第1話

その森はアルクハイム王国の辺境に位置していた。

反対側にある国境の死屍累々とした状況を全く感じさせない、深く静かな場所だ。


「そろそろ疲れただろう?ここらで少し休もうか」


青年が少女に声をかけると、少女は頷き近くの木のもとに腰を下ろした。


「カミル、お腹すいた。ごはん」


ちょいちょい、と服の袖を引く少女に、カミルと呼ばれた青年は困ったような表情を浮かべた。


「さっき食べたばかりじゃないか。困ったな、あれで最後だったんだ。

もう少し行けば小さな村があるはずなんだけど…。それまで我慢できそうかい?」


少女は首を振り、むう、と膨れた。


しょうがない、何かないか探してくるよ、とカミルが辺りを見渡したときだった。


静寂を破り、木々がざわめいた。

遥か上空では木々の間から顔を見せる青空を小鳥たちが横切るのが見えた。


「なんだ…?」


グルルルル

ダンッダンッ


「カミル、後ろ」


小さな疑問をこぼしながら振り向くと大きな猪が二人の方へ向かってこようとしているところだった。とても興奮している様子の猪をみてカミルは目を見開いた。


「メル、危ない!」


咄嗟に少女を抱き寄せ、猪から庇うようにする。カミルは来るであろう衝撃と痛みに備えきつく目を瞑り歯を食いしばった。



大きな衝撃音が深い森に響き渡った。



一向に襲ってこない衝撃に疑問を覚え、カミルが目を開けると、重い落下音とともに猪が目の前で倒れていくところだった。


「大丈夫か、あんたら」


低く嗄れた声に引かれ顔を上げる。そこには猟銃を肩にかけた髭面の男性が立っていた。

五、六十歳ほどであろうか、彫りの深い顔にはくっきりとしわが刻まれており、鷲鼻の先は赤く色づいている。大きな目がぎょろりと動きカミルとメルを観察しているようだった。


「助けていただきありがとうございます。

おかげで怪我もなく無事です。

僕はカミルといいます。こちらは…」


「カミル、くるしい」


「あ、ごめんごめん。

こちらは僕の連れのメルです」


ぷはーっとカミルの腕の中から顔を出し、メルはあどけなさの残るかわいらしい顔を猟師に向けて、それから動かなくなった猪へ向けた。

その容姿からは想像もできないほどの大きさで腹の虫が悲鳴をあげた。


「ご丁寧にどうも。

そこのお嬢ちゃんは腹にでっけえ虫を飼ってるようだな。

ここらには何もねえ、うちに来るか?そいつをご馳走してやる」


呆れたような微妙な表情を浮かべて猟師の男は、ん、と親指を自身の背後に向けてくるりと踵を返した。

ついてこい、と言わんばかりのその背中を慌ててメルの手を引くカミルは追いかけた。


「あ、ありがとうございます!ではお言葉に甘えさせていただきます!」


「堅っ苦しい言葉はよせ、むず痒くなっちまう。とにかく詳しい話は後でだ。腹が減っては戦はできぬって言うしな」






男が住む小屋はこじんまりとしていて温かかった。かつて狩ってきたのだろう、大きな動物の毛皮が壁にかかっている。テーブルを丸太でできた椅子が囲み、そこに三人は座っていた。


「どうだ、うまいだろ。

新鮮な猪肉は格別だからな、どんどん食え」


がつがつと猪鍋をかきこむメルの隣でカミルが上品に猪肉を味わっていた。

その向かい側では猟師の男がメルの食べっぷりに満足そうに目を細めていた。


「とても美味しいです。助けていただいた上に、ご馳走までしていただいて…

感謝してもしきれません」


「だから堅苦しい言葉はよせっての。

にいちゃんはいいとこの育ちなんだな、こんな粗末な小屋ですまねえな。

俺はジエン、長いことここで猟師をやってるもんだ。あんたらはこんな辺鄙なところにいったい何の用があったんだ?」


「僕らは訳あって旅をしているんです。王都に向かいたくてここを通ったのですが…いかんせん森が想像よりも深くて少し迷ってしまっていたんです。

あっ、この言葉遣いはわざとじゃないんです、すみません」


「なるほどな、まあ詳しくは聞かねえよ。

そろそろここらも暗くなってくる、今日はここに泊まってけ。それに食料もなくここを超えるたぁ無謀さね。明日の朝にでも調達していきな」


カミルは猪肉を頬張りながら何度もお礼を言った。ジエンは頰をぽりぽりとかいてメルの方へ視線をそらした。ぎょろりと目が動く。


ジエンはそのいかめしい相貌を綻ばせてメルの豪快な食べっぷりを褒めた。視線の先ではメルが五杯目のおかわりを食べ終えたところであった。まだまだ食べられるぞと言わんばかりのその様子をカミルは苦笑気味に見守っていた。

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