二
『浮かばないから、ネタ求む。そういうこと』
単刀直入に尋ねてくる姉ちゃん。俺は頷く。直後に電話だし見えないなと気付き、
「恥ずかしながら」
と口にして。頭の後ろを掻いた。受話器越しに溜め息。
『そんなに都合のいいネタがあるなら、私の方が教えて欲しいくらいなんだけど』
低い声。実感が篭っている。
「姉ちゃんの方は、締め切りいつだっけ」
『九月の末頃。学祭は十一月だけど、製本に時間がかかるから一月以上前にデータだけでも欲しいんだって』
カレンダーを見る。あと二週間くらい。
「ご愁傷様です」
『まだ落としてないから』
怒られた。いずれにしろ修羅場らしい。悪いタイミングで電話をしてしまったかもしれない。
『そういう司郎の方は』
「十月上旬、かな」
うちの高校の製本はコピー誌なのもあって、さほど時を置かず製本が終了する。そのせいか学祭が十月の終わり頃であっても、姉ちゃんよりも締め切りは緩い。もっとも、
『あんたも人のこと言えないくらい、落としそうだね』
「そうなんだよね」
返す言葉もない。とはいえ、サボってばかりいたわけでもなく。ネタがないな頭の片隅でこねくり回しているうちに、ただただ時間が経過していった。
『さっさと終わらせないと受験に響くよ』
またまた実感の籠った言葉。そう言えば、姉ちゃんが志望校を途中で変えていたのを思い出す。やけに生々しく聞こえるのは、そこら辺で大変だったのもかかわっているのかもしれない。
「そうだね。だからさっさとトリックを思いつかないと」
『毎回思ってたけど、あんたはそこから考えるんだ』
ミステリー書いているやつの頭ってわけわからないね。なんてどこか皮肉気な言葉。
「色々な人がいるらしいよ。最初から考えていって、後で犯人やトリック決めたりする人もいるらしいし。俺はちょっと怖くてやれそうもないけど」
今まで書いてきたものだって、破綻していないとは言い難いけど。だからといって最初から空中分解しそうな方へと足を向ける必要もない。そう思っていた。
『で、今回はそのトリックすら決まってないから書きはじめられない。ってことでいい』
はっきり言われる。まあ、まったくもってその通り。お手上げ。
「追い詰められればられるほど、本領を発揮するとか、そういう都合の良さがあればいいんだけどね。今のところ、その兆しも見られないから」
『実際、やったことは』
「何度か」
というかけっこうか。そんなほいほいトリックを思いつくほど芸達者ではないし。未来の俺に期待なんていうのは容易いけど。〆切までの時間をいたずらに費やしている身としては、もう少し楽もしたい。
『締め切り直前は、変な脳内麻薬も出るしね』
気持ちわかる。そう言っているみたいな声。姉ちゃんの原稿の命削って書いている感からするに、本当に麻薬でもやってそうな気がしないでもない。いや、そんなことはないはずだけど。
『けど、司郎は受験生だし、あんまり無理するのはお勧めしない』
ごもっとも。元より、無理をしてまでやりきろうみたいな気持ちはない。どちらかといえば、いかにカロリーを使わずに思いつくか。そんな感じ。
「じゃあ、ネタちょうだい」
『だから、ないってば』
以上ふりだしに戻る。っていうより、お互いないない尽くしっぽい。それがわかると同時にベッドに転がる。二段目のベッド裏の木目が見えた。
「そこをなんとか」
『自分のことで手一杯だよ』
今日の姉ちゃんは冷たい。いやいつも通りかも。まあ、ないものはないのだし、仕方ないか。
「そっちは、忙しいの」
とはいえ。せっかく電話したのにすぐ終わるのもつまらない。なんとなく言葉のキャッチボールを試みる。
『締め切り前だから、当たり前でしょ』
「そりゃそうか」
素気無い。というよりも、薄らとした苛立ちを感じとる。
「締め切り以外はどうなの。二学期始まったばっかりらしいし」
大学の夏休みは少し長いらしい。夏休み中。一週間くらい実家に戻っていた姉ちゃんの口から聞いた事柄だった。
『前とあんま変わんないかな』
「なにをしたりしてるの」
間が空く。なんとなくむずむずしてきた足をバタバタさせた。
