三
食事の片づけを終えてサークル棟内にあるペンクラブの部屋でアクション物の洋画を鑑賞してから、歓迎会は解散となった。そのすぐ後に二次会という名目でカラオケに誘われ、もう少し遊んでいたくもあったけど、実家に帰省することにしていたから断わりを入れる。別れ際の小野さんの表情に後ろ髪を引かれたけど、空も暗くなりつつあったし、ずるずると居座っているといつの間にか何時間も経って終電すら逃しかねないと思い、手を振って別れた。
一度下宿に戻って着替えや本などを大きな鞄に詰め、大学近くにある最寄駅に向かう。そこで中心街の駅に向かう列車に乗りこみ、終点に着いてから下りると、実家の方へ向かう列車に乗り換えた。
窓際の席に座り、ぼんやりと外を見る。暗く染まったホームとまばらに集う人の列がちらほら目に入った。さっきまで私もその一員だったんだなと思いながら欠伸を一つ。私にしては精力的に活動したせいか、疲れているのかもしれない。とはいえ、その疲れは心地良いものだった。こんな日が時々あるんだったら、大学生も悪くない気がする。
隣に誰かが座った。まだまだ席に余裕はあったはずだといぶかしんで振り返ると、そこには見覚えのある顔と茶髪がある。沼田という名のこの男は、高校の頃から同じ文芸部で、大学でもまたペンクラブに所属していた。
「よお」
「うん」
頷いてからまた窓の方を見る。
「相変わらず素っ気ないな、お前」
わかってるならわざわざ言う必要はないんじゃないかと思ってから、知ってるよ、と口にした。そういうとこだよ、と楽しげに告げる男に、それも言わなくてもいいんじゃないか、と考えたけど、これ以上は舌を動かすのが面倒なので、窓の外へと視線を注ぐ。列車が動きだした。
「水沢も、これから実家に帰るのか」
私の様子などお構いなしに話しかけてくる沼田。もう高校の頃からこんな調子だったけど、無視しても特になにも言ってこないので楽といえば楽だった。とはいえ、今回は尋ねられている身なので、うん、と短く応じる。
「久しぶりに帰るとなると、何かと面倒臭いよな。特に一人暮らしの開放感に慣れちゃうとさ」
何気ない沼田の言葉に、そうかな、と内心で首を捻る。たしかに一人で遅くまで本を読んでいても怒られないのは楽だけど、料理も掃除もゴミ出しも自分だけでするとなると何かと骨が折れた。もちろん、沼田のような気持ちがないといえば嘘になるけど、どちらかといえば面倒くささや心細さの方が大きい。
「今日は先輩たちの誘いもあったからサークル棟に泊まろうかとも思ったんだけどさ、親父が連休くらいは顔を見せろって言うから。無視してもかまわなかったけど、頼まれたしな」
恩義がましげに口にしつつも、その端々からは沼田と父親の間にある信頼がほの見える。そんな友人の家族関係の機微みたいなものの一部を感じとりつつも、私の頭の片隅では歓迎会の終わり頃に小野さんに耳打ちされた事柄が浮かんだ。
小野さんはまず、私と沼田が高校の同級生だったことを確認してから、
沼田君って、付き合っている人いたりするの。
なんて尋ねてきた。私が色々と察しつつも、知らない、と正直に口にすると、そうなんだ、とあからさまに残念そうな顔をされた。
小野さんとの会話を頭に浮かべつつ、男の顔をちらりと見やる。さて、どうしたものか。
「話し相手になってくれるのか」
「別に。ただ見ただけ」
愉しげな顔をする男にそう言ってから、再び窓の方へ顔を逸らした。小さな舌打ちが耳に入ってきたけど無視する。列車が鉄橋を通る際のがたごとという音を聞きながら、眼下に広がる闇に染まった河原を眺めた。初めてこの列車に乗って今の大学の方にやってきたばかりの時、最後の方に見た景色だったため、まだまだ実家までは長くかかりそうだなと察する。乗り過ごさない程度に寝てしまってもいいかもしれないと程好く現実逃避しつつも、一気に意識が落ちるほど眠気はまだやってこない。
「水沢は残りの休みどうすんの」
また尋ねられる。時間があるなら本でも読めばいいのに。自らに当てはめて思考したあと、沼田はそれほど本を読まなかったなと思い出した。高校で文芸部に所属してた頃から読まなくはなかったけど、気が狂うみたいな冊数を消費したり、死ぬほど集中する類の人間ではなかったというか。ともかく、そんな理由からすれば、暇つぶし用の文庫本を持ち歩いたりはしていないのかもしれなかった。もっとも、持っていたとしてもそういう気分じゃないだけということもありえたし、現に私だって今はどっちかと言うと眠りたいんだけど。
「どうだろ。家族でどっか行くとかはあるかも」
