四

「それでは、皆様が無事に原稿を提出できたことを祝しまして。乾杯」


 ファミレス内のボックス席。私の隣、窓際の席に陣取る小野さんが音頭をとるのに合わせて、同期生四人でプラスチックのコップをこつんとさせ、乾杯、と復唱した。


 どことなく無機質な声音が気になって対面に座る広瀬君を見れば、さっき注文したばかりなのにもかかわらず、次なる狙いを定めるみたいにメニューに目を落としていた。どうやら、既に臨戦態勢らしい。って言うか、料理が届いていないうちにもう次に意識を向かわせているのか。


「悪かった。焼肉って話だったのに」


 コーラの入ったコップを下ろした沼田が、その対面に座る小野さんに軽く頭を下げる。小野さんは手をひらひら振ってから、いいよいいよみんなで楽しくご飯が食べたり飲んだりお話したりできれば、と笑った。


 予算。焼肉屋がファミレスになった理由は主にその点だった。


 ここ最近の不況のせいか、大学の回りにある焼肉屋の多くは店を畳んでいると背景があったうえで、生き残っていた店のコースの値段がどこもかしこも二千円とちょっと以上からだった。焼肉基準でみれば特別に高い値段というわけじゃない。けど、私の頭の中には文庫本三冊か四冊買えるよね、という欲望がちらついた。とはいえ、お祝いなんだしそれくらいの出費はやむなしかと口には出さないでいた。


 けど、私の飲みこんだ気持ちを代弁するみたいに、沼田が高いと主張した。小野さんは最初こそコース以外にも安く済ませる方法があると説得しようとしてたけど、値段の調整のしやすさ、なによりもほかならぬ沼田の願いということで大学近場のファミレスということに決まった。


 肉がいっぱい食べられないのは残念だけど、ファミレスのメニューも好きだから楽しみだよ。


 そんな広瀬君の一言がまとめみたいで印象深い。


「それにしても沼田君と広瀬君は原稿の提出早かったね。特に沼田君は〆切一週間前くらいだったし」

「ああ。あんまりぐだぐだ粘っても仕方ないしな。そこはさくっとな」


 特に気どった様子もない台詞を耳にして、あんたはそうかもね、と口にしてカルピスをストロー越しに吸いあげる。ちなみに私と小野さんはぎりぎり提出だった。


「僕はなんでかわからないけど笑えそうなアイディアがいっぱい出てきたから。本当はもう一本書いて出したかったんだけどね」


 達成感ゆえか満足気な顔を見せる広瀬君。食べ物関連以外でこんな表情は初めて見たかもしれない。いや、私があんまり関わってないだけか。 


「広瀬君は今回が小説書くの初めてだったりするの」


 たしか、文芸部に入ってたみたいな話は耳にしていなかったので尋ねてみると、大きく頷かれた。その際、やや下膨れ気味の頬肉が揺れる。


「書いてみたいとは思ってたんだけどね。なんとなくそういう機会に恵まれなくて。できれば笑える小説になってるといいな」

「そっか」


 初めてともなるとかちこちになって書き進められない人もいるけど、開けっ放しの蛇口みたいな勢いで書ける人もいる。今回見た感じだと、小野さんが前者で広瀬君が後者みたいだった。


「やっぱり沼田君も広瀬君もすごいね。わたしはなかなかまとまらなかったな。最後の方なんか、なに書いているのかよくわかんなくなってたし」


 少しふくよかな男の同級生とは異なり、小野さんの声は弱々しい。たしかにここ一週間くらいの小野さんは、日に日に追いつめられっていってるようだった。その感じはあまりにも身に覚えがありすぎるうえに〆切直前まで一緒に粘っていたのもあって、他人事として切り離せずにはらはらしていた。


「この後、みんなに品評されたりしたりするって考えると、憂鬱になってくるよ」


 目の前にあった重圧から解放されたにもかかわらず、女子の同期生の顔は晴れない。そう言えば、今回書いた原稿をまとめたら一人一人の書いたものを品評した文面を提出するっていう話になっていたっけ。高校の時も感想会みたいなことはしょっちゅうやってたけど、わざわざ文章にしてみせるとなるとたしかに緊張する。


