夜の想い

ムラサキハルカ

第一部

天窓

 一

 襲来があったのは、私がちょうど野菜炒めを作り終え一息を吐いたところだった。それを既に作ってあったワカメとネギの味噌汁とご飯と一緒に卓袱台へと運ぼうとしていたところで、チャイムが鳴った。


 宗教か新聞の勧誘辺りかな。大学入学と同時にこの下宿にやってきてから三週間ほどの経験則になぞらえて考え、むっとする。いっそ無視しようかなとも思ったけど、チャイムは立て続けに二度三度と鳴らされて、一向に立ち去る気配がない。


 今行きます、と声を張りあげてから、湯気を避けるために外していた眼鏡をかけ直す。スリッパが鳴らすとてとてという細かく刻まれる音を耳にしながら、夕食の邪魔された苛々そのままに扉を開けた。


「こんばんは、姉ちゃん。元気だった」


 目の前に立っていたのは弟の司郎だった。頭半分ほど自分より高い背といかにも暢気そうな顔立ちを見るのは、たった三週間ぶりだというのに随分と懐かしく思える。その懐かしさをつい一ヶ月ほど前まで私自身も袖を通していた紺のブレザーが強調した。もっとも、弟の履いてるチェックの長ズボンは同じ柄のスカートだったし、赤いネクタイはリボンだったけど。


「それなりに元気、だったけど」


 てっきり他人だとばかり思っていたのもあり、毒気を抜かれた。司郎は薄く微笑みながら、


「けど、なに」


 続きを促してきた。私は目を逸らしてから、


「なんで、来たの」


 素朴な、それでいてあまり意味のない問いかけをする。


「なんとなく、会いたくなったから」


 おおむね予想通りの答えを耳にしながら、あっそう、と告げたあと、とりあえず入ったら、と背を向けた。


「お邪魔します」


 今のところ私だけのための部屋に他の人間が入り込んできたのは大家さんと母さんを除けば初めてだったのもあり、どことなく落ち着かない。とはいえ弟であるので固くなる理由もないと気付くと緊張感も解れ、とてとてと歩を進めていく。


「いい匂いがするね。ご飯を食べてる途中だったのかな」

「ちょうど、今から食べるとこ。あんたは夕飯食べたの」


 ついつい尋ねてしまったあとおそるおそる振り向くと、弟は少し恥ずかしそうに、実はまだ、と頭を掻いた。


「だったら、食べていけば」

「いいの」


 控えめに聞いてくる司郎に、多めに作ってあるし、とぞんざいに応じて背を向ける。とはいえ、二人が腹いっぱい食べられるほどは作ってはないため、ご飯の炊き足しだとか、もう一品作る必要があるかもしれないと考えつつ、


「けど次は、来る前に連絡してくれるとありがたいかな」


 そんな気持ちを弟に伝えた。うんごめん、と恥じ入るような声。なんかあったのかもしれない、と思いつつも、分かってくれればいいよ、とだけ答え、居間に弟を通した。


「本当にあるんだね」


 台所に戻ろうとした直前に聞こえた弟の声に振り向くと、司郎が天井を見上げている。正確にいえば天井付近に設けられた円形のガラス張りになった部分を。


 司郎の言い方的にお母さんから聞いたんだろうか。なぜだか、ちょっとだけ誇らしく思う。


「これがあるからこの部屋に決めたようなものだしね」


 そして、越してきたあとも部屋で一番気に入っているのはこの天窓だった。

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