Darkest Night~ダーケスト ナイト~ 「Halloween Corps! Pseudepigrapha-ハロウィンコープス 偽典-」

詩月 七夜

ハロウィン前夜 23:21

「イエーイ!ハッピー、ハロイーン!!」


「ヒューヒュー!」

「イケイケ!」


 傍らで、若者たちのけたたましい声が上がる。

 見れば、ホラー映画のモンスターのマスクを被った一人の若者が、上半身裸で飲み屋の路上看板によじ登って、奇声を上げながら付近の通行人を煽っていた。

 それを面白がるように、歓声を上げる周囲の連中。

 マスクの若者は、調子に乗って、ズボンからクラッカーやら色テープを取り出し、周囲にぶちまけ始める。

 一層濃くなる歓声を切り裂き、路上に詰めていた警官たちが警笛ホイッスルを鳴らしながら、若者の周囲を取り囲む。

 たちまち若者は引きずり降ろされ、警官と押し問答だ。

 それに罵声を浴びせる無責任な観衆。


 都心部S地区。

 ここ数年、この時期には見慣れた風景だ。

 普段も雑然としたこの地区は、ここ数年流行り出した「ハロウィン」の影響で、毎年10月末が近付くと、一種の無法地帯と化す。

 男女問わず仮装(というか、もはや劣化コスプレ)し、酒をかっくらい、飲んで騒ぎ、騒いでまた飲んで、無法の限りを尽くして、ゴミと汚物で街を汚染する。

 はっきり言って、醜悪だ。

 真っ当な会社員である俺にしてみれば、こんな乱痴気騒ぎに喜々と参加する連中の気が知れない。

 今日だって、ハロウィンは明日であるもかかわらず、仮装した連中で街が溢れかえっている。

 運悪く週末に当たったのが不幸の上塗りだ。

 通りは人・人・人の大渋滞。

 警察は諦め顔で交通規制を始め、騒動が収まるのを忍耐強く待つしかない。

 店は軒並みシャッターを下ろし、余計なもめ事をまき散らす悪習に、白い目を向ける。

 この国では、そんなハロウィンが、悪い意味で基準になりつつあった。

 傍らの路上で、自分の吐しゃ物にまみれた若者を、知人らしき人物が揺り動かしている。

 …と、思いきや、そのズボンを漁り出した。

 どうやら、泥酔者を標的にした泥棒だろう。

 脳裏に「自業自得」の四文字を浮かべて、俺は足を速める。

 行く手には、素肌も露わな若い女性が、普段は見せないであろう淫蕩な姿を、衆目に晒して悦に入っているのが見える。

 ふと見れば、カメラやスマホのフラッシュに浮かび上がるリスキーな格好の女を、ハイエナのように見定める連中もいた。

 お嬢さん、帰宅時にはご用心だ。

 いくら華やかな光に照らされた街でも、暗がりは必ず存在する。

 祭りの熱気にほだされて、あんたの肢体で鎮めようとする連中はいるんだぞ。

 まあ、俺には関係ないけどな。


 そんなこんなで、職場から駅へと向かいつつ、俺は舌打ちした。

 あまりの人混みで、真っすぐに歩けなくなってきた。

 この辺でこのザマじゃあ、駅前はイモ洗い状態だろう。


「くそ」


 こんなペースで歩いていたら、終電に間に合いそうもない。

 俺は早々に見切りをつけて、表通りから裏通りへ足を向ける。

 馴染みのカプセルホテルがある方向だ。

 帰宅は諦め、早々に宿にしけこむのが賢い選択だろう。

 裏路地に入ると、少し喧騒が止んだ。

 内心ホッとする。

 人混みは苦手だ(好きな奴の方が稀だろうが)。

