第二十一話 愛の夢

 翌日ルクレール家はお祝いムードに包まれていた。特にセバスチャンは感無量だった。アルノーも何だかんだ言って娘の幸せを願って喜んでいる。


「あの小さかったお嬢さまが嫁がれる日が来るとは、それもこれ以上にない良縁で……私も執事として非常に誇らしいです」


「ミラのことだから王宮に上がってからの事がひどく心配だが、本人も望んで殿下に嫁ぐことだし。ルクレール家としてはありがたくお受けしないとなぁ……」




 厨房につまみ食いに現れたミラも、いつもの様な料理人達のまた来やがってという視線には見舞われなかった。その日に限っては彼らも大歓迎だった。


「お嬢様、おめでとうございます!」


「お嬢様のつまみ食い分を計算して余分に作らなくていいと思うと肩の荷が下りる、ではなく寂しいですね」


「グ、グレッグさん! お嬢さま、俺達は純粋に寂しくなるって思っておりますから!」


 グレッグは相変わらず容赦ない。




 婚約が公表されると同時にミラは学院を退学した。王家に嫁ぐその日まで王宮にてお妃教育がなされることになったのである。学生達の反応は二手に分かれた。王太子妃の座を狙っていた令嬢たちは陰で噂をしていた。


「ルクレール家のあのガサツなミラさんが王太子妃に? 何故?」


「にわかには信じ難いですわ」


「殿下はとりあえず政治的に中立で無難な家から形だけの正妃を据えておいて、お好みの側妃をめとられるのよきっと」


「じゃあ貴女にもまだ機会があるのではなくって?」




 しかし、ミラのことを良く理解してくれていた友人達は素直に喜んでくれた。


「王太子殿下、実は女性を見る目がおありだったのね。改めて尊敬申し上げるわ」


「外見や胸の大きさだけに騙されるようなお方じゃなかったってことね」


「お二人お似合いだと思うわ。そこらの令嬢にはない行動力に決断力、何にもへこたれない雑草魂こそ現代の王太子妃、王妃として必要な素質よね」


 何気に失礼ともとれないことはないが、妬んでいる大半の人間よりはましである。




 アルノーの同僚や知り合い、いわゆる貴族社会の反応も微妙なものだった。


「ルクレール家はてっきり王太子妃候補レースには参加表明していないと思っていたのに、とんだ穴馬だな」


「欲を出さなかったルクレール侯爵が大当たりを引いたな……」


「と言うか、陰でこそこそ工作していたのじゃないのか?」


 アルノー自身はそんな陰口を気にするよりも、娘が王太子妃としての務めが果たせるのかという重要課題で頭がいっぱいだった。




 王宮に毎日通うようになったミラは、暖かくなってきてからは王太子とアルノーの許可も得て馬で登城することもあった。


 門番達もミラの顔を覚え二度と揉めることもなかった。婚約が公表されて初めて馬で登城した時には門番達に平伏されて謝られた。


「ねえ、貴方たち、私のこと覚えているでしょ?」


「ははっ! 王太子妃殿下になられる方とは存じ上げず、先日は大変失礼いたしました!」


「今度は襤褸ぼろをまとっていてもちゃんと通してくれるかしら?」


「も、もちろんでございますっ!」


「多分もうやらないけれどね」


 その言葉通りミラも、粗末な身なりに裸馬で王宮に乗り込もうなど二度と試みなかったし、お妃教育の授業へは侯爵令嬢に相応しい装いで通っている。




 ある朝ミラは馬に跨って同じく馬に乗ったクロードと話しながら王宮へ向かっていた。


「お前、王太子妃になるのなんてイヤだー、なんてむくれていると思ったぞ」


「私もそこまで子供ではないわよ……避けては通れないのですもの。それでもね、正妃よりも気楽そうな側妃にって何度も頼んだわ。でも私が側妃ソクヒって言うとゲイブがつむじを曲げちゃうのよ」


「……」


「だからまあ私、しょうがないから正妃でよろしくお願いしますってことになったの」


 今までも何度となく王太子のことが気の毒になっていたクロードだった。


「殿下がな、ミラとの婚約が成立したから俺との協定は反故だとか訳の分からないことをおっしゃるのだが……」


「あっそうだったわ。クロード、私たちの約束を覚えていないの?」


「何だそれは?」


「私たちお互い二十代半ばになっても結婚していなかったら便宜的に結婚しましょうっていう協定よ」


「ああ、何かそんなこと昔言っていたなあ。とにかくな、何かにつけて以前から殿下には俺達の仲を疑われていたような感じだったんだよな。ただの従兄弟でそれ以上では決してないと何度も申し上げているのだが……」


