第2話 大人じみた姿とともに

高校には現役入学した。高校までは12kmほどでバス通学でした。

クラス(50人)は2学級でした。ここには全町の中学校から進学したほか、10人ほどが他市町村から入学してました。また周の学校からも3~4人が私立高校へ行き、4~5人が看護師や専門職学校へ行きましたね。進学は80%でした。

高二のとき関東・関西方面に修学旅行がありました。

汽車に乗り青函連絡船で往復しましたね(5泊6日)。

少し旅行を話しますと、奈良の鹿や大仏など、京都御所・東寺・舞台・市内巡り、関東では、箱根に二泊し、茅ヶ崎・鎌倉・小田原城・上野動物園などを巡りました。

ここで就職にしろ専門大学に行くなら関東だと思いましたよ。

それもそうです、北海道では札幌に出ないと大学もまるでなく、仕事先だってまったく見つからなかったんです。

そこで高校3年生の一年間は、道内をくまなく旅行し、ろくに学校には行くことはなかったです。道内の旅行は小中学校の友人といつも一緒でした。

だいたいバイクで走り回ったという記憶です。

それから周は、農業に興味があり、中学校の同級生が後をついで農業やっていたので、1週間に1~2回は学校をずる休み(腹や頭が痛い、親せきが遊びに来るなど適当に理由つけて)して友人宅に行って朝から弁当付きでトラクター運転などの作業をやりましたね。友達だから別に賃金などはもらいませんでした。そんなことで、そこの両親からはいつも感謝されていました。うちの親は、まったく気づかず

学校からも連絡がなかったので周は気楽でした。

それで一大決心をしたんです。家を出ることにしました。常呂町をでることに。

常呂以外には関東にきわめて思い入れがあったんです。

そのころは兄弟8人はすべて道内に住んでいました。周もよく覚えていないんですが、横浜に行けば何とかなるという気持ちだけで「高校卒業と同時」に大人ぶって

汽車(網走発特急)に乗り一泊しながら上野につき、来年には都庁・神奈川県庁職員になるぞ、といろいろパンフレットを集め始めました。ここで白状しますが、よくこんな考えで上京したなと、いまでも思いふけっているんですよ。

ほかにはいないよね。どんだけ度胸があったのか恐ろしい限りですわ。


それで1年間は土木作業や日雇人夫をやって3畳一間で暮してました。

当時も近くに進学塾?があったので公務員になるための勉強もしました。

どうも東京は熱ぐるしく感じたんで横浜に決めました。

その11月から本格的に就職試験に取り組みました。そのかいあって1月に見事合格しました。

そしてどうしても夜学に行こうと思っていたので、神大二部試験を受けると簡単に法学部合格したのです。

それからは県職員と神大の二足のワラジを履くことになりました。

まだ二十歳前のことです。ここまでで戸籍謄本や学籍簿など20通ほど取り寄せ使いました。

入職式は500人近くが並び知事の訓示を聞きました。

ここで社会の状況ですが、京浜工業地帯は「煙突から煙や炎」が大量に出ていましたね。えらいところだと思っていました。毎日毎日鼻毛は切ることになるし、咳も結構出るし、病気になると思いました。

神大ですが、週に2~3回行きますがどうしても体育の単位が難しかったです。

がなんとか教授にしがみついてパスしました。そのころは、大学紛争がたけなわで

なんでもかんでもペーパー提出でOKになりましたね。でも昼間には行けませんでしたね。

そのころからはまわりから周はできるとか、頑強だとか言われ続けました。

その4年間が周の土台です。これがなかったらその後はなかったでしょう。 

11月5日


 

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