 息が詰まるし、必要以上に無防備に自分を他人と近付けることになる。

 過去に何かあったわけではないが、俺は他人との距離感に敏感な性格たちだ。

 警戒してても、他人と近付かざるを得ない状況に身を置くのは、神経が磨り減る。

 そうした意味でも、現在いまのこの街は「監獄」染みている。

 即ち「逃げ場がない」


「ん?」


 薄暗い通りに、一本の電信柱がある。

 街灯に照らされたその足元に、一組の男女の姿があった。

 どちらも若い。

 男の方はハロウィンの参加者だろう。

 どこかで見たようなアニメのキャラクターに扮した格好をしていた。

 パッと見、オタクというよりは健全なタイプの兄ちゃんだ。

 露出した逞しい上半身には、キャラクターの設定には無いであろう刺青タトゥーが見える。

 一方の女は、金髪ブロンドだった。

 髪の色をいじっているのではない…本物の白人女性だ。

 真っ赤なナイトドレスに身を包み、同じ色のハイヒールを履いている。

 その裾からは、思わず生唾を呑み込みそうな白い脚線が剥き出しになっており、それは妖しい白蛇の如く、男の腰に巻き付いていた。

 うっとりと目を閉じながら、女が喘ぐ。

 その肢体はゆっくりと上下し、それに合わせて、血を塗ったような女の口紅ルージュを割いて、艶めかしい声が漏れた。

 要は「お楽しみ」の最中なのだ。


(ったく、よくやるぜ)


 驚きはない。

 こんなのは初めてではない。

 狂気じみたこの祭りでは、日常に飽いて、非日常を求める連中は多い。

 このカップルも、そうした空気に当てられ、盛っているだけだ。

 大方、他人に見られるこういしたプレイが好きで、警察の目が表通りに集中しているのをいいことに、この路地裏にベッドを求めてきたのだろう。

 俺は構わず、その横を通り過ぎた。


「おおおお…スゲエ…こんなの初めてだぜ」


 夢中で腰を動かす男。

 女の中心がもたらす快楽に夢中なのか、俺のことに気付かないようだ。


「んふふ…んあ…貴方も最高よ♡」


 喘ぎながら女が、そう返す。

 そのゾクリとする声音に、俺は思わず二人を見やる(俺も健全な男子なのだ)。

 女の白い背中と、蜂蜜はちみつ色の金髪が見えた。

 そして、その肩越しに女が俺を見た。

 ぶつかる視線の中、女がふと笑う。


「ああ…イイわぁ…最高よ」


「お、おお俺も…もう…」


「いいわ…遠慮なくイって…全部、頂いてあげる」


 女の美貌と艶めかしさに、思わず呆然となる俺。

 それに気も止めず、男の動きが早まる。

 再び生唾を呑み込む俺の目の前で、男の身体が不意に突っ張った。


「おおおおお!イクぞ!」


 男が吠える。

 野生の声だ。

 雌を得た、雄の満足気な咆哮。

 一瞬の羨望が、俺の胸をよぎる。

 が、その瞬間…


「お?おおおおお!?」


「ウフフフフフ…熱いわ…ほら、遠慮なく果てなさい…まだまだ出るでしょ?」


 俺は目を見張った。

 女が悠然と微笑む前で、男がカッと目を見開く。

 愉悦に染まっていたそれが、何か言い得ぬ恐怖に彩られていた。


「ああああああああ!?なんだ、なんだよ、コレぇぇぇ!気持ちいいいいいいいい!」


 男が再度吠える。

 それは快楽と恐怖が混ざった、信じられない声だった。

 人に。

 人間にこんな声を上げることが出来るのか…!?


