二
車が登山口付近の駐車場までたどり着くとほぼ同時に、司郎は眠たげな目蓋を開いた。
「掻き揚げそば食べたい」
以前のドライブでもこの山にやって来た時のことを覚えていたらしく、開口一番そんなことを言った。ちょうどお昼時だったので、ふさわしい話題だったかもしれない。
それが引き金になったのか、まずは腹ごしらえする運びになった。駐車場の傍に設けられたお土産屋とか食堂が混じったような店に足を踏みいれると、手早く食券を手に入れる。弟は宣言通り掻き揚げそば、私は肉うどん。朝が軽めの和食だったせいか、なんか肉を食べたい気分だった。肉は昨日もいっぱい食べたけど、それはそれだ。
さほど時間をおかずそれぞれの料理をカウンターで受けとったあと、先にとっておいた四人掛けの席に座り、家族全員で昼食をとることになった。窓際に私と向かい合うようにしてお母さん。私の隣に司郎、お母さんの隣にお父さん。特に決めたわけではないけど、食事の時は決まってこういう並びになる。
いただきます、とそれぞれに口にしたあと、うどんを啜る。甘いつゆとそれに絡んだうどんと牛肉の味が舌の上に乗っかった。まずまずと言ったところだろうか。そんなことを思いながら、うどんを吸いこむように食し、時々肉を噛む。ふと、窓の外に目をやると、緑に覆われた山々が遠くに並んでいるのが見えた。いい景色だ。
隣からはそばを啜る気配。母がカレーで、父がかつ丼だからか、うどんとそばの私たち姉弟の食べる時の音がより目立つ。よほど、腹が減っているのか、弟のそばを食べる時にたてる音が大きく聞こえた。とはいえ、行儀が悪いというほどではなく、ちょっと気になるといった程度だったけど、思わず隣を見やる。すぐに気付かれた。
「姉ちゃんも、食べる」
掻き揚げそばを箸で指し、そう問いかけてくる。今度こそ行儀が悪い気がしたけど、そこまで意地になるほどのことでもなく、首を横に振る。司郎は、そっか、とやや残念そうな顔をしたあと、再び食事に戻った。私もまた、放っておくとうどんが伸びるなと思い、手元に集中しようとする。
「ねえ」
さほど間を置かず話しかけられて箸を止める。ちょっとむっとしながら振り向けば、弟が今度は肉うどんへと視線をそそいでいた。
「あげない」
「まだ、なにも言ってないんだけど」
「欲しいんでしょ」
目が物欲しそうだからすぐにわかる。別にちょっとくらいあげても良かったけど、なんとなく今はそういう気分じゃない。尚も弟はねだるようにじーっと見つめてくるが、私も、あげない、とゆずらない。
「じゃあ、一口ずつ交換ってことでどうかな」
司郎の口から出てきた妥協案は、しごくありきたり、というよりもまず最初に出てきそうなものだった。私は少し考える振りをしたあと、じゃあ掻き揚げも少しつけて、と要求を加える。弟は簡単に頷いたあと、できれば姉ちゃんの方も肉を一つつけて欲しいと要求してきた。ちょっとだけ惜しいと思いつつも頷き返す。
「交渉成立だね」
嬉しそうな顔。大袈裟だな、って思ったあと、どんぶりを弟の方へと動かす。弟もまた私の方へ自分のどんぶりを滑らしてきた。
目の前にやってきたどんぶりから噴き上がってくる熱気から少し顔を離したあと、箸で掻き揚げの端っこの方をちょこんと切りとってそばに絡ませて食した。口の中に広がる汁を吸いこんでじゅくじゅくとしたてんぷら部分とにんじん、玉葱、なんかの甘さが少々濃過ぎる気がしたけど、これはこれでいけるので、柔らかいそばに巻きこみながら食していく。あっという間に約束の一口が終わって、ちょっとした物足りなさを覚えつつも、ちらりと隣を見た。弟もまた食べ終えていたみたいで、どことなく手持ち無沙汰な様子でこっちを見ていて、すかさず合図を送ってくる。私もまた頷いてみせてから、再びそばと掻き揚げの端っこを箸で持ちあげた。
テーブルの対面からは和やかな笑い声が聞こえてくる。たぶん、それが私と司郎に向けられていることを恥ずかしく思いつつも、また一口。やっぱり、くどい味だけど癖になりそうだった。そして、一瞬にして胃に飲みこまれ、口の中から姿を消した食事。もう一口、なんて思ったけど、これ以上は本格的な交換になってしまいそうだったので、今度こそどんぶりをテーブル上で滑らして返す。見れば、司郎の方も少しだけ名残惜しそうにしていた。
ご馳走様、と口にすると、弟もまた、こっちもご馳走様、と返してくる。そして戻ってきたうどんを見ると、先程よりも少しだけ中身が減ったどんぶり。どれだけ減ったかをなんとなくはかってからまた箸を手にして啜る。そうしながら、外の景色を見た。晴天の下に広がる山々を目に映しながら、親の話し声、そばを啜る音、他の人の雑談なんかを耳にする。けっこう気分が良かった。
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