「まあそういうことで、抜け駆けごめんね、クロード。私先に嫁ぎます」


「別にお前が謝る必要はないだろうが」


「でも本当よ、ゲイブに嫁ぐことがなかったら他の誰とも結婚したくないもの。そうしたら貴方との協定も実行できたと思うし」


「朝っぱらから惚気のろけるな、公道のど真ん中で」


「え、惚気じゃないわよー」


「それはそうとお前、意外と真面目にお妃教育に通っているよな。お前が一番苦手とするようなことだろ?」


「ええ。王族としての礼儀作法、ダンス、王国史、外国語……毎日毎日大変よ」


「すぐに音を上げるかと思っていたぞ」


「私自身もね、絶対無理だと思っていたわ。でも今のところ続いているみたいね。学ぶこと自体は嫌いじゃないのよ」


「サボったりもしていないよな」


「私がサボったら個人授業だから教師にも迷惑かけるし、果てはゲイブや両陛下にもね。それに王宮に通っていると彼に毎日のように会えるし」


 やっぱり惚気だろうがと言いたかったクロードである。


「まあお前の前向きなところには感心する」


「婚約が発表されてから学院にも少し居辛くなったの。その代わり王宮で勉強出来るから丁度良かったわ。仲の良い友人たちとは学院の外で会えばいいしね」


「お前がそうして物事をいい方向へ考えて、殿下もお幸せそうだから良しとしよう」


「クロード、貴方も良いご縁に恵まれるといいわね」


「何をお前、上から目線で……俺の心配は必要ない」


 このクロードが生涯ただ一人の女性を見つけるにはもうしばらくかかることになる。




 レベッカは料理人グレッグとその年の夏にめでたく結婚した。それからしばらくした秋の日のことである。ミラはまたつまみ食いをしに厨房に行き、そこでグレッグと話していた。


「グレッグ、約束通りレベッカは奥さんになっても私の侍女として王宮に一緒に来てもらうわね。ごめんね」


「いえ、それは分かっておりましたから。お嬢様がご結婚なさったらきっとアイツは御婚家にまでついて行くだろうということは」


「ねえ、もし私が殿下のお子を身籠みごもることがあって、もしレベッカも同時に子が出来たら乳母もやってもらえるわね。まあ、こればっかりは予定立てられないか。授かりものですものね」


 そこでグレッグは少々驚いた顔を見せた。普段は無表情な彼にしては珍しい。


「どうしたの、グレッグ?」


「あ、いえ。アイツからお聞きではなかったのですね」


「何を?」


「えっと、その……俺達もうすぐ……」


「ちょっと、はっきり言いなさいよ!」


 グレッグはゴニョゴニョ言いながら少し赤くなっている。


「レベッカに子ができました」


「えっ! レベッカったらもう、水くさいわね。皆知っているの?」


「いえ、まだ。そろそろ報告しようと先日話していたところです。お嬢さまはてっきりもうご存知だとばかり」


「まあおめでとう! それにしてもグレッグ、流石料理人だけあって仕込みはバッチリね! じゃあ、もし私にお子ができたらね、貴方たちの二人目か三人目は同時に仕込みなさい。分かった?」


「それは料理人としての仕事内容に入っておりませんが」


「相変わらずよね、貴方も」






 その年の夏から秋にかけて少しずつ近隣諸国との関係も落ち着いてきた。王太子はもう騎士達と共に戦に加わることはなかった。


「このまま平和な世の中になることを願うよ。じゃないと俺達も安心して結婚できないし」


「やっぱり一国の王子ともなるとそういうものなのね」


「情勢が落ち着かないと国民もお祝いする気分になれないだろう?」




 王太子の言った通り、秋が終わる頃にはどの地域の紛争も収まり、サンレオナール王国に再び平和が訪れていた。年が明け、春になったらミラは王家に嫁ぐ。




***ひとこと***

レベッカとグレッグもめでたく結婚、クロードもそのうち幸せになることでしょう。

さあミラもいよいよ嫁ぐ日がやって来ます。

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