第二十二話 結婚行進曲

― 王国歴1020年 春


― サンレオナール王都




 婚姻の儀の当日、アルノーの緊張は最高値まで達している。彼は以前からテレーズにブツブツと言っていた。


「ミラのことだから絶対自分の結婚の日にも何か悪巧みを考えているに違いない!」


 まずその日の朝、彼は腹痛と共に目覚めた。


「アルノー、もう少し気を楽に、純粋に楽しめばよろしいのですよ。いくらミラでも国家行事の最中に揉め事を起こすなんてことはないでしょうに」


「お前のそういうお気楽なところが私は非常に羨ましい!」


 朝から手洗いに通いつめていたアルノーだった。


「ミラに腹下し薬でも盛られたに違いない……クソッ」


「どうしてそう自分の娘を疑うのですか? 気にし過ぎですわ」




 ミラの部屋ではほぼ支度の済んだ花嫁が居た。レベッカがベールを整えている。


「お嬢さま、言葉に出来ないくらいお綺麗ですわ。もうお嬢さまとお呼びするのもあとわずかです。お式の後にはお妃さまになられますものね。感慨深いです」


「レベッカ、職場も変わって慣れないことも多いだろうけれど、くれぐれも無理はしないようにね。貴女がついて来てくれるから心強いわ。感謝しています」


「勿体ないお言葉です、お嬢さま。でも身重だろうがなんだろうが、私心配ですから。お嬢さまが何をやらかすかと思うと……臨月ギリギリまで働きますわよ!」


「だから無理しないでってば! グレッグに恨まれたくないわ」




 王族の婚姻の儀は王宮の本宮横の聖堂でまず誓言の式を挙げた後、本宮大広間にて晩餐会が行われる。


 誓言の式では新王太子妃のミラは父親のアルノーと腕を組んで聖堂に入場し、祭壇の前で待つ王太子の横に並んだ。


「ああ、ミラ。俺の花嫁は何て美しいのだろう……」


「貴方も素敵よ、私の王子さま」


 二人が大司祭の前で愛を誓い、式は滞りなく済んだというのに、気の毒なアルノーは未だに頻繁に手洗いに行っている。


「父上の気苦労も分からないではないですが……」


「先程なんて、聖堂にミラと入場して来た後に涙ぐみながらね『何故だ、涙が止まらない。ミラのやつに泣き上戸薬を盛られたに違いない!』なんて言っているのよ」


「お父さまも素直じゃないですわね。お姉さまの花嫁姿に感動して涙が出てきたって認められないのかしら」


「確かに姉上が嫁ぐのにあまり泣ける要素はありませんが……」


 フロレンスはまだ舞踏会に出られる歳ではないので式でも晩餐会でも興奮気味であった。


「殿下が約束して下さったのです! 後で私もダンスに誘って下さるって! 本物の王子さまと踊れるなんて!」


「姉上よりもお前の方がずっと上手に踊れたら申し訳ないよな……」




 晩餐の後、広間のダンスフロアでは新婚の王太子夫妻のダンスが始まった。


「俺達、出会ったのは舞踏会なのに、こうして正式に踊るのって初めてだね」


 国内の情勢が不安定な間、王宮では舞踏会の開催が自粛されていたのであった。


「そう言えば、私もダンスの授業の他では家族としか踊ったことないわ。貴方の足を踏んだり怪我させたりしたらごめんなさいね。先に謝っておくわ」


「アハハ、お手柔らかに、奥様」


 主役の二人はその後、王太子は王妃やテレーズ、ミラは国王やアルノーとそれぞれ踊った。そして他の出席者達も次々と踊り続ける。ダンスが得意なフロレンスもたくさん踊れて大喜びだった。