「あんま固く考えなくていいんじゃね。先輩たちも俺たちにそんなに多くを求めないだろうし。できるかぎりやれるかぎりで」


 そう口にした沼田はコーラを吸いあげた。見るかぎりいたっていつも通りの顔をしている。あんまり、人の評価を気にしていないということか。


「そうかな。怖い先輩とかいないかな」

「大丈夫だろ。高校の頃から文芸部とかずっと書いてるとか言ってなければ、当たりは弱いんじゃないか」


 不安気な小野さんにそう答えたあと、沼田は楽しげな様子でこちらを見やる。そう言えば、新観後すぐにクラブ入りを決めた時も、即戦力だ、などと喜ばれていた覚えがあった。これはつまり、私と沼田相手には少々当たりが強いということになるわけか。そんなことを考えている間に、山盛りポテトがテーブルに届く。


「じゃあ、僕と小野さんは気楽にやれて万々歳だね」


 はっきりそう口にした広瀬君は、じゃあいただきます、といち早く言ってから、すぐさまポテトに手を伸ばした。


 他人事だと思って。もしくはただ単に広瀬君自身と小野さんの喜びだけに集中して、私と沼田のことは意識から抜け落ちていたということか。


「うん。面白がってもらえればいいけど」


 小野さんの力ない声を出しながら、ポテトに手を伸ばす。その光景を眺めながら、小さく吐きそうになった溜め息を殺してから、いや人につまらないとかわからないって言われるのなんて今更か、と自らに言い聞かせ、大皿へと指先を向けた。窓側斜め前からほぼ同じタイミングで大きな五本の指が目に入った。温いポテトをつかんでから顔をあげると、ニヤニヤしている沼田も一歩遅れて私と同じものをつまみあげる。


 今回沼田はどんなものを書いたんだろう。なんだかんだで小野さんの相談に乗っていたのもあって、他の人がどんなものを書いたのかはあまり知らない。とはいえ、高校の頃からの傾向からすればあまり私の興味のない分野であることが多かったし、あえて聞くことでもないか。そう思い、ポテトをパクリとする。思ったよりしょっぱい。


「なんか、俺に言いたいことでもあったっか」


 目が合ったせいか、そう尋ねられたけど、首を横に振ってからカルピスを含む。ポテトは他のみんなに任せた方がいいかもしれない、と思ったところで雪崩みたいに料理が届きはじめた。とにもかくにも、これからわいわいがやがやしだすということか。机がうるさくなっていくのを眺めながら、目の前に届いたオムライスの匂いに食欲をそそられた。


 *


 腹が満たされ、少し目蓋が重くなったのを感じつつも、ドリンクバーで淹れてきたブラックコーヒーで目を覚ます。大分暗くなった空に染められた可愛らしい女の友人と高校の頃からの同級生の男の話を見る。


「へぇ、それじゃあ、沼田君はけっこうこの大学ぎりぎりの成績で入ったんだ」

「そうなんじゃね。英語とか全然わからんかったから、絶対落ちたって思ってたし」


 酒が入ってるわけでもないのに二人ともテンションが高い。これもまた開放感のせいか、なんて思いながら、対面をちらりと見やると、先程頼んだばかりのチキンを勢いよく租借する広瀬君の姿。たしか最初の時点でステーキとまぐろ丼とかいうあまり合わないもの二つだった気がしたけど、その後もちょくちょく追加注文をしていた。お腹大丈夫だろうか、というのと、お金足りるんだろうか、という疑問の両方が頭の中に浮かぶ。一応、今回、人より食べる広瀬君がいるっていうことを考えて、全員別会計ということで話はまとまってはいたけど、それはそれでこのふくよかな同級生の懐が心配になった。まあ、ファミレスだしね、と深く考えないようにする。


