二

 そのあとも肉を横流ししてもらったり自分で取ったりしているうちに時間は過ぎていき、気が付けば空が徐々にオレンジに色付いていっている。私は屋上を囲うコンクリートでできた柵の上で頬杖をつきながら、明石先輩にカズ君と呼ばれていた男の先輩から手渡された缶チューハイをちょびちょびと口にしていた。


「まだ二十歳になってないのにお酒飲んでる。いけないんだ」


 後ろからしなだれかかってくる柔らかい感触。思わず、缶を落としそうになる最中、ビールの臭いが鼻先まで届いた。


「小野さんも飲んでるでしょ」

「これは麦茶だよ。泡はいっぱい出てるけど」


 同期生の小野さんはそんな風に楽しげに言った後、より強く体を擦りつけてくる。この女の同期生の体はちょっとだけ重く感じられたものの、不快ではない。中庭に敷き詰められたサツマイモみたいな色の四角いタイルのいくつかを見下ろしながらチューハイをもう一口。甘ったるい。


「反応が薄いね。ちゃんと、楽しんでる」

「うん」


 肉も野菜もおいしかったし、これから締めだということで作られている焼きそばから発せられているソースの匂いなんかも魅力的だ。お酒もまあ、悪くない。ここまで考えてから、ご飯とお酒のことしか考えてないことに気付いたけど、まあいいや。小野さんは今度は私の長く伸びた髪を梳きながら、へぇそうなんだ、と口にする。ちょっとだけ気持ちいい。


「今日は同じところで食べてたのにあんまりお話できなかったから、ちょっと気になって」


 どうやら心配してくれたらしい。そうだったかな、と惚けつつ、おそらく立ち位置のせいだろうなと察する。小野さんを含む三人は鉄板を境にして向こう側にいた覚えがあった。隣にいた明石先輩は大きな声で絶えず新入生や他の鉄板の前からやってきた他の先輩方や遊びに来ていたOBOGの方々と話をしていたけど、私は声も大きくなければ口数もさほど多くないためあまり話せなかったんだろう。


「そうだよ。わたし、水沢さんともっと話したいと思ってたのに」

「じゃあ話そうか」


 舌が疲れてだるくなりそうだったけど、小野さんともう少し話がしたいという気持ちが上回った。


「そうこなくっちゃ」


 ようやく小野さんが背中から離れたあと、隣にやってくる。見れば小さめで可愛らしい顔の上に薄っすらと化粧が乗っていた。短めの癖っ毛は触ると気持ち良さそうだ。


「明石先輩とのお話、楽しそうだったね」

「本格的に話したのは今日が初めてなんだけどね」


 チューハイで口を湿らせる。重さ的に残り半分くらいか。


「その割には、随分と仲が良さそうだったけど」

「そうかな。どっちかといえば、明石先輩が気を遣ってくれたんだと思うけど」

「いやいや、あれは水沢さんを気に入っている顔だよ。一番話しかけてたし」

「それも気遣いじゃないかな」


 ぼんやりと見てたかぎり、明石先輩は色々な人に程よく話を振っていた。たぶん、口数の少ない私にかまうことで場の空気を悪くしないようにしてたんだろう。もしくは話の途中で、たまたま同じ本を読んでいたということがわかったから、話しやすかっただけかもしれないけど。


「それだけじゃないと思うよ、きっと」


 小野さんの言葉は妙な自信に満ちているように聞こえた。根拠のあるなしはよくわからない。とはいえ言う通りだとすれば嬉しいことではあるので、じゃあそう思っておくよ、と答えた。小野さんは、素直じゃないな、なんて笑う。


「そう言えば、さっき明石先輩と話してた本、面白いの」

「どうかな。小野さんの趣味に合うかはよくわからないけど、興味があるなら貸すよ」

「うん、貸して貸して」


 積極的にねだってくる同期生の姿に、小さな不安をおぼえつつも、わかった、と応じる。その感情は、やったー、と嬉しそうにする小野さんの顔を見てより膨らんだ。


 小野さんは主にライトノベルを好んで読む人だ。私も軽く嗜んではいて、小野さんと同じ本を何冊か読んでいたため、話自体はそれなりに合った。ライトノベルにもたくさん種類があるからなんともいえないけど、貸すことになった本が小野さんに合うかどうかはよくわからないのがちょっとだけ気がかりだった。もっとも、この手の不安は誰かに本を薦める時はいつでも起こりうるものだったけど。


「わたしが最近読んだのはね」


 興が乗ってきたのか小野さんはビールをぐびぐびと口にしてから、とあるファンタジーライトノベルの長いタイトルを口にした。今にも終わりそうな世界で繰り広げられる人間と妖精の恋の物語。これもまた、かなり前ではあるけど私も読んでいた。やっぱり、気が合うのかもしれない。


 そんな調子で会話は重ねていく。途中で先輩たちから新たに缶を渡されたり、焼きそばをもらったりしながらけっこうな長話になった。いつになく愉快な時間だったと思う。もっとも、そういう時間こそ早々と過ぎるもので、あっという間に片付けの時間になった。


 名残惜しくはあるもののそろそろか、と柵から身を起こし、隣の小野さんに行こうと促そうとしたところで、


「そう言えば聞きたかったことがあるんだけど」


 そう前置きしてから、小野さんが耳元に唇を寄せてくる。いったい何事かと思い、私は耳を澄ました。

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