二

 *


 梨乃、明日暇かな。


 昨日、幼なじみの美亜から急に電話がかかってきて、挨拶もそこそこにそんなことを言われた。美亜の声を耳にしたのが三ヶ月近くぶりだったのもあって、最初こそ戸惑ったけど、よくよく考えてみれば昔から前触れがない娘だったな、と思い出して、空いてるよ、とすぐに応じた。家にこもって本を読んだり新作をちょこちょこ書こうと思ってたけど、緊急というわけではなかった。とはいえ、地元に帰るとなるとやや交通費が痛い。


 じゃあ、明日そっち行くから。駅に迎えに来てよ。


 だけど、私の心配をよそに、美亜はこちらにやってきてくれるらしかった。ちょっとした気がかりが頭の片隅に膨れあがる一方、交通費がかからないことに少しだけほっとしてから、何時くらいに来るの、と尋ねた。


 顔を合わせなくなってからせいぜい三月くらいしか経っていないにも関わらずやけに懐かしい感じ。思えば、ここのところ高校以前の知り合いと久しぶりに顔を合わせたり話そうとしている時にはほぼ必ず抱く所感。それだけ、一ヶ月だとか二ヶ月だとか三ヶ月だとかは私にとって長い月日だったということなのか。あるいは、既に過去の出来事は別世界になってしまっているのか。戸惑いつつも、約束を交わしてから電話を切った。


 どことなくそわそわし出していた。


 /


 初めて入ったイタリア料理屋のメニュー表は私の想定していた値段よりも少し高い。美亜が暢気な声で、どしたの、と聞いてきたのに、なんでもない、と答えてからできるだけ安そうなメニューを選んだ。楽しげな友人の方も割合早くメニューを決めたみたいで、すいませーん、と声を出し店員を呼びだす。


 私がヤリイカと明太子の和風パスタ、美亜がペスカトーレのコーヒーセットを注文したあと、それを復唱した若い女性店員は立ち去った。


「こうやって顔を合わせるのも久しぶりだよね」


 両手で頬杖をつきながら笑顔を浮かべる友人の声に、私は、そうだね、と同意を示してお冷やを口に含み、さり気なくその顔を観察する。


 最後に会った時から顔かたちに大きな変化があらわれたというわけではないけど、なんとなく大人びているような気がした。


「なんかまだ大学生になった実感が湧かないよ。あんまり変わった感じがしないんだよね」


 どことなく遠くを見るような目をしながらそんなことを言う美亜。室内灯が桃色の唇を映えさせる。


「私は逆かな」

「逆ってことは、もう大学生活に慣れたってこと」

「そこまで言はえないけど」


 一人暮らしだからかな。思いつきで付け加えた言葉だったけど、私と美亜の違いを端的に示しているような気がした。友人もそう思ったのか、たしかに、と頷いてみせる。


「こっちは実家暮らしのままだし、周りの人が変わっただけであんまり高校の頃と変わってないのかも」

「そっちの大学にはけっこう知り合いがいたりするの」


 尋ねてみると、美亜は眉に薄く皺を寄せて、ちょくちょくかな、と首を捻った。先程まで友人の首があった位置の後方には、縦長のワインセラー。棚が五つに分かれたにそれには横向きにボトルが何本か入っている。


「あたしはそのまま付属から大学に上がったけど、そんなに魅力のある学部があるってわけでもないからね。進学組みの八割以上は梨乃やスグルみたいに外の大学に行ったんじゃないの」


 私と沼田の名前を口にした美亜の声は平べったかったけど、どことなく含みを感じさせた。そして、私はその含みの正体を察する。


「ごめん」

「なにが」


 知らんふりをする美亜の目は元々細めなせいもあってか、ただただ鋭く見えた。狐みたいだ、と子供じみた感想を持ったあと、約束破って、と囁くように口にした。


「いいって。だいたいその話はもう二学期と三学期に散々話したじゃん」


 ひらひらと手を振りながら発せられる友人の気軽な言動に、だったら蒸し返すようなそぶりを見せないで欲しい、と思いつつも、恨み言の一つや二つをもらうのは仕方ないと感じている。


