして書いたのは、今回が初めてな気がする。


「新しい書き方をしてみたのはたしかだけど、それは悪いことなのか」


 それだけでは良いも悪いもない。そう思うかたわら、俺の中にもいつもと同じやり方を通せなかったことに対する後悔がほんの少しだけある。もしかしたら、今回のやりかたを赤坂に否定してもらいたいのかもしれない。


 赤坂は少し間を置いてから、ゆっくりと首を横に振った。


「悪いって言ってるんじゃないよ。さっきも言ったけど、うちにとっては最高に面白かったから。ただ」


 保留するように言葉を途切れさせてから、なぜだか寂しそうな目をする。


「うちは勝手に、シローは小説内に現実を持ちこまないって思い込んでいたんだよ。自分の周りで何が起こっても、良くも悪くも同じように一本のミステリを仕上げてたから。そこら辺は、ミステリを書こうと思ってもうまく組み上げられないうちの憧れだったし、フィクションをフィクションとして大事にしているって思っていた。けど、今回は違うものを書いた」


 目を逸らす赤坂。その視線の先には大量の文庫本が詰めこまれたダンボール箱に注がれている。


 ふと、あの中に俺が読んだことのある本は何冊あるだろう、という考えが湧きあがった。一冊、二冊、三冊、十冊、二十冊。いや、もしかしたら一冊も読んだことはないかもしれない。一応、店番をする前に物色して中身は確認したはずだったが、不思議と今は思い出せない。


「変わらないものなんてないんだなって、なんとなく思ったんだ」


 それだけ口にしてから赤坂は黙りこむ。俺はどんな言葉を重ねていいかわからず静寂が生まれた。けど、すぐに例のごとく外の騒がしさが室内に入りこんでくる。窓越しの日差しは雲に邪魔されているのか、こころなしかどんよりとしていた。


 どれだけの時間が経っただろう。扉越しにどたばたとした足音。直後に扉が勢いよく開けられる。


「水沢先輩に赤坂先輩、すみません。ちょっとクラスから抜けだすのに時間がかかっちゃって」


 文芸部の一年生、西田紗希が、息を切らしながらそう弁明した。程なくして、隣から笑い声。


「謝んないでよ。うちもシローもやることなくて暇だったんだし」


 赤坂はそう告げると、扉から入ってきたばかりの後輩女子は小動物じみた顔を安堵に浸した。


「ところで、サキちゃんお腹空いてない」


 なぜだか楽しげに尋ねる赤坂に、西田はおずおずと首を縦に振る。


「けっこう忙しくてお昼、食べてませんでした」


 途端に赤坂がこちらに顔を向ける気配がした。振り向けば、目からは先ほどまであったはずの寂しさが消えている。


「ほらほら、可愛い後輩がお腹空いてるって言ってるよ」

「それはつまり、俺に買って来いって言ってるわけ」


 答えれば、赤坂は得意げな顔をした。


「今日は珍しく察しがいいじゃん。こういうところは、元部長としての度量の見せ所じゃない」

「別にちっこい人間として見られてもかまわないんだけどな」


 言いながら席を立つ。西田の表情に戸惑いが浮かんだ。


「そんな。先輩をパシらせるなんてできません。言ってもらえれば、わたしが」

「ちょうど散歩しに行きたいところだったんだよ。それに、西田さんはこれから店番でしょ。だったら、ここでその残念な先輩の相手をしてくれた方が嬉しいし」


 ちょっと、誰が残念な先輩だよ。後ろからかかる騒がしい声を、図書館では静かに、の一言で切り捨てたあと、西田に何か食べたいものはあるか、と尋ねる。


「じゃあ、チョコバナナとか」


 果たしてそれだけで足りるのだろうか。そんなことを思ったあと、わかった、と応じてから、尚もぎゃーぎゃーと騒ぐ残念な同輩な赤坂を無視して、早足気味に図書館を飛び出した。


 頭の中で他にもいくつか腹に溜まりそうなものをリストアップするかたわら、そういえば感想を最後まで言えなかったな、と気付く。


 『私』のモデルは赤坂か、それとも他の人物なのか。


 作品評価とはあまりかかわりがない。それでいて個人的な興味を刺激した部分は、思い返してみれば下世話だったかもしれなかった。さしあたっては、純粋に面白かったか面白くなかったを後で伝えるか。そう思いながら、校内の屋台散策を始めた。

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