「あああああ…おぁぁおおおおおぁぁぁぁ!?止ま…止まれ…そんな…何でだよぉお…!!」


 絶叫する男に変化が現れる。

 俺は目を疑った。

 逞しく、みずみずしかった男の身体が、まるでミイラのように干からび始めたのだ。

 常識で考えれば、言い得ぬ苦痛だろう。

 だが、俺はぞっとなった。

 眼窩がくぼみ、頬が痩せこけていく男の表情には、明らかな快楽が浮かんでいるからだ。

 先程の恐怖の表情は完全に消え失せ、いまはよだれを垂らしながら、恍惚とした表情を浮かべている。

 快楽に歪むミイラの笑みに、女の笑いが深くなる。


「あん♡」


 不意に、女が一つ喘いだ。

 男の身体が完全に骨と皮だけになり、女の肢体から離れたのだ。

 崩れ落ちた男の身体は、生ゴミの袋に簡単に収まりそうなくらい、縮んでいた。


「ふぅ…ご馳走さま」


 女が前をはだけさせたまま、舌なめずりをする。

 そして、立ちすくむ俺へと向き直った。


「さて、次のエサも来たことだし、おかわりといきましょうか」


 波打つ金髪と、人外の美貌。

 裸身を恥じ入ることもなく晒し、女が一歩踏み出す。

 俺の脳裏で「逃げろ」と警鐘が鳴り響く。

 が、俺は指一本動かせずにいた。


「万聖節前夜…『解禁日ハロウィン』は明日だけど、ちょっと早めのパーティーを二人きりで楽しみましょ?ねぇ、お兄さん」


 女が更に近付く。

 俺は全く動くことが出来ない。

 恐怖?

 いや、違う。

 逃げたい意識はあるというのに、体が言うことを聞かないのだ。


「さあ、抱いて頂戴。代わりに、一夜だけの天国を見せてあげるわ♡」


 女の指が俺の頬に触れる。

 それは。

 「この世ならざる」冷たさを持っていた。

 視界に広がる、深紅の口紅ルージュに思わず目を閉じた瞬間、


「ホールドアップ。御用だ、化け物」


 闇が。

 そう告げた。


 いや、それは紛れもなく、男の声だ。


 声のした方を見ると、建物の影に閉ざされた暗闇に、誰かが立っていた。


「誰?」


 楽しみを邪魔された女が、暗闇を睨む。

 すると、闇が答えた。


Halloweenハロウィン Corpsコープス


 その名が、果たしてどんな意味を持っていたのかは分からない。

 しかし、女の顔はその名前を耳にした瞬間、驚愕に歪んだ。


「…何てこと」


 呆然となる女。

 それに、闇の中で男はわらったようだった。


「ふん、知っているなら話が早い。なら、?」


「…ええ。ツイてないわね、私」


「そいつはお互い様だ。お陰で、今夜も寝ずの狩りだ。あと一日くらい我慢しとけよ、姥桜うばざくらめ」


 闇の声に、女が薄く笑う。


「一応の褒め言葉…として受け取らせてもらうわ。ところで…」


 女の目が黄金に輝く。

 それは闇の中の誰かを、真正面から射た。


「一緒に楽しまない?お兄さん♡」


 女の顔に、喜悦が浮かぶ。

 何か、手応えみたいなものを感じたように。


「さあ、そんな暗がりにいないで、こっちに来て?」


 女が甘く囁く。

 まるで、蜂蜜のような甘い声だ。

 こんな誘いを跳ね除ける男など、この地球上にはそういないだろう。

 そんな毒花の囁きに、闇の中の誰かが動く。

 乾いた足音共に姿を現したのは、若い男だった。

 年齢は二十代半ばくらい。

 けだるそうな眼差しだが、顔立ちは整っている。

 今夜、街角でたたずめば、数多の女の視線を集めるだろう。

 だが、いまの彼は、夢遊病のような足取りで、無表情のまま女に近寄っていく。

 まるで、魂を抜かれてしまったかのようだ。

 それに、女の笑みが更に広がった。


「うふふ…イイ子ね」


「……」


 目の前に来た男の胸板を、女の白い指がなぞる。


「いい身体してるわね、狩人さん。ウフフ…」


「……」


 と、そこで、女は思い出したように俺を見た。


「貴方はそこで見ていなさい。ラッキーね。私のSEXライブを間近で二回も見られるなんて」


 女の笑みは、魔性の薔薇だった。

 俺はその芳香に囚われた、無力で哀れな小虫のように、身を縮こませた。


「さあ…楽しみましょうか♡」


 女の唇が、男のそれを捉える。

 淫花のようなそれは、艶めかしい動きで、男を貪っていった。


「ん…んん…うふふ」


 女が情熱的に行為を繰り返していたその時、


「ぐええええええええッ!?」


 突然、女が苦鳴を上げた。

 白い喉を掻きむしりながら、裸身が汚れるのも構わずに地面をのたうち回る。

 それを見下ろしながら、男が告げた。


「どうだ、俺のキスは?まるで、?」


「ぎ…ざまぁああああああああ…!“鬼火南瓜ジャック・オー・ランタン”かぁ…!」


 喉を焼かれたのか。

 苦悶しつつ、口腔から煙を吐いていた女の姿が変異していく。

 その背から蝙蝠こうもりのような禍々しい翼が。

 額からは、鬼のような角が。

 そして、爪はナイフのように鋭くなった。


(ウソ…だろ)


 俺は目を疑った。

 こいつ…

 この女は…人間じゃない…!!