「わたしはけっこう余裕だったかな。前もって準備してたし、模試の判定もだいたいAだったし」

「そんなにこの大学に入りたかったのか」


 不思議そうな沼田の問いかけに、うん、という嬉しそうな声。


「電車二本で、早ければ三十分ちょっとで来られるし、オープンキャンパスの時も雰囲気が良さそうだったから。下宿にも憧れたけど、一人で色々できる気がしなかったから通いにしたんだ」

「いざやってみると、けっこう楽だぞ。なにより水沢みたいなやつでもつとまるんだし」


 名指しされて目が冴える。


「それ、どういう意味」

「言った通りだよ。お前、放っておくと本読むかノーパソに向かって文章打つくらいしかしそうにないし、一ヵ月後干物になってそう」


 失礼な、と思ってすぐ、休日に面白い本を読んでいて二日くらい飲み食いを忘れてちょっとふらふらになったことを思い出す。


「さすがにそこまでずぼらじゃないつもりなんだけど」


 諸々のことを棚上げしてそう言ってみるけど、説得力がなかったのか、沼田に鼻で笑われた。いらっとくるけど上手く言い返せないので、コーヒーを口に含む。冷めはじめていた。


「朝早くから電車で通うのは眠いけど、慣れてくるけっこう楽しい気がするんだよね。だから、僕はずっと実家からの通いになりそうかな」


 目の前にあるチキンをたいらげた広瀬君が会話に加わってくる。その会話はあったかもしれない可能性を思い起こさせた。当初の親との相談では、年頃の娘の一人暮らしは危ないという割とよくある理由をお父さんが訴えていたな、と。ただ、大学の都合で帰るのが遅くなった場合のことを考えれば、むしろ帰り道が短い方が安全なんじゃないか、みたいなお母さんの声もあったりして、最終的に今の状況に落ちついている。


「そうかなあ。朝の電車って人がいっぱいいて窮屈だし、座れないと疲れるし、おまけに眠いし。乗らないでいいなら乗らないでいいにこしたことはないよ」

「近いから選んだのに、そんなこと言うのかよ」


 わざとらしくぐったりと机にうつぶせになる小野さんに、呆れたような沼田の声。女の友人は可愛らしい顔を少しだけ疲れたように歪めて、近くても窮屈なものは窮屈だし眠いものは眠いって、なんて言う。


「沼田君と水沢さんは大学近くだし、一限目でもよく眠れたりするんでしょ」


 無邪気な問いかけに口ごもる。そうしたあと、頷こうとするけど、わずかなためらいが生じた。沼田がおかしげにこちらを見てから、目を細める。


「俺は深夜のバラエティとかに引っかからなければ、かなり楽に登校できるけど、水沢はたぶん何時でも同じだぞ」

「どうして」


 きょとんとした顔をする小野さんを横目で見ながら、高校からの同級生の男を軽く睨みつけてみせる。けど、沼田はどこ吹く風といった感じで私の方を人差し指で差した。


「自由にできる時間があると全力で自分のやりたいことに使っちまうやつだからな、こいつは。だから、毎日、本にのめりこんで睡眠不足になってるんじゃないか」

「そこまで酷くないって」


 言い返す。言い返してはみるけど、私の耳に飛びこんでくるのは自分自身の力ない声だった。


「酷くはなくても、似たようなもんなんだろ」

「やることはやってるよ。そうしたら足りなくなってるんだって」


 口にしていて、自分自身の時間の使い方の下手さを痛感する。少なくとも同級生である沼田がバイトまでやっているにもかかわらず私よりも効率良く大学生活における諸々をこなしているのを見るに、もっと上手くやる方法はあるんだろう。


「なんにしろ、あんま寝ないのは体に毒なんだし、もうちょっと上手い具合にやれよ。卒業まであと、三年半くらいあるんだし」

「善処するよ」


 たぶん善処に終わるんだろうな、って思いながら答えたつつ、心配させてしまったんだなとちょっと凹んだ。沼田は、善処するか、と言葉を口の中で転がしながら、昔からこういうやつでさ、とおかしげな様子で残りの二人に話しかける。