 ミラと王太子は一息つき、二人が出会った思い出のバルコニーへ向かう。式の前からずっと約束していたのだった。


「あの生誕祝いの舞踏会でこのバルコ二ーで君に会えて良かった。最高の贈り物だったよ」


「勿体ないお言葉です。ねえ、今日は黒い狼も赤い狐も居ないわよね」


「俺の結婚式で悪事を企てようものなら終身刑にしてやる」


「まあ怖い、白いサラブレッドさん」


「何それ?」


「あの時、貴方は上着を着ていなくて、白いシャツに白のズボンだったでしょう。服の質は良いし、上品な物腰だったからそう呼んだのよ。今思い出したわ」


「ああ、君は空色の暴れ馬だったね。いや、空色の魔獣だ、魔法まで使うから」


「うふふ」


「これからもずっとよろしく、俺の奥さん」


「私の方こそよろしくお願いします」


「君と居ると一生退屈しなさそうだ」


「まあ、それについては自信があるわよ」




 新王太子妃ミラは西宮に部屋を賜り、そこで暮らすことになっていた。王太子は本宮に居室があり、彼が西宮に通うという形式である。


 晩餐会の後、夜遅くに新居である西宮の部屋に入ったミラは窮屈な花嫁衣裳を脱ぎ、入浴を済ませ、寝衣に着替え、王太子の訪問を待っていた。


「お妃さま、殿下のお成りよりも先に沈没されないで下さい。お疲れだとは思いますが」


 大欠伸をしているミラにレベッカは喝を入れる。


「バレたか……今一瞬意識が飛びそうになっていたわ……」


「もうすぐ初夜だという緊張感を持ってくださいませ、お妃さま!」


「それにしてもレベッカ、急にお妃さまだなんて何だか変な感じね。しかも一度も呼び間違えないなんて」


「私、プロ侍女ですから」


「あ、そうプロですか……私これでもね、緊張感と好奇心でいっぱいなのよ! だって本で仕入れた知識しかないのですもの。レベッカ、初めての時ってどのくらい痛かったの? 上手く出来た? イけた?」


「……私、それに答える義務はありますか?」


「ヤダわぁー、レベッカ。段々グレッグに似てきていない?」




 夜も更け、やっと王太子がミラの部屋を訪れた。緊張していると言っていた割にはうたた寝をしていたミラだった。レベッカに慌てて起こされる。


「お妃さま、よだれをお拭きになって下さい。今殿下がお成りになりますから」


「よだれなんて……ふぁー……よし、頑張るぞ! どっからでもかかって来い、ゲイブ!」


 ミラは両頬を自分でペシペシと叩き気合を入れている。


「張り切り過ぎるといつも裏目に出るのですから、ほどほどに控え目になさって下さいませ。殿下をお立てになるのが妻としての務めでございます」


「分かってまぁす、殿下がタつように励みまーす」


 レベッカは無言で大きくため息をついた。


(誰が下ネタ言えつったよ! 緊張なんて全然してねぇだろーが!)


 その時、もう一人の侍女により招き入れられた王太子が寝室に入ってきた。


「こんなに遅くなってしまった。婚礼の夜だって言うのに……俺の奥さんはお疲れだろう?」


「殿下も今日一日お疲れさまでした」


 王太子は侍女達に目で合図し、彼女らは退室した。


「ゲイブ、軽食をお召し上がりになる? お茶、それともお酒がいいかしら? お風呂は?」


「食事も酒も風呂もいらない」


「あっ、もう歯磨きも入浴もお済みでしたか。えっと……」


「君が欲しい、今すぐ。もう待てないよ」


 ミラが言葉を発する間もなく、彼女は王太子の腕に抱きすくめられていた。




************




「ふわぁーあ」


 まばゆい朝の光の中でミラは目覚めた。目に入ってきたのは自分の寝台の天蓋よりも数段豪華で大きい。


「あ、そうだ、ここは王宮ね、そう言えば私嫁いだのだったわ……ゲイブ?」


 ふと隣を見たミラは横になったままの王太子が彼女のことをにこやかに見つめているのに気付いた。


「お早う、奥さん。良く寝られた?」


「まあ、ゲイブ、もう起きていらしたのね。お早うございます。起こして下されば良かったのに……って今何時ですか? もうこんなに日が高く……」


 ミラはガバッと跳ね起きようとしたが自分が何も身に着けていないのに気付き、恥ずかしくなって掛け布団の中に隠れる。


「昨日の今日くらいゆっくりしようよ」


「でも、レベッカよりもずうっと怖ーい侍女が掛け布団を引っぺがしに来るのじゃないの? 『殿下、貴族院の面々との朝食会が予定されております』とか、『ホニャララ伯爵が面会に来ております』とか……」


「侍女にはこちらが呼ぶまで邪魔をするなと言ってある。ねえ、それよりさ、どうだった? 巨大なあぶに刺された気分は?」


 王太子はニヤニヤしながら聞いた。


(ゲッ、まだそんなことを覚えて……もしかしてかなり根に持っている?)


「えっと、痛かったです……」


「痛かっただけ?」


「でも、とても幸せ……」


 王太子は赤面するミラを見て満足そうである。


「愛しているよ、俺の奥さん」


「私もです、ゲイブ。愛しているわ」


「じゃあ、これから痛いだけじゃないってことを改めて示してあげるよ」


 そして彼はミラの体の上に覆いかぶさってきた。


「えっ? はい? ゲイブ、ちょ、ちょっと!」




***ひとこと***

アルノー父さん、何事も無く式が終わってやっと枕を高くして眠れたのでしょうか!?


大晦日に最終話(すごく短いですが)をアップします。年内完結出来そうです!

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