輿入れ
第十八話 凱旋行進曲
― 王国歴1019年 年初
― サンレオナール王都
ある日の昼過ぎのことである。王宮から帰宅したアルノーは屋敷の玄関を入った所で出迎えた妻のテレーズに慌てた様子で何かを伝えていた。
「南部のヴァリエール領に赴いた面々の一部がまず帰京した。その一団には王太子殿下も含まれていて、今日王宮に戻られたそうだ」
「まあ、殿下が無事にお帰りに? 良かったですわ!」
「クロードも帰ってきたぞ。しかし私が聞いたところによるとな、何でも殿下は大怪我を負われたそうだ」
「まあ……」
「凱旋の大袈裟な行進もなさらず、密かにお戻りだ。そもそも殿下が一行に加わっておられたとは公表されていないしな」
「殿下のお具合はいかがなのですか?」
「あまり私も詳しいことは分からないのだ。すぐに王宮の医療塔に運ばれたとか、一時は意識不明の重体だったとか……」
「まあ、ミラにはどう知らせましょう……」
「殿下の容態が詳しく分かるまではまだ何も言わないでおこう。私も医療塔によっぽど寄ろうかとも思ったが……あまりお邪魔になってもと思ってな」
「そうですわね、ミラには余計心配させてしまうでしょうし」
「また明日、国王陛下に直接伺ってみるよ」
そのミラは両親の話を階段の脇に隠れてしっかり聞いていた。父親が乗った馬車が屋敷の門をくぐったのと同時に裏口から帰宅したのだった。質素なドレスに外套を
大変なことを耳にした彼女は居ても立っても居られず、そのまま再び勝手口から飛び出した。とりあえず
(急がなくっちゃ……ゲイブ、死なないで!)
そして王宮の正門に到着したのはいいが、裸馬に
「そこの女! 何をしている!」
「医療塔はどちらですか? ちょっと急いでいるの!」
「医療塔? 不審者が何を抜かすか、天下のサンレオナール王宮に何の用だ、帰った帰った!」
門番の一人が馬を止め、もう一人がミラを地上に引きずり下ろす。
「何の用って、私どうしてもゲイブに、いえ王太子殿下にお会いしないといけないのよ!」
「王太子殿下ぁ? 冗談も休み休み言え! お前のような下賤の者が殿下にお目にかかることがかなうと本気で思っているのか? まずこの門を通り抜けることさえも許されるわけがないだろーが!」
「下賤? そ、それは私も今はこんな格好ですけれど……実はルクレール侯爵家の者なの! 急いでいるの!」
二人の門番は気の毒そうな視線をミラに投げかける。彼女も流石にしまったと思った。身分を証明するものが何もないのだった。
「実は自分が高貴な身分だという思い込みをする人間は少なからず居るんだよなあ」
「お前の気持ちも分からんでもない。が、この門をくぐることは断じて許さーん!」
何も考えず馬で来るのが一番早いと飛び乗ったのだが、せめてルクレール侯爵家の紋章が入った馬車で来るべきだったのだ。
「私がルクレール侯爵家の娘だと証明出来たら通してくれる?」
「まだ言うか、このアマ!」
ミラは自分の軽率さに腹が立っていた。ここは大人しく引き下がるしかないと諦めかけたその時である、救世主が通りがかった。クロードだった。
「何をやっているんだ、ミラじゃないか? 新しく悪さを思いついたのか? 今度は何だ?」
「クロード! 丁度良いところに! 貴方は無事に帰還できたのね!」
この時ほど彼のことが頼もしく思えたことはなかったミラだった。彼の背後に後光までが見えるようだった。
「ああ、お前はそこで裸馬で王宮の正門突破しようとして捕まっているのか? ジェレミーと賭けでもしているのか? 遊びにしては
門番達はクロードが身分ある人物だと認識し、ミラは掴まれていた腕を開放された。二人は二、三歩下がりクロードに頭を下げている。
「全く、国境付近のあちこちで紛争が絶えないっていうのに呑気なことだな、お前は!」
「そうじゃないのよ! 私、今すぐゲイブに会いに行かないといけないのよ! 取るものもとりあえず出てきたものだから!」
それで事情を知っているクロードも察したようだった。
「こいつの身元は俺が保証する、確かにミラ・ルクレール侯爵令嬢だ。通してやってくれるか?」
門番達は更に
「はい、もちろんでございます」
「馬はここで預かってもらえるか?」
「ははっ!」
騒動の元になったミラは素直に謝った。
「お手を煩わせてごめんなさいね」
「い、いえ! とんでもありません!」
「こちらこそ、ご無礼をお許しください!」
当たり前だが門番達の態度は先程からは打って変わって改まっている。
「来い、ミラ。俺が案内してやる」
ミラは王宮内部に入り、クロードと並んで歩く。
「クロード、貴方も遠征から帰ってきたばかりで疲れているのでしょう……」
「ああ。馬を取りに来たらお前が門番達とギャーギャー揉めているのが見えた。乗り掛かった舟だ。お前な、俺が通りがかったから良かったものの、そうじゃなかったら門前払いか悪くすれば捕らえられたかもしれないぞ」
「その場合はね、奥の手を使うつもりだったのよ」
「待て、言うな。そんな奥の手など俺は聞きたくない」
「強行突破。それが駄目なら小動物に変幻して忍び込もうかと……」
「だから言うなって言っただろうが!」
「ごめんなさい……」
しばらく行き、王宮の庭でクロードは生垣の陰にミラを呼んだ。
「ここから医療塔まで瞬間移動するぞ。お前がその薄汚い外套で王宮内をほっつき歩いていると説明が面倒だ。要所要所で足止めを食らうに違いない」
クロードはそして背中を向けて
「で、では遠慮なく……」
ミラが彼の広い背中によじ登ると同時に医療塔内に着いていた。
「ここが医療塔?」
「殿下なら最上階の特別室だろうな。ここは三階、看護師控え室や薬局がある階だ」
「クロード、貴方は殿下のご容態は聞いていないの? しゅ、集中治療室とかではなくて?」
「いいや。俺は殿下より先に発ったからな。彼がお怪我をされたということだけ、ついさっき耳にしたばかりだ」
「そう……ねえ、この階段から上の階に上がれるの?」
「ちょっと待て。この上、王宮医師達の執務室がある階まで行くぞ」
階段を上り、一つ上の階でクロードはすれ違った医師に王太子の居場所を聞く。医師はクロードのことを知っているようだった。少し
「殿下は……最上階の二号室にいらっしゃいますが、どなたかにお会いになるかどうかは……」
その医師が口を濁すのを聞き、ミラは非常に嫌な予感がした。今にも階段を駆け上がりたい気分だった。走り出そうとするミラの腕をクロードはしっかり掴んで言う。
「ここまで来ればもうお前一人でその恰好でもまあ大丈夫だろうが……あの階段から最上階まで行けるぞ」
「ありがとう、クロード!」
「しぃっ! 静かに行け、ここは医療塔だ」
***ひとこと***
ミラ「鎮まれ鎮まれ!」
ミラ「この紋所が目に入らぬか! こちらにおわすお方をどなたと心得る、恐れ多くも天下のルクレール侯爵家長女、ミラ・ルクレール様にあらせられるぞ! 頭が高い、控えおろー!」
門番1「何を抜かすかこのアマ!」
門番2「ええい、やっちまえ!」
ミラ「助さん、格さん、懲らしめてやりなさい!」
クロード「……一人何役やってんだ、ミラ……」
クロードが現れて良かったですね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます