二

「水沢さん、自分のノートばっかり見てないで手伝ってよ」


 顔をあげると、夕方の陽を浴びた小野さんが膨れ面をしていた。


「って言われてもね」


 大学内の図書館傍の中庭の真ん中辺りにある机。そこで私は小野さんと向かい合って座っている。さっきまでいた館内とは違い、他の席では雑談を楽しんでいる生徒が目立っていた。かくいう私たちもまた、ペンクラブの原稿についての話したりまとめたりするために外に出てきたんだけど。


「まずは小野さんが書きたいことや、その書きたいことのどういうところで行き詰っているかを話してくれないと、アドバイスのしようがないんだけど」

「それがわからないから、聞いてるんだよ」


 おそらく、資料にするために持ってきたとおぼしきヨーロッパの歴史の本を持ちながら、小野さんはそんなことを訴えてくる。


「まずはどういうものを書きたいかを考えてみたらいいんじゃないかな」

「一応、締め切りが迫るたびに考えてはいたんだけど、いざ話にしようとするとまとまりそうになくて」 

 

 目の前で頭を掻く小野さん。これと似た仕種を別の人間がしているのを、高校の文芸部に所属していた時にも何度か見たことがあった。


「小野さんが書こうとしているのって、剣と魔法のファンタジーみたいなものなのかな」

「うん、そうだけど」


 なんでわかったの、というような顔をする小野さんに、いつも読んでる本とか資料を見てなんとなく、と答える。


「色々やりたいことが多くて、どこから手をつけていいのかわからなくなってたりする感じかな」


 小野さんが頷くのを確認してから、アドバイスの方針は見えたものの、あまりファンタジーを書いた経験がないため、これから言おうとしていることが正しいかどうか不安になった。とはいえ、ちゃんと物語を書くのがはじめてだという友人相手に何も言わないでいるというわけにもいかないため、口を開く。


「書こうとしている世界とかキャラの設定とかは決まってるの」

「すごくぼんやりとだけど、一応」


 恥ずかしそうにする小野さんの言葉を聞いて、これなら話は早いかもしれないと思う。


「じゃあ、まず書きたいシーンを思い浮かべるところからはじめようか」


 言ったあと、そういうシーンはあるの、とあらためて尋ね直す。小野さんは頬杖をついて、いくつかどうしても書きたいところはあるかも、と告げた。その話を聞いて、こうなればしめたものだ、と胸を撫で下ろす。


「書きたいところが何個かあるんだったら、そのいくつかが物語として自然になるような順番に並べてから、出来事と出来事の間になにが起こったのかを考えて埋めていく。これでたぶんある程度は形にはなると思うよ」


 大雑把な説明になってしまったけど、たぶん、間違ったことは言っていないと思う。もっとも、経験則というわけではなく、高校の頃に所属していた文芸部でファンタジーを書いていた友人から聞きかじった話を元にした助言だったけど。


「出来事が起こる順番とかはどうやって決めればいいの。そもそも、自然になるようにっていうのがどういうことかよくわからないよ」

「一番簡単なのは、まず始まりと終わりの部分だけ決めちゃうことかな。そうすると始まりと終わりで多かれ少なかれ違いがでてくる。わかりやすいところでは誰かが死んでいたり、主人公やヒロインの気持ちが変わっていたりね。その始まりから終わりの間にどういうことがあって変化したのかを、頭に浮かべた書きたいシーンを挟んでいく。それでも決まらなかったら、とりあえずは好きな順番で並べていくといいかな」


 そこまで一息に喋ってから、手元に置いておいたお茶のペットボトルに口をつける。ここのところで一番喋った気がした。案の定、頭がくらくらしてきている。


 目の前の友人は尚も不安げな顔をしたまま、髪を掻いた。


「上手く並び替える自信がないよ」

「そこら辺は慣れだよ。並び替えているうちに段々とコツみたいなものが見えてくるだろうし」


 とはいえ、この方法が小野さんに合っている保障はない。なにより、私も別にこんな方法で書いてはいなかった。そこまで考えて、無責任な物言いをしてしまったのではないのか、という自責の念が湧きあがってくる。


「もしくは最初だけ決めて、あとは筆の赴くままに書いてみるっていうのもありかもね」


 そのため、今の私が実践している方法を口にし直してみたものの、言ってからこれこそ無責任のきわみだという考えが湧きあがる。案の定、小野さんは目を可愛らしく尖らせて、それができたら最初からやってるよ、と文句を口にした。ごもっとも。


「だったら、さっき言った方法で行くのがいいと思う。どうしても順番が決められないんだったら、書きたいところだけ先に書いちゃうっていうのもありだけど、私はあんまりおすすめしないかな」

「なんで」


 きょとんと首を傾げる小野さん。私は、間を埋める時にやる気が出なくなるかもしれないから、と説明する。


「ここら辺は人にもよるけど、書きたいところ書いたら後はもう書きたくなくなるなんてこともあるから。だから、私の場合は最初から順番にちょっとずつ書いてる。イメージとしては書きたいところを馬の前に吊るしたニンジンみたいにしてやる気を出している感じかな」


 もっとも筆の赴くままである以上、予定は未定の場合も多々あり、必ずしも書きたいところを前提にして手を動かしているというわけでもない。とはいえ、あんまり細かく説明するとぐちゃぐちゃしてくるので、この辺は省く。なにより、口が疲れてきた。できるのならば筆談にでも切り替えたいところだけど、やっぱり手より口の方が早いので喋らざるを得ないだろう。


「難しいな。水沢さんたちはこんな面倒くさいこと毎回やっているんだ」


 実はといえばここのところは決まったやり方すらなくなってきているんだけど、やっぱり説明が無駄になってしまいそうな気がしたから、書いてみてから考えるのが一番早いと思うけどね、と投げやりに締めくくった。


「そんな無責任な」


 泣きつくみたいな声を出す小野さんにほだされそうになったものの、だからといって代わりになれるわけでもないので、頑張って、と一言口にして、手元のノートに目を落とす。月明かり、酒、山頂からの景色。ここのところあった事柄をまとめて書いた単語を覗きこみながら、それらしい形をなさないかああでもないこうでもないと思考を巡らしはじめた。

 

「ねぇ」


 数分もしないうちに小野さんに話しかけられる。早いなと思いつつも、アドバイスを中途半端なところで投げ出した気がしないでもなかったので覚悟を決めて顔をあげると、友人のどことなく不安そうな顔があった。


「あんまり深刻に考えない方がいいよ。初めてなんだから思い切り飛びこむくらいのつもりで書いてみたらいいんじゃないかな」


 小野さんの変化を察しつつも、とりあえずはさっきの話の続きだという前提で言葉を繋いでみる。友人は、それも不安といえば不安だけど、とたどたどしく言葉を繋いで目を逸らした。


「じゃあ、なに」


 きっと小説の話題ではないんだろうな、と察してはいたものの、友人の言わんとしているところが今の時点ではわからなかったため、素直に問いかける。促したあと、小野さんはしばらく迷うような素振りをみせていたけど、決意するようにこっちを見つめた。


「沼田君のことなんだけど」


 そっちの話題か。意外というほどではなかったものの、頭が完全に小説に寄っていたのもあってちょっとだけ面食らう。私はペットボトルの蓋をまた開けてから、沼田がどうしたの、と先を促した。


「水沢さんは沼田君とは付き合いが長いんだよね」

「うん」


 前にも似たようなことを聞かれた覚えがある。たしかこの後は、付き合っている人はいるのか、と続いたはずだ。けれど、小野さんは意を決するようにしてこちらに視線を注いできた。真剣さが伝わってきた。


「じゃあ、水沢さんは、沼田君のことどう思ってるの」


 体が痒くなりそうな問いかけ。とはいえ、相手が真剣に尋ねてきてるのだからしっかりと答えるべきだろう。


「腐れ縁ってほどじゃないけど、高校三年間仲良くしていた友だち、かな」

「それだけ」


 疑わしげな瞳。見当違いだと考えつつも、まあそれくらい思うだろうな、という心情もなんとなく汲みとれたので首を横に振ってみせる。


「少なくとも私の方には好いた腫れたみたいな気持ちはないよ」


 一応、彼氏もいるしね。そう付け加えればより確実に安心させられる気がしたけど、諸々の事情を考慮すると面倒なことになりそうだったので言わないでおく。小野さんは黙りこんでじーっとこちらを見たまま。顔かたちの可愛らしさのせいで迫力こそ欠けていたものの、こういう真剣な表情はけっこう好きだった。


 なかなか言葉が返ってこないので、水分補給をしようとペットボトルに手をつけると、小野さんは大きく息を吐きだす。


「そっか」


 その、そっか、にどんな気持ちがこめられているのか。声音の細かい中身までは理解できなかったものの、とりあえずある一定の納得にいたったらしいことは、顔に浮かぶ小さな安堵からうかがえた。私はお茶を一口含んでから、ノートにまた目を落とそうとする。


「じゃあ、協力してくれないかな」


 再び顔をあげると小野さんは大きな目を期待でいっぱいにしていた。やっぱり細かいところまではわからないままだけど、この流れ自体はなんとなく察していたのもあり、頷いてみせる。


「私にできる範囲だったら」


 そう断わりを入れたあと、たぶんあんまり協力はできないだろうなと考えた。一緒に遊びに行くことや、二人が一緒になる機会を作るということならばできるかもしれないけど、重要なのはそこから先のことで、全ては小野さんにかかっているのだろうな、と。私の思いとは裏腹に小野さんは満面の笑みを浮かべる。


「ありがとう」


 深まった影のせいかその笑顔はどことなく不気味だった。周りから聞こえる話し声も少なくなっている。もうそろそろ帰った方がいいかもしれない。

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