「でも、ごめん」

「だから、いいって言ってるじゃん」


 薄い微笑み。その下にある感情は読みとりづらいものの、いまだに残っているしこりが見え隠れしている気がした。

  

 一緒の大学行こうね。ありふれた約束。少なくとも口にした時は守ろうとしていたそれは、忘れえぬ後悔としていまだに私の中で息づいている。


「けど、まさか、スグルも外の大学に行くっていうのは予想外だったけど。いや、それは嘘か」


 美亜は少なくとも表面上、ただの茶飲み話くらいの感じでおかしげに口にしてくれていた。あまり続けたい話題というわけではなかったけど、強引に他の話に持っていくほどの気力もなければ手段を思いつかなかったのもあって、嘘ってなにが、と尋ねる。友人は、カマトトぶらなくてもいいじゃん、とわずかに身を乗りだした。


「そりゃ、梨乃に着いてったんでしょ」

「そのくらいのことで大学を決めるほど馬鹿じゃないでしょ、沼田は」

「スグルのそういう気持ち自体は否定しないんだ」


 途端にニヤニヤしだす美亜を少しだけ鬱陶しく思いつつも、告白されたし、と口にしそうになった直前で考え直し、ちょっと仲がいいくらいで大学は選ばないでしょ、と言う。


「あたしはそんな風に選ぼうとしたし、梨乃も最初は仲がいい人がいるからで大学を選ぼうとしてたでしょ。だったら、スグルがそれだけで決めるのもあり得るんじゃない」

 

 美亜の答えを耳にして、たしかに私も最初は、その程度、の理由で大学を選ぼうとしていたし、よくよく考えてみればこれから受験をする弟もまた同じような理由で勉強に励んでいる。


「ごめん。普通にあり得るね」

「でしょでしょ。もっとも、スグルとしてはただ仲が良いからだけってわけでもないんだろうし」

「仮に仲の良さが大学選ぶ一因だったとしても、それ以上のなにかはないでしょ」


 そう応じつつも、美亜の言葉にちょっとした悪意を感じる。考え過ぎなのかもしれないけど、わざとこちらの弱いところばかり話題にされているような。


「そうかなぁ」


 もったいぶったような口ぶりに、そうだよ、と応じてから冷やで唇を湿らす。既に半分くらいに減っていた。とにかく共通の交友関係の話題から遠ざかりたかったものの、いかんせんもっともお互いが合わせやすい話だけになかなか離れることが難しく、なによりも美亜自身が話したがっている以上、無理に遮るのは気が引ける。


「スグルとしては梨乃ともっと仲良くなりたかったんじゃないかなって、あたし思うんだけど」


 私の気持ちを知ってか知らずか、更にずけずけと踏みこんでくる友人に、どう振る舞おうかとまごまごしているところで、お待たせしましたヤリイカと明太子の和風パスタです、という女性の声が耳に入ってきた。助かった、と思い、手をあげて応じる。目の前に置かれた薄橙色の麺から漂う魚介と醤油っぽい匂いを嗅ぎながら、腹の空きを意識した。


「先に食べてていいよ。たぶん、すぐに来るし」


 促すようにして手を更に方に向ける美亜の声はまだまだ名残惜しそうだったけど、私は気付かない振りをして、ありがとう、と答えてから手を合わせ、いただきます、と口にする。


「どうぞ」



 昼食を済ませたあとの店内で、コーヒーを楽しむ美亜ととりとめのない会話を長々と楽しんだ。最近読んだ本の話や、大学の講義のこと、サークルでのこと、休日の過ごし方。都合の悪い会話にならないようにと注意を払ってはいたものの、段々と自然と会話は弾む。

 