 

「やっぱり仲がいいね、二人とも」


 小野さんの方を見ると目を細めて薄く微笑んでいた。


「うんうん、仲良きことは良きことかな」


 続いて正面を見るとうんうんと頷きながら言う広瀬君は、店員を呼ぶべく呼び出しボタンを押す。


「まだ、食うのかよ」

「うん、もうちょっと」


 相変わらず呆れ気味の沼田に、広瀬君は淡々とそれでいて楽しげな声音を転がした。文字通りもうちょっととも全然足りないともとれそうな言の葉にちょっとだけおかしさをおぼえつつも、なんとはなしに小野さんの方を窺う。穏やかな顔で男二人のわちゃわちゃとしたやりとりを眺めているみたいだったけど、すぐに私の視線に気付いたのかこっちを見た。


「どうしたの。なんか熱い視線を感じたんだけど」


 茶化すような声音。なぜだかほっとする。


「特に意味はないよ。楽しんでるかなって」


 口にしてから少し変な言い方をしたと思う。案の定、小野さんは瞬きをしたけど、すぐに、うん、と頷いた。


「すっごく楽しいよ」


 力強い言葉に、そう、とややたじろぎつつも、ちょっとだけ引っかかりをおぼえていると、広瀬君の、山盛りポテト一つ、の声が耳に飛びこんでくる。


 *


 その後、ぐだぐだと八時半くらいまで話したあと、そそくさと会計を済ませ、大学近くの最寄り駅まで移動して解散になった。


「じゃあ、また明日ね」


 乗りこみ際に笑顔で大きく手を振りながら言う小野さんと、その後ろから控え目に手を左右に動かす広瀬君を見送ったあと、私と沼田が駅の外側に残される。線路とタイヤが打ち鳴らす音を聞きながら黙って立ち尽くした。


「帰るか」


 しばらくして沼田告げるのに合わせて頷く。もっとも、同じ下宿生ではあってもけっこう早く道が分かれるのもあって、あまり一緒に帰るって感じもしないんだけど。


 踏み切りをくぐり、さっき小野さんと広瀬君が乗っていった電車が通っていった線路の上に足を置く。安っぽいスニーカーの裏側に固さが伝わってきた。少し遅れて大きく荒い足音。その間に消えてしまいそうな私の足音。


「お前、今日大人しくなかったか」


 なんとはなしといった男の声に、首を捻る。


「いつも通りでしょ」

「いや、そりゃそうかもだけどさ」


 納得がいかなさそうに唸る沼田。足の裏に伝わる感触がアスファルトの物に変わる。ぼんやりと空を仰ぐと、曇り模様が広がっていた。これじゃあ、今日の天窓からの風景は期待できそうにないな、と小さく溜め息を吐きながら、レンズの汚れが気になり立ち止まる。同じように足を止めた沼田が怪訝そうな顔をした。


「どうした」

「先に行っていいよ」


 答えながら眼鏡を外すと、布をとりだし拭きはじめる。同級生の男の動きだす様子はない。輪郭のぼやけた視界の中でレンズの表面を磨きあげていく。その間、誰かの大きな足音が聞こえたけど、隣の気配は消えない。とりあえずこれでいいだろうと眼鏡をかけ直し歩きだした。ついてくる。


「今日、つまんなかったか」


 そんなことを尋ねられ、首を横に振った。よくわからない質問だ。


「なんか、いつもより窮屈そうに見えたからさ」

「窮屈、か」


 舌の上でやや固い感触がしそうな言葉を転がしながら、思いを巡らせる。心当たり自体はなくはなかった。とはいえ、今日は最初からあまり喋るつもりがなかったのもあって、沼田の言葉ほどの動きにくさみたいなものは感じていなかったはずだ。