「私の…魅了チャームは…雄には…必ず効くはず…その魂だって…意のままに…」


 美しさはそのままに、悪魔のような憎悪の表情を浮かべて、男を睨む女。

 それに、男が薄く笑う。


「魂だと?」


 男の指が宙に何かの形を描く。

 逆十字アンチクロス

 神の威光を汚す魔印は、深紅の軌跡を描き、女の胸元へと吸い込まれた。



 ゴオオオオオオオオオオオッ!!


「ギャアアアアアアアアアアッ!」


 男の台詞が終わると共に、女の肢体が業火に包まれる。

 同時に、女は耳を塞ぎたくなるような絶叫を上げ、苦悶した。


「俺を誘惑おとしたいなら、まず、神をたらしこんでから出直せ。小便くさい小娘サキュバスめ」


 あっという間に燃え尽きる女にそう告げると、男は背を向けた。

 そして、炎が消えると共に、俺の身体に自由が戻った。


「あ…?」


 手足が動くのを、呆然と見ていた俺は、ハッとなって男の背を追う。


「ま、待ってくれ!」


 立ち止まる男。

 そのまま、肩越しに俺を見る。

 やはり、えらく不機嫌そうだった。


「あ、あの…今のは、一体…」


怪物モンスターさ。あれは“女夢魔サキュバス”っていってな、男の夢に現れて精液を搾り取る下級の悪魔だ」


「悪魔…」


 男が頷く。


人間達おまえさんたちは知らんだろうが、この世とあの世の狭間には『幽世かくりょ』という世界がある。そこには、今の小娘みたいな怪物が棲んでいるのさ。そして『解禁日ハロウィン』になると、その異界の扉が開き、そいつらがこっち側に這い出て、人を襲う」


「そ、そんなことが…」


 声を失う俺に、若者は続けた。


「いま、目にしただろう?で、俺達…Halloweenハロウィン Corpsコープスは、そうした“ルール”を破って抜け駆けフライングする連中を始末するのが仕事ってわけさ」


 そう言いながら、男は人差し指を立てる。


「これは忠告だ」


 男の声が一段低くなる。


「明日の『解禁日ハロウィン』は、夜になったら外へ出るな。その日だけは、俺達も休業日オフになるからな」


 その指に、不意に炎が灯った。

 闇を彷徨う鬼火のようなそれは、男の顔を淡く照らす。

 その顔を見た俺は、先程の“女夢魔”の時に感じた以上の恐怖に包まれた。

 鬼火に照らされた男の顔は、人間のものだ。


 しかし…

 陰影となった部分には、まるで炎の悪魔のような凶相が浮かんでいた…!


 腰を抜かし、へたり込む俺に、男が告げる。


「もし、出歩いて連中に出くわして、食われかけてても、“掟”どおり、?」


 男が背を向ける。


「じゃあな。せっかく拾った命だ、せいぜい大事にしな」


 足音と共に、鬼火が遠のいていく。

 残されたのは、無明の闇。

 俺は胸のうちで呟く。


 ああ。

 知らなかった。


 この街は、こんなにも闇が深かったのか…


 遠く聞こえる「解禁日ハロウィン」前夜の喧騒。

 それに混じって、観衆のカウントダウンが聞こえてくる。


“…3、2、1…Happy Halloween!!”


 俺は腕時計を見た。

 時刻は、深夜12時。


 10月31日…「解禁日ハロウィン」到来。


 今宵、この世ならざる者達の宴が始まる…

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Darkest Night~ダーケスト ナイト~ 「Halloween Corps! Pseudepigrapha-ハロウィンコープス 偽典-」 詩月 七夜 @Nanaya-Shiduki

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