二

 居間の真ん中に置いた卓袱台を境にして弟と食事をとる。


「美味しい」


 お世辞か本音か。ともかく野菜炒めをおかずにご飯を掻きこむ姿は久しぶりに見ると一安心する。私もまた無言で食事を進めつつ、塩と醤油の味がまばらになっている野菜と肉を噛み、もうちょっと上手くできなかったのかな、と恥じ入る。とはいえ、弟は特に問題なさそうに食しているので、気にしているのは私だけかもしれない。


 なんとなく弟の食べる姿を眺める。箸で摘みあげた食べ物をあまり噛まずに胃に落としていく様を見て、思わずじっくり噛んで食べたらと口にしそうになったけど、たぶんあまり人のことを言えないのに気付き、差し控えた。


「姉ちゃん、箸が止まってるけど」

「うん、ちょっとぼうっとしてた」


 指摘を受けてすぐにキャベツと肉、玉葱を乗せた米を口にする。なんだかんだでお腹は減っているから、雑な味であっても満足感はあった。弟もまたこんな気持ちかもしれない、と推測し、ちょっとだけおかしくなる。目の前で司郎が不思議そうな顔をしたけど気にはしない。


「最近、どう」


 弟からの問いかけはなんとも漠然としていた。


「ぼちぼち」


 同じくなんとも曖昧な答えを口にする。とはいえ、大学に入ってから一ヶ月。まだ、なんとも言えないというのが本当のところだった。


「そっか」


 そして弟の方もそれですんなり納得して引っこんでしまう。実のところ、さほどこの話題自体に興味はなく、会話を繋げたかっただけなのかもしれない。


「そっちはどうなの。時期的に部活の引継ぎは終わってるんでしょ」 


 今年の三月まで文芸部の部長をしていた司郎に世間話程度の気持ちでそんな話題を振る。


「ぼちぼち」


 返ってきたのはまったく同じ答え。細かく聞けば色々と話しそうだったけど、とりあえずは、ぼちぼち、の四文字でだいたい納得したのもあって、そっか、と同じ台詞で応じて食事に戻る。ちょっとだけさっきより冷たくなった米とそれに沁みこんだ野菜炒めの汁が今日一番美味しく感じられた。


 それからしばらくの間、お互いほとんど口を閉ざし、目の前にある食事に集中した。会話らしい会話といえば、交し合ったぼちぼちという言葉のあと、弟がおかわりをしようと立ち上がった際、炊飯器と味噌汁の残りが入った鍋の位置を尋ねた時くらい。そのため茶の間では箸と食器がぶつかる音や味噌汁を口に含む際の水っぽい音、外で鳴っているとおぼしき車やバイクの走行音なんかがより大きく響いた。これらの耳に入ってくるものは、私が普段一人でぼーっとしている時によく聞いているものでもある。


 やがて、司郎が手を合わせて、ご馳走様、と口にした。


「お粗末様」


 余りを明日に残すつもりだったせいか、あるいは司郎が抑え目に食事したのか、なんとか二人分の夕飯になったらしい。定番の挨拶をしている間、ほっとしつつ、私の前にある食事も手早く片付けてしまおうとした。


「今日泊まってってもいいかな」


 おそるおそるといった調子で問いかけてくる弟。こころなしか本来の上背よりも大分低く見える。たぶん、座っているからという理由だけではない。


「父さんと母さんにはそういう風に話してあるわけ」

「うん。姉ちゃんがいいって言ってくれればって条件付きだけど」


 とっさに背後にある小さな本棚の手前に置いた目覚まし時計の文字盤を眺めると、時刻はもうすぐ八時を回りそうだった。実家までは電車で一時間半くらい。帰れないというほどの時刻でもないものの、まだ高校生の弟を夜道に一人放り出すというのも気が退けた。そして、明日は土曜日。特別なことがなければ高校も休みだったはずだ。


 窓際に置いたベッド、その対面の押入れを見る。たしか、越してくる時、お母さんが客用布団を買っておいてくれたはずだ。


「床に布団を敷いて寝てもらうけど、それでいい」


 念のための尋ねると司郎は頷き、置いてもらえるだけでも充分だよ、と応じる。私は再び箸を握る手に僅かな力をこめた。


「だったら、いいよ。好きにして」


 食事を再開する。ちょっと冷めたご飯が気になった。その温度が、部屋の中に他人が居座って欲しくないなという気持ちを思い出させたものの、自分で泊めると決めてしまったのだからと割り切る。


「ありがとう」


 司郎の素朴な感謝の言葉。私は口の中の米とニンジンとキャベツを胃に落としこんでから、どういたしまして、と素っ気なく答えた。まだまだ一人だけの部屋に他の誰かがいることに微かな不満はあったものの、その誰かが体の大きさに目を瞑ればさほど邪魔にならない弟で良かったのかもしれないと考え直す。残しておいた肉にじっくり噛みつつ、たまにはいいか、と自分に言い聞かせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る