三
「水沢、それに譲原。こんなところで奇遇だな」
大型書店の二階。文庫の新刊コーナーの前。沼田は快活な調子で私と美亜を呼びながら手をあげてみせる。白い半袖のTシャツに緑色のジーンズ、濃い青のスニーカー。大学にいる時とさほど変わらない格好をした男の友人は嬉しそうだった。その姿を見ながら、やっぱり鉢合わせたか、と思う。
正直なところ、美亜から誘いがあった段階で、もしかしたら、という考えが頭の片隅にはあった。
ここら辺で私たち学生が遊ぶとなると、大学の周りか今いる駅周辺のどちらかというところで相場が決まっている。そして、遊びどころの多さという意味では後者の方に軍配があがった。おまけに、私たちは同じサークルに入る程度には趣味が近く、似たようなところに足を運びやすい。そうなればおのずと顔を合わせる可能性は高くなる。沼田の、用事の内容を鑑みればさもありなんといったところだった。
だから、その点に関しては驚きはあまりない。ただ、今日にかぎっては小さくない気まずさがなくもなかった。
「そうだね」
私の隣では、美亜が品定めするみたいにして沼田と隣にいる小野さんを楽しそうに眺めている。
気楽な沼田とは対照的に、小野さんの表情は少しだけ強張っているように見えた。薄桃色の半袖のブラウスに紺のショートパンツを合わせた女の友人の姿に、申し訳なさをおぼえる。
つまるところ沼田の用事の内容を伝えてきたのはこの大学でできた女の友人だった。というよりも、そもそも今日の沼田を誘いだすという計画の段階から、私も少々噛んでいる。美亜がやってくるという連絡がなければ、私は下宿で一人、本を読んだりワープロと睨めっこをしているはずだった。
「水沢さん。この人は」
控え目に微笑む小野さんに、地元の友だちで、と答えてから、それとなく目線で謝意を示す。大学でできた女の友人は薄い笑みを浮かべた。
「はじめまして、譲原さんでいいのかな。わたし、小野立花って言います。沼田君と水沢さんとは大学で同じサークルなんだ」
人懐っこい顔で口にされた挨拶。美亜は同じように笑ってみせて、あたしは譲原美亜、よろしくね、とひらひら手を振って応じたあと、
「それで、二人はデートかなんか」
包み隠すことなく切り込んでいった。小野さんの顔が薄っすらと紅潮したように見える。私は隣の美亜に視線を送るけど、女の幼なじみはとても楽しそうにするばかりだ。
「そんなとこじゃね。一緒に飯食って、ぶらぶらしたりしてるし」
一方の沼田には相変わらず緊張が見受けられない。むしろ、大学にいる時よりも饒舌な気すらした。
「スグルもなかなかすみに置けないねぇ。ちょっと、感動もんだよ」
「こんなの普通だろ」
「それは持てるものの言葉だよ、スグルくん」
つい数ヶ月前までは聴き慣れた軽口の応酬。そんな二人を眺めながら棒立ちする小野さん。隣にいる美亜のワンピースの腰の辺りを引く。
「どしたの梨乃」
「そろそろ行こ」
ぼんやりとこっちを向いた美亜を訴えかけるように言った。逆光のせいか幼なじみの背丈は普段よりも高く感じられる。美亜は物足りなさみたいなものを隠すことなく顔に出したあと、小さく息を吐いた。
「そうだね。そう、しようか」
言ってから、沼田と小野さん相手に微笑む。
「それじゃあね、スグル。それに小野さんも機会があればまた」
「待って」
別れの言葉を遮るようにして小野さんの声がかぶさる。途端に瞬きをする美亜の横顔を目にしながら、私もまた、この大学でできた友人が何を言い出すのだろう、と戸惑う。
「二人とも、これからどこかに行く予定があったりする」
「いや、適当にぶらぶらするだけだけど」
美亜の言葉に、小野さんはほっとしたように息を吐きだしてから、野に咲く花みたいな顔をした。
「良かったら、みんなでお茶でもしない」
/
お茶、という言葉のこの国風な感じとは異なり、私たち四人がやってきたのは大型書店の隣にくっつくようにしてあるハンバーガーチェーンだった。
四人掛けの席の壁際のレザーシートに沼田と小野さん、通路側の茶色いプラスチック製の席に私と美亜がそれぞれ座る形となった。
「いや、スグルってば昔からへらへらした顔しててね。それが腹立つの何の」
「そんなことないよ。むしろ、人懐っこくていいんじゃない。ねぇ、沼田君」
「いや、同意を求められても困るんだが」
沼田を主題にして盛り上がる二人と鬱陶しそうな態度をとる本人を眺めながら、アップルパイを齧ってから、紙コップに入ったお冷やを口につける。特に予定は決まってなかったけど、美亜が夜までこっちにいるとすれば、外食になりそうだったのでできるだけ節約しておきたかった。それにしても、だ。
ぱっと見るかぎり、小野さんと美亜は仲良さそうにしてる。酒の肴よろしく話題の中心にいる沼田も同じで、傍目からみれば私だけがこの三人の輪に後から加わった新参者に見える気がした。それにしても小野さんの考えがよくわからない。
数日前、相談に乗った時は、二人きりになりたい、と頑なに主張していた。私はいまだにその考えだと思って、さっさと行こうとしていたんだけど、なぜだかこうやって、お茶に引きこまれている。
私たちに会って小野さんの計画が変わったというのだけは理解できたけど、それがどのような思惑があって行われたのかまではわからない。いや、もしかしたら深く考える必要なんてどこにもなくて、ただ沼田の高校時代の同級生の話を聞いてみたかっただけなのかもしれないけど。