「こっちに来て、なんかやりたいこととかあったの」


 時刻が三時を回った時になって、本来は真っ先に尋ねるべきだったことを口にする。


「いや。久々に梨乃と会いたかっただけだけど。なんで」

「もしも、図書館とか美術館に行きたいとかだったら、そろそろ時間が危なくなりそうだなって思って」 


 そう口にしている最中、図書館はともかく美術館の場所をよく知らないなと思い当たる。なんだかんだでこの町にやってきて三ヶ月も経ってないうえに、生活のほとんどは家と大学の間の往復と、ちょっとした買い物で完結してしまっているせいで、なかなか町の探検というところまで手が回らないでいた。


 美亜は首を横に振り、


「さっき言ったとおりで、特に何かしたいとかそういうのはないよ。それとも梨乃的におすすめの場所とかあったりするわけ」


 そう尋ねてくる。私も特に心当たりがなかったので、少し考えてから、


「本屋、かな」


 自然と足を運んでいる場所を口にした。この反応は予想できていたらしく、美亜は、ぷっ、と吹きだされる。


「梨乃ってば、ホントぶれないよね」


 どうせ私の行動範囲は狭いですよ、なんて思ったりしながら、何杯目かのお冷やのお代わりを飲む。お腹がちょっとたぷたぷした。


「まあ、いいけど。あたしも本、好きだし」


 それはよく知ってる。小学生の頃からの幼なじみはだてではない。たしかおぼえているかぎりの最初の会話も、なに読んでるの、みたいな感じだった気がする。


「それで、梨乃のおすすめの本屋まで行くのにどれくらいかかるの」

「漫画アニメ専門系の店だったらこの階の下だから一分かかるかかからないかくらい。普通の本屋だったらこのビルの三階上だけどこっちも一階よりちょっと時間がかかるくらい。町で一番大きい本屋は駅を出てから二、三分歩くかな」


 なんだかんだで中心街の最寄り駅であるというのもあって、買い物には便利な場所だなとあらためて思う。


 美亜は少し考えるような素振りで窓の外を見たあと、じゃあ一番大きな本屋に行こうか、と口にした。視線の先を追えば、外は依然として暗いまま。窓に雨粒が降りかからない位置に店があるため、正確な天気は探りにくいものの、まだ止んでいない気がする。


 再び友人の方を見れば、両手で頬杖をつきながら、力を抜いて笑った。


「大学生になってもやること変わらないね、あたしら」

「そうかも」


 慣れないことだらけで慌しくはあったけど、やってることに大差があるかといえばそういうわけでもないし、たった数ヶ月程度で好みが変わったわけでもない。それを思えば、少し喋っただけで以前と同じ調子になるのは別段不自然ではないけど、ちょっとだけ不思議な気分だった。


「これでスグルもいたら、高校の時と一緒なのにね」 

 

 頷いてみせながら、沼田の下の名前にまた色々と突っつかれるんじゃないかと警戒する。けれど、美亜にはそんなつもりはないみたいで、少しだけ物足りなさそうに小さく息を吐き出した。


「誘ってはみたんだけどね。ダルそうに、用事があるとか言ってさ。こういう時くらい空けといて欲しいよね」


 薄っすらと同意を求めてくる美亜に、そういうこともあるって、となんとも言えない答えを口にする。実を言えば、沼田が今何をしているのか、知っていた。沼田本人経由の情報ではないから絶対とは言い切れなかったものの、たぶん思ったとおりだろう。


「いや、わかるよ、わかるけどね。なかなか、会えない友だちを優先してくれてもいいんじゃないかと思うわけですよ」


 愚痴を漏らしつつも、美亜の声はどことなく軽く聞こえた。なんだかんだで受けいれているんだな、と察した私は、今日一日私が付き合うから、と笑みを作ろうと努める。友人は目を軽く瞬かせたあと、なにそれ、とおかしそうな様子を見せた。


「そうだね。梨乃と二人きりってのも悪くないし」


 美亜の表情に少しほっとする。たとえ、どんな形でも笑ってくれていた方が嬉しいと心の底から思った。

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