結局、私は顔を向けないまま男の話に付き合うことにする。例の会話に関しては今はまだ小野さん自身の問題で、まだ具体的になにかがどうにかなったというわけではないのだから、部外者が色々考えたところでどうにもならないだろうし、なんてさしあたっての結論をだして、あとは考えないことにした。
「そっか、いいな。俺はたぶん、店の手伝いだし。いなかった分、色々とこき使われそうだ」
帰りたくなかった理由はそれか。実家が自営業だとなにかと大変なことが多そうな気がする。あくまで想像でしかないけど。
「それでも帰るんだ」
「まあな。大学に行かしてもらってるし、それに帰ってきたら帰ってきたでなんか美味いもの食わしてくれたり飲ませてくれたりするかもしれないし」
「飲み過ぎないでよ」
何度か訪れたこの男の実家である酒屋を思い浮かべて、ついついそんなことを言ってしまう。途端に沼田は、がはは、とわざとらしい笑い声をあげた。
「もう大学生だしな。いくら飲んでも合法だろ」
「違法だから」
答えつつも、大学の空気や今日の私自身の振る舞いなどを鑑みて、沼田の言葉がほとんど真理だろうなと理解している。それに私も高校時代に少しだけ日本酒をごちそうになったことがあった。そのせいか、いい子ちゃんぶるなよ、なんて言われてしまう。まあ、沼田の人生は沼田の物だし、勝手に飲んで勝手にどうにかなればいいか、と興味を無くし、補導されたりしなきゃいいんじゃない、と応じた。
「そこら辺は、水沢みたいにどん臭くないからなんとでもなるって」
「どん臭くないし」
否定したものの自覚はなくもない。少なくとも、それなりの期間を共にしている同級生に言われる程度には。沼田が、そう思っているのは本人だけだけどな、などとおかしげな声で付け加えたので、ちょっとだけむっとする。外の景色に意識を移せば、ビルの並びから街灯がちらほらしているものの、暗さのせいか上手い具合に形をとらえられなかった。その間も、沼田は懲りずに絡んでくるので、最低限の相槌を打つ。今日は小野さんとたくさん喋ったせいか、舌が疲れるのも早かった。
「そういえば水沢弟は元気か」
話の流れで司郎の話になる。三人とも同じ文芸部なだけに、それなり知った仲ではあった。
「うん」
少なくともこの間会った時は。心の中で付け加えつつも、面倒なのでそこまでは喋らない。
「お前ら、まだ続いてんの」
軽い調子で発せられた言葉を耳にして、そう言えば沼田にだけは知られていたなと思い出す。あくまで、私の知っている範囲ではということで、もしかしたら他に知っている人もいるかもしれないけど。
「たぶん」
「たぶん、ってお前な」
「特に約束は交わしてないし」
なんとなく今の形におさまっただけ。少なくとも私の認識はそうだし、弟の方もたぶんそう。そもそも、根本からして姉弟なのだから、続いているかという問いかけ自体が成りたっているかどうかも怪しい。
「そんなんでいいのか、お前ら」
この場合の、そんなんで、が指す意味にはけっこうな広がりがあるような気がしたけど、私は自分の都合の良いように受けとって、うん、と答えた。
「別に今のままでも特に不都合とかはないから」
少なくとも今の関係はまあまあ居心地が良い。もうちょっとだけ続けてもいいと思うくらいには。沼田はちょっとだけ間を空けてから、小さく息を吐き出した。
「お前がいいならそれでいいけどさ、なんかあったら言えよ。相談相手くらいにはなるからさ」
振り向くと、沼田はいつも通り薄く笑っている。何を考えているかはよくわからなかったけど、割と温かく見える目をとりあえずは信じることにした。
「うん、その時はよろしく」
また外を見る。街灯りに照らされた窓には、眼鏡をかけた私の取るに足らない顔を反射していた。私は恵まれているなと思う。
「そう言えば、今日のバーベキューで、広瀬のやつが食ってるとこ見てたか」
話題は光の速さで移り変わり、沼田は同期生の名前を口にする。見てない、と答えて話題の本人である太った男の姿を思い浮かべる。
「あいつ、信じられないくらい食いまくっててさ。途中で先輩たちに止められたんだよ」
あまり関心がない、それでいてまあまあ笑える話に相槌を打ちながら、窓の外を流れる風景をぼんやりと眺めた。話し声と車輪と線路が立てるがたごとした音を耳にしている間、海が見え、山が見え、畑や田んぼが見えて、また街が現れる。同じような、それでいて微妙に違う景色を順繰りに移り変わっていくのを目にしながら、段々とうつらうつらしはじめた。
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