第十七話 夢はひそかに

 家族のいる居間に入ってきたミラは、全然元気そうではない。眼の下にはくまができている。


「私もお茶をいただけるかしら?」


「はい、お嬢さま」


 ミラは空いている椅子に座った。彼女以外の人間は意味ありげな暗い視線を交わしている。皆が何か話題を探していた。最初に口を開いたのはジェレミーだった。


「姉上、今日は気候も良いですし、遠乗りでも行きませんか? もうそろそろ寒くなってくると中々出かけられなくなりますし」


「出掛けたくないわ……そんな気になれないのよ。ジェレミー、他にお友だちを誘ったら?」


「じゃあ、剣の稽古でも。何か鬱憤うっぷんが溜まっているのならそれで発散させるってのは? 少々なら俺も手加減しますよ」


「ごめんね、剣を振り回したい気分でもないの……」


「お姉さま、このクッキー、グレッグが今朝焼いたばかりです。生姜が少し入った新しいレシピだそうですよ。お一つどうぞ」


「あまり食欲もなくて……」


「えっ? 姉上もしかして無性に酸っぱいものが食べたくなったり、吐き気がしたりしますか?」


「ジェレミー!」


 アルノーは焦り、彼の隣のフロレンスは肘で兄の脇腹をつつく。


「え? そんなことないけど」


 そしてミラははぁーっとため息をついている。テレーズとアルノーも何か言おうと必死で考えていた。


「ねえ、ミラ。私これからお姉さまのところへ伺うのですけれど貴女も一緒に来ない?」


「お母さま、折角ですけれどクロードも居ないし、遠慮致しますわ。伯父さま伯母さまによろしくお伝えくださいませ」


 今度はテレーズがアルノーの膝をつついた。


「何だ、ミラ。お前らしくないぞ。もう少し元気を出せ。王太子殿下が兵を率いて戦地に向かわれたと言ってもな、形だけだからな。彼が戦闘に加わることなどない。陛下も良い経験になるだろうからって、殿下が是非兵を引率したいと言い出されたのを許可したのだろう。殿下にとってはちょっとした遠征、合宿みたいなものだ」


「えっ、殿下ご自身が望まれて戦地に向かわれたのですか?」


 王太子自ら希望して国王に出陣の許可をもらったことをミラは知らなかったのだった。ミラとアルノー以外はますます暗い視線を交わし合う。


「ま、まあそんなことを私もクロードからちらりと聞いただけなのだ」


「そんな、殿下が自ら志願されてまで危険な戦場に行かれるだなんて……」


 そしてミラは深刻な顔で黙り込んでしまった。


「カンディアック側はそう多勢でもないらしい。彼らは少し脅しをかけるだけのつもりだったが、こちらが王都から兵を出したと聞いて怖気付いているとの連絡も来ている。我らが兵にはほぼ被害はないよ。なにしろ魔術師団も加わるのだからね。殿下にとってはそれこそ小旅行だ。彼もたまには王宮や王都の外へ出て行かれたいだろうし。今回はいい機会だ」


 アルノーは慌てて状況を説明するが、ミラの顔色は暗く沈んだままである。


「規則や何やかんやで窮屈な王宮から離れた土地で、意外と殿下はのんびり楽しく羽を伸ばされているかもしれないぞ。そう心配するな、ミラ」


「羽を伸ばす? 殿下は息抜きが必要なくらい、戦場であっても行きたくなるくらい王宮での生活に嫌気がさしていたのかしら……」


 ミラは再びふぅっとため息をつき、下を向いて手に持っていたティーカップを睨め付けている。アルノーに向かって、お前娘を励まそうとして余計落ち込ませやがって的な厳しい視線が家族から投げかけられた。


「私、やっぱり部屋に戻りますわね」


 そしてミラは立ち上がって居間から去って行く。


「アルノー、ミラを元気づけようという貴方の気持ちは分かりますけど、いくら何でも息抜きなんてちょっと言い過ぎではないのですか?」


「いやだって……」


 アルノーはしゅんとしてしまった。


「お母さまのおっしゃった通り、恋患いでしょう。殿下が南部へ行かれてしまってお寂しいのですわ」


「俺もそう思います。けど、あれだけしょっちゅう会っていたっていうのに、殿下の出立前から全然文のやり取りもしていないみたいですね」


 その場の誰もが思っていたことだったが、口に出せなかったことをジェレミーがきっぱりと言ってのけた。


「も、もしかしてじゃあ……」


「アルノー、外野がどうこう言ってもしょうがないでしょう? 私達はそっと見守るしかできませんわ」




 ミラは王太子の身が心配でしょうがなかったが、彼に文を出せずにいた。求婚までされた自分に一言の連絡もなく王太子が戦地に赴いたことが引っかかっていたのである。


(ゲイブは遠乗りの後、別れ際にお互い頭を冷やそう、なんて言っていたわ……だから私に何も言わずに行ってしまったのよね……文を書いても返事も来ないか……)


 最近のミラの生活は学院と屋敷の往復だけで、特に一人で居る時はため息ばかりついていた。


「お父さまのおっしゃるように南部での戦いは簡単に鎮められて、羽を伸ばされていたりして……旅先でさぞお楽しみでしょうから私のことなど忘れてしまっているのだわ、きっと……」


 ミラの部屋に先程から居たレベッカは彼女にそっと話しかける。


「お嬢さま、いくら肌寒くなってきたからといって、こうもお部屋にこもりっきりでは……」


「それは分かっているのよ、レベッカ。そうね、一人で考えていても後ろ向きな思考にばかり行きつくだけね」


「はい、お嬢さまの独り言はとことん悲観的ですわ」


 ミラはそこで初めて自分が考えていることを声に出して呟いていたことに気付く。


「いやだわ、レベッカ。ごめんなさい」


「お気持ちは分かりますわ。でもお嬢さまのお元気がないと家族の皆さまも心配されます」


「ええ、それは痛いほど分かっているの」


「たまにはお出かけになったらいかがですか?」


「そうね。また教会でお祈りしてくるわ。殿下やクロード、騎士の方々の安全を願ってね。私にわかに信心深くなっちゃった」


「そうでございますね」


「何も他にする気にもならないのよ。私が何かできることといったら祈るくらい。藁にもすがる思いっていうの?」


「藁だなんて、お嬢さま、いくらなんでもばちが当たりますわ」


「えへっ、そうでした」


 ミラはレベッカの言葉に力なく微笑んだ。




 ミラの懸命の祈りが聞き入れられたのかどうか、南部ヴァリエール領での戦は鎮まるのに長くはかからなかった。


 その代わり、この地での小競り合いに乗じて、他の国々まであちらこちらの国境から攻め入ってきたのである。サンレオナール王国が王都から南部に兵を出したと聞きつけた隣接国は、他の国境付近が手薄になっていると考えたのだろう。


 王国歴1018年の年末から、あちこちで小さい戦が勃発し始める。王国の中心地に位置する王都は安全であったが、やはり平民も貴族も皆意気が下がっていた。戦のせいで王宮内の騎士、護衛や職員の数が手薄にもなっていた。


 新しい年が明け、情勢が落ち着く春過ぎまでのしばらくの間は国内が全体的に暗い雰囲気に支配されていたのであった。




 それでもヴァリエールの戦を収めた王宮からの兵と魔術師の一団はとりあえず帰京することになった。王太子とクロードもほぼ二か月ぶりに王都に凱旋する。




***ひとこと***

超レアなモード、大人しいミラでした。なんだかんだ言ってもルクレール家の皆さんはミラのことを心配しているのです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る