「心当たりがありそうだな」

「はずれ」


 そう答えてみせても、沼田の目から疑念らしきものは晴れない。信用されていない、もとい心配されてるのか。たぶん、ありがたいこと。


「今回の原稿がちょっと心配でね。みんなにどう読まれるかわからないから」


 仕方がないから、実際に抱いている、それでいて今の気がかりではない気がかりを口にしてみる。沼田の目の色は変わらない。納得しないか。別にしなくてもいいけど。


「お前はいつも書くことか読むことばっかりだな」


 それでも呆れ顔をして話には乗ってくる。


「それくらいしか興味のあることもないしね」


 口にしてから、結局、沼田が今回どんなものを書いたのかを聞いてなかったなと思い出す。あの後、本の話にこそ何度かなったものの、原稿提出の開放感のせいか、誰も自分たちが書いたものに再び触れようとしなかったのもあって、打ち上げの際はちょうどよく聞く機会は訪れなかった。


 聞いてみようか、という気もするけど、どうせ何日もしないうちにプリントアウトされた原稿を読めるんだし、と思ってやめた。


「つまんない人生だな」

「沼田はそう思うかもね」


 呆れたような笑い声に答えてから、つまらない人生かもしれない、と自分でも思う。もっとも、そう思っていようともむかつく言われ方ではあるんだけど。


「まあ、俺も人のこと言えるほど面白い人生は送ってないかもな」


 自嘲するような声とともに足を止める。見れば向かい側の道路に人型の赤信号が灯っていた。私はここで渡って、沼田は今いる側の道路をまっすぐ行く。分かれ道。


「送ろうか」

「別にいいよ。近いし」


 友人の提案を蹴る。そっか、と少し残念そうな声のあと、気を付けろよ、と付け加えられたのに、ありがと、と答えた。信号が青に変わる。


「じゃあね」


 一言だけ告げて背を向けた。少し間を置いて、おい、という声がかかる。信号が変わってしまいそうだな、と思いながら振り向くと、依然として煮え切らない沼田の表情。


「なんかあるんだったら言ってくれよ」


 おおむね、いつも通りの言葉。私はこくりと頷いてから再び踵を返す。背中にかかる、じゃあな。信号が点滅しはじめたところで対岸にたどり着く。ちらりと対岸を見やれば、その場に立ち尽くす沼田の姿があった。私はそれに気付かないふりをして下宿へと歩きだす。


 空を見上げるとやっぱり雲が覆っている。雨は降りそうではないけど、なんとなく溜め息を吐いた。頭の中にはまだ後ろにいそうな沼田のこと。それに紐付けられて高校の時、沼田に告白されて私が断わってからけっこうな時間が経ったなと思い出す。それから今まで、沼田とは特に気まずくならずに近しい友人であり続けていた。少なくとも私の方はそのつもりで接している。


 沼田側はどういう気持ちでいるのだろうか。私の見るかぎりでは今まで通りだけど、その心の中まではわからない。気にかけてくれているのだけは伝わってくるけど。仮にまた付き合って欲しいと言われたところで私の答えは変わらない。小野さんのこともあるし、なくてもきっと同じ考えだろう。


 その一方で時計の針を戻してみたら、という妄想が頭に浮かばなくもない。沼田の告白を受けた時、もしも司郎を選んでいなかったら。沼田の申し出を受けいれていた可能性はゼロではなかったかもしれない。


 そうなったら、なにかが今と変わったんだろうか。当然、相手が違うんだからなにかしら異なる未来があったのかもしれないし、たぶんそうなんだけど。


 どうして今みたいな生き方になって、そっちの未来にはならなかったのか。この問いかけに意味はあまりない。現に私は選んでしまっていて、その通りに振る舞ったんだから。後悔はなくはないけど、そんなに大きくもない。今も悪くないと思うから。それでも、決して後悔がないというわけでもなく。


 考えても仕方がないと思考を打ち切って目の前を見据える。下宿へと体を誘うみたいにして街灯が静かに光っていた。その不安定な灯を見て、私の中に自分の原稿がどう読まれるのかな、という気がかりがまた浮きあがってきて、次から次へと、と鬱陶しくなって笑いたくなる。


 なるようにしかならないのに、馬鹿みたいだ。

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