「三人はいつから仲が良いの」
ストロベリーシェイクを手にしながら口に出された小野さんの問いかけ。私は左斜め前に座る沼田と隣にいる美亜のそれぞれをちら見してなんとはなしに顔を見合わせる。
「俺が二人と知り合ったのは高校入ってすぐくらいかな。なんか、文芸部を冷やかしに行ったらほぼ同じくらいのタイミングで水沢と譲原が先輩から話を聞いててな」
「あたしと梨乃は小学生に入った時かな。同じクラスで割と席も近かった覚えがあるよ」
ぱっと話す沼田と思い出すようにして口にする美亜。こうしてみると高校と大学の境目で入れ替わるみたいにして私の隣にいる人間は変わったんだなと思う。
「最初から仲が良かったの」
「どうだろ」
答えながら記憶を探る。沼田の第一印象はあまり良くなかった。そもそもからして、部活に入るのすら面倒くさがっていたあたりが癇に障った。翻って、美亜と沼田の仲はどうだったろう。何分昔のことで記憶もおぼろげだった。
「俺たちの学年は文芸部の部員も三人だけだったからな。自然と話す機会は多くなった感じ」
「そうだね。だけど、スグルは最初の方は男の先輩と話してることが多かったかも。すぐに同じくらい話すようになったからあんま気にならなかったけど」
「中学より前は女とつるむこともあんまなかったから、単純に距離を測りかねてたから及び腰になってたかも」
「なにそれ。スグルってば意外にナイーブだったわけ」
「うるせ」
二人のやりとりに引きずりられるみたいにして、頭の中にはついこの前までその場にいた高校時代の思い出が蘇えってくる。とは言っても、一年目は学内図書館の入り口手前のラウンジでだらっとしていた記憶しかない。部室なんて上等なものはなかったから、必然的によく足を運ぶ場所が溜まり場で、毒にも薬にもならない話を小声で交わしていた。一ヶ月に一回の締め切り前こそ足を運ぶ回数は減ったけど、基本的には同じ場所でずっとたむろしているのには変わりがなかった。
「じゃあ、二年になってから司郎が入ってきてけっこう安心したんだ」
おかしげな美亜の言葉に、ああ、という曖昧な返事をする沼田を見ながら、そう言えばあいつも入ってきたんだったな、と思い出す。
「シロウって誰」
不思議そうに首を傾げる小野さんに、美亜は、ごめんごめん、と両手を合わせて謝意を示したあと、すぐに解いた右掌で私を示した。
「司郎っていうのは、梨乃の弟ですごく可愛いんだよ」
なぜだか誇らしげな様子な幼なじみの言葉をこそばゆく思いつつも、興味深そうにこっちを覗きこんでくる大学からの友人の顔とお見合いするようなかたちになる。
「へぇ、水沢さん、弟がいたんだ」
「話してなかったっけ」
既に話したつもりだった。小野さんの、うん聞いてなかったかも、という控え目な言葉。それを耳にして、いるんだよ、となぜかたしかめるように口に出した。
「そうなんだ。なんとなく一人っ子だと思ってた」
たまに言われる、なんて答えつつも、無意識に弟のことを口にしないようにという気持ちがはたらいていたのかもしれない、と思わなくもない。
「司郎も来年は梨乃たちと同じ大学を受けるつもりなんでしょ」
美亜の言葉に、弟の進路がどこから漏れたのだろうと不思議に思いながら、そう聞いてるけど、と答えた。もっとも、私と違って美亜は地元にいるのだから、司郎と話す機会もそれなりにあるのかもしれない。
「そっか。じゃあ、そのシロウ君は来年、わたしたちの後輩になるかもしれないんだ」
「わかんないけどね」
五月に帰省した時も普段通りのほほんとしているように見えたけど、頑張ってはいるらしい、と両親から伝え聞いている。とはいえ、時々連絡を取りあっている感じだと弟自身の思った通りの成果は上がっていないように見えた。そういうところからすれば、かもしれない、という小野さんの言葉そのままだ。
「梨乃がそんな弱気でどうするの。頑張っている弟を応援してあげないと」
「応援しないなんて言ってないって」
せっつくような言葉を畳みかけてくる幼なじみの女にややぞんざいに応じつつも、本当のところ司郎と同じ大学に通いたいのか、という疑問に行き当たった。
たぶん同部屋になるから狭くなる。誰かがいるのは安心する。うるさくなってうざい。寂しい時にとりあえず適度に相手にさせることができる。一人で本を読む時間が減る。二人で本を読む時間ができる。傍に人がいるだけで落ち着かない。隣に寝ていると落ち着く。近付いてきて欲しくない時に寄ってくる。すぐに抱き寄せられる。
頭に浮かんだもろもろの映像を結んでいってもどっちがいいのかいまいちよくわからなくてぐるぐるした。
「どうしたの水沢さん。なんか、難しそうな顔してるけど」
「なんでもないよ」
諸々の考え事が顔に出ていたらしい。小野さんは、そっかそれだったらいいんだけど、と呟いたあと、弟君受かるといいね、と口にする。私は自分の気持ちがよくわからないまま、そうだね、と控え目に肯定の意を示した。沼田がじっとりとした視線を向けてきたけど、気付かない振りをする。
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