『講義を受けて、サークル室に行って、帰って本を読んだり、パソコン打ったりしてから寝てる』
「そっか」
予想通りの端的な答え。ある意味、安心した。
「こっちは学校行って、理系の授業聞き流して、単語帳見たり、赤本覗いたりしてるよ。その間に、赤坂や小山と昼飯を食べたり、時々原稿のことを考えたりしてる。放課後図書館に行く回数は、前より減ったかな」
元文芸部長としては。図書館に残るべきなのかもしれないと思わなくもない。とはいえ、残っていると文芸部の同輩や後輩、顔見知りの図書委員会と雑談してしまいそうだし、少しでも誘惑は跳ね除けておきたかった。
電話越しに聞こえる安堵したような吐息。
『大変そうだね』
労いの言葉らしかった。正直、珍しい。
「泣いても笑ってもあと半年くらいだしね。やれるだけのことはやるつもりだよ」
『そうだね。その方が後悔も少ないと思うし』
どことなく実感の籠もった声。受験直前に進路を変更をした姉ちゃんとしては色々と思うところがあるのかもしれない。
「まだ、後悔すると決まったわけじゃないんだけどね」
いまいち志望大学に受かると思われていない気がして言い返す。
『どんな結果でも、多少はすると思うよ』
姉ちゃんのどことなく淡白な返事。だけど、投げ遣りというわけでもない感じ。よくわからず、首を捻った。
「どういうこと」
『半年後にはわかるよ。きっと』
詳しくは教えてくれそうにない。とはいえ、引き下がるのもなんなので。もったいぶらずに教えてよ、とねだってみる。もちろん、その質問の答えはなく、
『こんな感じでいいんじゃない』
代わりに返ってきたのはよくわからない言葉。思わず、なにが、と聞き返す。
『司郎が書く小説の主人公』
いつの間にか話題が小説に戻っていたらしい。けれど、まだまだピンとこない俺に、
『今の会話みたいに、実際の会話を材料にして主人公から物語を膨らませていくっていうのはどう。司郎はトリックからしか話を作ったことがないらしいけど、私としてはたまには人物から埋めていくっていうのもありなんじゃないかなって思っただけ』
言葉を重ねる姉ちゃん。ようやく主旨は見えた。けれど、
「できる自信がないんだけど」
いざ姉ちゃんが言った方法を俺がやるとなると、どうにも他人事のように感じられてしまう。なにより人物から話を組み立てて作っていくというのはピンと来ない。姉ちゃんが、はじめてだし無理もないか、と無機質に呟く。
『とりあえずなんでもいいから書きだしてみたら。それが今の私の出した案でも、これからの偶然の思いつきのどちらでもいいから。どうせ、今のところノーアイディアなんだから、失うものなんてないでしょ』
「たしかにそうだけど」
言葉を濁した。あるのは作りかけの話が瓦解する想像。まだ、やってもいないのにおそれが迫ってくる気がする。
『手を動かしてるうちになにか出てくるかもしれない。なんなら、トリックを考えながら、手だけ動かしてみてもいい。さしあたっては締め切り前に原稿を出せればいいんだから』
直後。水を飲む音が受話器越しに響いた。少し間を置いて、姉ちゃんの吐息がスピーカーに当たるのがわかる。
『気がすすまないなら、無理にとは言わないけどね』
「うん、わかった。ありがとね」
一応、お礼。途端にかえってくる、別に、の一言。ほっこりした。とはいえ、姉ちゃんの言った方法自体はやっぱりピンと来てないんだけど。
『そう言えば、小麦ちゃんとか順ちゃん先生はどうしてる』
小麦ちゃんとは同じクラスだったでしょ。付け加えられた言の葉に、ああうん、と曖昧に頷く。
「赤坂は相変わらずだよ。文化祭用の原稿ももう書けてて、あと二三本書くとか言ってるし」
『あの娘、司郎と同じ学年だよね』
少し間を開けてから訝しげな声音。うん、とまた曖昧に答える。
「けど、なんだかんだで要領いいからね、あいつ」
普段は馬鹿っぽいけど。心の中で付け加えつつも、これからやってくる大学受験で赤坂が泣いたり落胆したりしてる未来は見えない。なんだかんだでなんとかしてしまいそうな気がする。他人事だからかもしれないけど。
「なんとかすると思うよ。わかんないけど」
『そっか、それで先生の方は』
「そっちも、あんまり変わんないかな」
