ずっと前
一
六月中頃、休日の昼時。ざわつく改札口前を多くの人が行き来している。一番多いのはスーツ姿の男性とちらほら混ざる女性で、その次に数が多いのは地元大学生とおぼしき若い男女。その他にも子供連れの夫婦や、制服を着た少年少女、浮浪者じみた老人などなど。
そんな人の行き来を柱に寄りかかりながら一瞥してから、改札上にある丸時計の針へと目を移す。十三時少し過ぎ。鞄から携帯を取りだしてみるけど、小さな丸いランプは点灯してない。まだ焦ることはないか。
手元のハードカバーに目を落とす。中年男性が女の子に話しかけられている場面。読み進めていくうちに、女の子は男性の娘の生まれ変わりだと主張していることがわかっていく。
面白いから読んでみ。なんか参考になるかもしれないし。貸してくれたカズ君先輩はそんなことを言っていた。つい先日のペンクラブで作った雑誌の品評会で、他の先輩や同輩たちになんとも言えない反応をされた後だったからか、かの先輩なりに私を励まそうとしてくれたのかもしれない。その後、浮気してるの、なんて彼女の明石先輩にからまれてたカズ君先輩には少し悪いことをした気がしたけど。
そして今日、積み本を三冊くらい片付けてようやく件の本に取りかかっている。
今のところはなんとも言えないものの、なんとなく私の趣味ではない気がする。少なくとも、生まれ変わり、という言葉に最初覚えたほどのどきどきが返ってきていない。読みはじめたばかりで、ごちゃごちゃ考えている時点で色々と間違っているのかもしれないけど。
ばたばたとした足音がこちらに近付いてくる気配。本を閉じながら顔を上げると、美亜が右手を上げながら歩み寄ってきた。
「ごめん、ちょっと遅れた」
白い半袖のワンピースを着た女の友人は、やや荒い呼吸を落ち着けようとしている。私は、いいよ、と言ってから、久しぶり、と付け加えた。
「うん、梨乃も久しぶり。元気だった」
名を呼ばれた私が、うん、と応じると美亜は、素っ気ないよ、と長く伸びた黒い髪を鬱陶しそうに掻きあげながら笑う。卒業式の日に会ってからあまり変わってなくて安心した。美亜は大きな背中を思い切り伸ばしたあと、私の顔を覗きこんでくる。
「大学でも眼鏡のままなんだね」
「今更コンタクトにするのも面倒だし」
答えながらこの友人が卒業式の日の前後に、大学デビューするんだったらコンタクト、とか力説していたのを思い出す。ぶっちゃけいまだに眼鏡なのは、目に異物を入れるのをためらったというのが一番の原因だった。
「もったいないな。絶対綺麗になるのに」
たいして変わらないよ。そう思いつつも、興味ないから、と応じる。美亜は大袈裟に溜め息を吐いたあと、ダメだよ、と私の方を指差した。
「その色気のない服といい、もうちょっと着飾った方が絶対楽しいって」
言われてから見下ろす。白い運動靴、紺のジーンズ、黒い半袖のTシャツ。だいたいいつもの私の服。顔をあげてから頭を掻いた。
「動きやすくていいと思うけど」
「そういうんじゃなくてさ。遊びが足りないって言うか。もう、これだから」
友人の苦笑い。あんまりそういうことに楽しみを見出せないし、と言いそうになったところで、これ以上は長引きそうだな、と思い直す。
「このまま立ち話もなんだし、どっか入らない」
あわよくばこの話題自体を流してしまおうと提案する。美亜は切れ長の目を細めてじっとりとこっちを見ていたけど、小さく息を吐き出して、
「そうだね。お腹も減ってきたし」
そう答えた。ほっとしながら、閉じた単行本を鞄にしまおうとする。
「なに読んでたの」
素朴な疑問に、先輩から借りた本なんだけど、と口にしてから、紙のカバーのかかった表紙を捲ってタイトルを見せると、これかぁ、と友人は声を弾ませた。
「本屋に並んでたからちょっと興味あったんだよね。千五百円くらいだったから、買うかどうか迷ってたんだけど」
なんてたって生まれ変わりだしね。そう告げる美亜を見て、だいたい私と同じところに興味を持っていたんだなぁ、と思う。もっともやや古い本寄りで雑食気味な私と違って、趣味がファンタジー寄りの美亜だったらそこに興味を持つのは当然の帰結なのかもしれない。
「たしかにちょっと考えるよね」
「梨乃だったら文庫本二冊くらい買っちゃいそうだしね」
軽い口ぶりの友人の台詞はまさにその通りだった。私は、そうかもね、と応じてから、何か食べたいものある、と尋ねる。
「なんでもいいけど、スパゲッティとか食べたい気分かも」
「わかった」
私は先んじて歩きながら、付いてくるように促した。美亜は、ごっはん、と楽しげに口にしながら隣に並んでくる。人の波の間を通りぬけながら進みつつ、駅に隣接した百貨店内のイタリア料理チェーンを頭に浮かべつつ、進行方向左側を一瞥した。
大きめの窓の外側にはいくつもの水滴が付着していて、次々に入れ替わるようにして雨粒がぶつかっていく。正直なところ外を歩きたくはなかったので、美亜の提案はありがたかった。できることならば、ご飯とお茶を済ませたあたりで止んでくれるとありがたいけど、さて、どうだろう。
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