肉、酒、車窓、寝床

 一

 四月末頃の連休後、何日かの平日を挟んでやってきた五月初頭の新たな連休一日目、晴れの昼過ぎ。大学構内にあるサークル棟の屋上、新入生歓迎会の名目でバーベキューが行われていた。既に多くの先輩と新入生たちは顔合わせをとっくに済ませていたものの、五月になりある程度入会人数が定まったところであらためてということらしい。私がペンクラブに入ったあとで数えれば、はじめての行事らしい行事かもしれなかった。


 目の前でじゅーじゅーと音を立てる鉄板からは、濃い肉の香りが漂っている。何枚か置かれた牛肉の周りを玉葱だとかピーマンだとかキャベツが囲んでいたけど、その中でもより肉の存在感が際立っていた。


 私は紙皿と割箸を手にしたままぼんやりと鉄板の上にあるものが焼ける様を眺める。周りを囲む大学の同期生たちを見れば、普段よりも表情ががつがつしてるように見えた。


 大変そう。私自身も食事中ではあったけど、周りの熱気の中で無理をする必要もないかなと、脇に置いてあった小机に皿と箸を一端置いてから、隣に置いてあった紙コップを手にする。中にはペットボトルから注いだ緑茶が入っていて、すぐさま口に含んだ。近くからむわむわとした湯気が吹きあがっている最中だからか、いつになく渇きが癒される。


 一息を吐いている間、肉を焼く秒読みが終わったらしく同級生たちが素早く手を動かしはじめた。あっという間に肉が消えたのを確認してから、玉葱を箸でひょいっと拾いあげる。タレを垂らしてある皿の上に乗った瞬間に舞い上がった匂いが、一昨日辺りに下宿でカレーを作っている途中にだらだらと流れた涙を思い出させたものの、無理やり頭から押しだして口にした。舌と頬が焼けそうなくらいよく焼けた玉葱とタレが合わさった甘みを味わいながら、なんとなく味気なく思わなくもない。とはいえ、今はまだ新入生達の間にある生存競争に割りこむ気にはなれず、玉葱を早々に片付けたあと、鉄板の上に残っていたピーマンを取ろうと箸を伸ばそうとした。


 不意に横合いから紙皿によく焼けているように見える肉が放りこまれる。ぽかんとしながらピーマンを紙皿の上に置き、肉がやってきたらしい方に目を向ければ、紺の長袖シャツと褪せた水色のデニムを合わせた姿の女の先輩がトングをがしがししていた。たしか、明石という名前だったはずだ。どうやら取り分けてくれたらしい。


「ほらほら。食べないと大きくなれないよ」


 髪が短さのせいもあってか、この少し幼げな顔をした先輩の首元に薄っすら浮きあがる汗がよく見えた。この年になったら食べてもあまり関係ないんじゃないかなと思わなくもなかったけど、肉をもらえるのは嬉しかったので、ありがとうございます、と頭を下げる。


「どんどん焼いてくから、遠慮しないで食べてね」


 明石先輩は爽やかに笑ってから、鉄板の空いたところに肉や野菜を次々に投下していった。こういう場に慣れているのか、手際がとてもよく見える。その姿を眺めながら、置かれたばかりの牛肉を箸で持ち上げると、湯気でちょっとだけ眼鏡が曇った。放りこんで噛むのと同時に肉汁が口の中から体に染み渡っていく気がして、私は生きているんだななんて大袈裟に思う。


「あなたはたしか、水沢さんだっけ」

「はい」


 口の中にあったものを消費したあとに答えると明石先輩は、サークルには慣れた、と尋ねてきた。予想できた質問にすぐに頷いてから、焼きピーマンのはじっこを噛んだ。苦い、けどおいしい。


「それは良かった。だけど、なにか困ったことがあったらいつでも言ってね。相談に乗るから」


 はきはきとした声に、これが大学の先輩か、などとしみじみ思いつつも、今のところこれといった不満があるわけではないため、ありがとうございます、とだけ口にする。


「そんなに畏まらなくていいよ。もっと気楽にさ」


 必要以上に畏まったつもりはなかったけど、もしもそう見えたとすれば顔のせいかもしれないと思った。私としては笑ったり怒ったり悲しんだりしているつもりでも、外からはそう見えないらしい。またか、という感想を抱きつつもわざわざ、畏まっていない、と言うのも何か変な感じがして、じゃあ次からはばんばん相談させてもらいます、なんて柄にも心にもないことを口にしてちょっと後悔した。


「うんうん。なにはともあれ、楽しんでくれるのが一番だからね」


 私の返答に明石先輩もさしあたっては満足したのか、また肉を乗せてくれる。二回目ともなると年上の人に使いっぱしりをさせているのが悪い気がして、代わります、と鉄板に近付こうとした。


「いいよ。今日はあなたたちがゲストなんだから気にしないで」


 そう言ったあと明石先輩は、私だけでなく鉄板の周りを囲む新入生たちの顔をぐるりと眺めた。楽しげに笑う小柄な女、不安げに目をさまよわせる太った男、薄い笑みを貼り付け頷く高校からの同級生である茶髪の男。態度は各々違ったものの、私以外のこの場にいる同期三人が先輩の言い分を受けいれているらしいことはわかった。


 ここで強情を張っても逆に迷惑になるなと察し、それではお言葉に甘えさせていただきます、と答える。先輩は、まだまだ固いなぁ、なんて笑いつつも、わかればよろしい、となだらかな胸を張った。いい人だな、と思う。


「水沢さんは最近、どんな本を読んだの」


 先輩の口から発せられた、ペンクラブ内で一日に何回かは口にされてそうな問いかけに、私は最近読み終わった特に印象に残った本のタイトルを口にした。


 少女と女の間のような主人公とおば、それに主人公の弟。主人公とおばの意外な関係が明らかになったあと、いなくなったおばを弟と一緒に探しに出る主人公。ちょっとした不思議な旅に出たような読後感を思い出し、どこか遠い目になる。


「その本だったら、あたしも半年くらい前に読んだよ。面白かったよね」


 けっこう前に出た本なのに珍しいこともあるものだと思いつつ、ちょっとだけ嬉しくなりながら肉を口にし頬が弛んだ。顔をあげると明石先輩が楽しげにこちらを見ている。なんだか少し恥ずかしくなった。

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