第6話

翌朝、二人は名残惜しくも村を出発した。

見送りに来てくれたニックは、父親がいない間は自分が母と妹を支えるのだと意気込んでいた。きっと彼ならできるだろう、とカミルは思っている。

それにしても、とカミルは隣を歩く少女の方を向いた。


「お祖父様から話を聞いていたけど、まさか妖精の歌"を聴くことができるだなんて思っていなかったよ。君の歌は人間だけでなく草木や動物にまで特別な力を及ぼすんだね」


「草も花も鳥も牛も……そして人間も、みんな私の子供達みたいなものだから……。

レオが、私のことを話したの?」


本当に?と意外そうに眉を上げて問いかけるメルに、カミルは本当だよ、と笑いかけた。


「あの人はいつも君の話を聞かせてくれた。君との出会いも、君がプリンが大の好物だということも、……君との別れも。

君がまだ"メル"を名乗っているって知ったらきっと喜んだろうな」


空を見上げて懐かしそうに祖父を語るカミル。メルは口を緩めて静かに目を閉じた。心の中の大切ななにかに優しく触れているかのごとく、その表情はとても穏やかなものだ。


「そう。……レオに出会ったあの日から、私はメル・アイヴィーよ。それ以上でも以下でもない。これは、レオが私にくれた大切な名前だから」




忘れもしないあの日々。もう五十五年も経ったというのに、メルにはつい昨日のことに感じられた。

人間とは違う時の流れの中で生きる彼女にとって、五十五年というのはほんの一瞬にすぎない。だからこそ、その一瞬の間しか生きることが出来ない人間と深く関わることが苦手だった。

怖かった。

同じくらい短い寿命を生きる動物たちとは違って、人間は余りにも多くのものをその生涯で残していく。例えば狂おしいほどの情愛。後世まで禍根を残していく憎悪。そして、時には自然を破壊する程の技術。

そばにいるだけで心穏やかになれる他の生き物たちとは全く違う。

だから、人里離れた森の中で静かに暮らしていたのだ。

人が普段立ち寄ることのない、"魔女の森"と忌み恐れられている森の中で。

それなのに、レオナルドは臆することもなく彼女の領域に入ってきたのだ。

メルを見ても魔女だと言って怖がることはしなかった。むしろ、メルの正体を彼は知っていた。代々家に伝えられてきたのだという。


全ての生物を創りし、人々が神と恐れ敬うもののひとかけら。"創世の神"が自らの力を小さく分割したうちの一つ。それが彼女だった。

他の仲間たちが"はじまりの世界"へ戻っていく中、一人だけうつつに残りあらゆる命を見守ってきたもの。彼女は最初の人間たちにこう呼ばれた。


命の精霊、と。


それはまだ彼女が人間たちと関わりを持ち、他の生き物たちと同様に人間を慈しんでいた頃の話だ。彼女に分け与えられていた"分命"の力がまだ強かったとき。

知能が高く彼女を慕ってくれる人間たちに惜しみなく力を使っていたときのことだ。


しかし、人間達は彼女のその力を私欲の為に使いはじめた。同種族で殺し合いを始めたのだ。

彼女は嘆き悲しみ、人間の前から姿を消した。以来、人間も少しずつ彼女の存在を忘れていった。

だから、レオナルドがメルのことをその名前で呼んだ時にはひどく驚いた。そしてその名前で呼ばないでほしいと言った。

そうしたらレオナルドは彼女に名前を与えた。メル・アイヴィーと。それは彼の大切な友人からとった名だといった。君と友人になりたい、とも。

誠実でユーモア溢れるレオナルドにメルが心を許しはじめるのにもそう時間はかからなかった。彼と過ごしたたった一年間は、けれどメルに人間への慈しみを思い出させるのに充分すぎる時間だった。


それなのに。人間はまたしても争いを始め、やがてそれは国同士のものにまで発展し多くの犠牲を出した。レオナルドもそのうちの一人になってしまった。彼は戦争を止める為に自身の足を犠牲にした。そのことは人里離れた場所に住むメルにとって、友との永遠の別れとなってしまった。


レオナルドの尽力の甲斐あって戦争はいっとき収まった。しかし、今の代の国王になってからはまたあの惨劇を繰り返しているのだ。

メルはまた人間へ愛情を注ぐのをやめた。

愚かな人間をもう信じまいと心を閉ざしてしまった。

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