思い浮かべる三十絡みの男性教師の顔。喫煙室帰りのややイライラしていそうな感じ。印刷室の鍵をこちらに渡す時の心底どうでも良さそうな顔。
「時間がある時は製本も手伝ってくれるし、なにかと文芸部のために便宜もはかってくれる。姉ちゃんがいた時とそんなに変わんないと思うよ」
『そっか』
興味なさげな声。それでいてどことなく安心した感じ。半年前まで姉ちゃんがいた。当たり前を思い出し、なんとなく寂しくなる。
「姉ちゃんのとこの学祭は何日だっけ」
尋ねる。姉ちゃんは十一月頭辺りの三日間を口にした。
「大学は三日もやるんだね」
『なんか、自治会と学校側で学祭期間のことでもめてるらしいけどね。それにやる方もたるいし』
「そうなんだ。とにかく俺の方とは被らないね」
俺もまた十月下旬の二日間が文化祭だと告げる。一日目は学内のみで二日目は外部を含めたお祭りだった。姉ちゃんは知ってた、と答えてから、
『私の方は、たぶんそっちに遊びに行くけど司郎はこっちにくる』
「行くよ」
絶対行く。そう付け加えようとも思ったけど、なんとなくくどい気がしてやめた。
『益々受験勉強が忙しくなりそうだけど、大丈夫』
「大丈夫なようにするよ」
正直なところ自信はない。ただ、せっかくの姉ちゃんの顔を見られる機会を逃す手もなかった。
短い沈黙。
『そっか。だったら、待ってる』
平坦な答え。そこにほんのり期待が灯っているような気がしながら、俺もまた、うん、待ってて、なんて答えた。一緒に回れるといいな。そう思うけど、姉ちゃんには姉ちゃんの都合がありそうだし。望み過ぎかもしれない。
「うん、楽しみにしてるよ」
『その前に色々頑張んないとね』
現実逃避を許さない声音。それでいてどことなく優しさに満ちてもいる気もする。なんとはなしに笑う。なに笑ってんの、なんて言われる。なんでもないと答える。そのなんでもなさが、わけもなく楽しい。
ノック。入るぞ、と父さんの声。父さんが来たけど、替わろうか、と姉ちゃんに尋ねる。面倒臭げに、いいや、の一言。
「じゃあまた、おやすみ」
答えてから電話を切る。どうぞと応じた。父さんが入ってくる。
「随分楽しそうだったな。こっちまで聞こえたぞ」
「久々に姉ちゃんと話してたら盛りあがっちゃってさ」
答えつつも、父さんの顔を窺う。どことなく不機嫌そうに見えた。案の定、随分呑気だな、なんて言われた。
「ちょっとした息抜きだよ。ずっと張り詰めてたら疲れちゃうでしょ。色々と」
「随分と長い息抜きだったな」
声音には棘が感じられる。こういう時はなにを言っても無駄だな、と思い、起きあがった。
「そうだね。じゃあ、英語でもやろうかな」
「じゃあということは、父さんが来なかったらいつまでも勉強しはじめなかったんじゃないか」
今日の父さんはやけに突っかかってくる。よっぽど俺の声がうるさかったのか。もしくはなにか癇に障ることがあったのか。
そんなことはないよ、と応じると、本当か、と問われる。言外の、信じてはいない、を耳にした気がした。
「本当だよ。できるだけやるつもりだって」
言うだけ言う。なぜだかじっと見つめられた。照れるな、なんて冗談を飛ばせる空気でもなく。かといって勉強机に向かうには無視しづらかった。少しの間、ベッドの梯子の辺りでじっとしている。やがて、父さんは踵を返した。
「大学入試まであと数か月なのに、危機感が足りてない顔をしてる。今、一生懸命になれないで人間がいつ一生懸命になれるんだ」
そんな言葉を残し。父さんはバタンと扉を閉めた。
息を着きだし脱力した。勉強という気分ではとうになくなっていた。けど、だからといって机に向かわないと本当に大学受験で落ちる気がして、のろのろとベッドから降りる。体が重い。
そうして学習机までやってきた。机の上にはいくつかの密室トリックを二本線で消したものが書かれた痕。すぐに、というわけではなくても片付けるべき問題はまだまだあるんだな、と背もたれによりかかった。天井には、ベッドの裏と似たような木目が広がっている。
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