第十六話 ため息

 ただ今ルクレール家の居間では緊急四者会議が開かれている。四者とはミラを除いた家族四人のことである。


「ミラは最近元気がないと思わないか? どうも食べ過ぎで腹を下したとも思えないのだが、皆どう思う?」


「オニのカクランだってセバスチャンに難しい言葉を教わりました、私」


「そんな鬼の霍乱など生易しいものではない、天変地異だ!」


「そう言えばそうですね。何だか覇気がないと言うか……落馬でもしたのかしら、それともジェレミーと剣の稽古で負け続きなのかしら?」


「先日、居間の長椅子で昼寝していたので起こそうとしたら寝ぼけて俺のことを『ゲイブ……』なんて呼んで一人で赤くなってため息ついているんですからね」


「それはずばり、恋患いに違いありませんわ!」


「ミラが恋患い? まさか! とりあえずレベッカにでも聞いてみるか?」


 そこでアルノーはセバスチャンにレベッカを呼びにいかせる。


「姉上がさ、切なそうな顔で花占いをするなんてキャラが違うし……『好き、嫌い、好き……』だなんてウケるよな」


「昨日のお茶の時間にはグレッグのチョコレートケーキを一切れしか召し上がりませんでしたわ、お姉さま」


「何? 味覚障害か? 口内炎か虫歯だろ?」


 一同シーンとなってしまった。そして各々がお茶をすすっているところにレベッカが慌ててやって来る。


「旦那さま、私をお呼びですか」


「最近のミラは何かおかしいと思わないか、レベッカ?」


「はい。このところですね、無駄に元気なお嬢さまではありません。部屋にこもっておられることが多いです。先日など、街に出てもうちの本屋に行かれるわけでもなく、何故か教会に直行なさって必死でお祈りをされていましたし……」


「何と! ミラが街に出ても本屋でいかがわしい本も買わず、怪し気な店にも市にも行かず、教会でお祈り? あの娘は気が触れたのか?」


「それに最近は食も少し細くおなりになりました」


「味覚が変わったのではないですか? ぼーっとしていることが多いし、部屋に籠ってばかり……あっ、もしかしてこれは……え、でも……」


「テレーズ、何だ? 濁していないではっきり言え」


「よろしいのですか? この場で申しても?」


「もったいぶるな! 緊急事態だ!」


「子が出来たのではないですか?」


 一同はっと息を飲んでテレーズをまじまじと見つめた。


「まさか、あの姉上が殿下ともうヤッてしまった?」


「えっ! 私この歳でもう叔母さまになるのですか?」


「な、何をテレーズ! どうしてそんなことを軽々しく……今一瞬心の臓が止まったぞ!」


「アルノー、貴方が言えとおっしゃったではないですか!」


「お、お、落ち着け、落ち着くんだ皆! れ、冷静になって考えよう……」


 そう言うアルノーが一番動揺しているようである。


「その可能性があるとしたらお相手は間違いなく王太子殿下だろうな? わ、我が家にいらっしゃった時ミラと二人きりで客室に入ってしまわれたが、すぐに出てこられて何もなかったと明言されていたのに……」


「アルノー、あの時は四半時もせずに出てこられましたわ」


「まあ早漏だとしても初打ちがいきなり大命中ってのもすごいですよね。さすが殿下、第一王位継承者は仕事も早い!」


「ジェレミー、それ全然褒めてないし! むしろ不敬にあたるぞ、少し黙っていろ!」


「そうよ、パートナーを悦ばせられず独りよがりなのはどうかしらね!」


「テテテ、テレーズッ!」


「とにかく、あの時は衣服も全然乱れていませんでしたわよ、アルノー」


「あ、ああ、そ、そうだったよな」


 フロレンスの前だというのに露骨な話をやめない家族だった。


「お姉さまと殿下のお子ならとても可愛らしいでしょうねぇ」


「フロレンス、そういう問題ではないのだ、今は」


「私もお祖母さまと呼ばれるのかしら? グランマでもいいわね」


「だからまだそうと決まった訳ではなくて! 我が家でなかったとすると何処でいつ? この中で心当たりがある者、速やかに挙手しろ」


 そこで一同しいんと静まり返ったがジェレミーがまず口を開いた。


「舟でラシーヌを下った時もそんな時間ありませんでしたよ。ずっと俺達と一緒でしたから」


「他のお出かけの時もそうですわ」


「何かあったとすれば先日の遠乗りの時ですが……」


「ジェレミー、お前一緒だったろう?」


「そうなんですけれど、殿下に言い含められて途中俺は消えましたから」


「は? どういうことだ?」


「殿下に頼まれたのですよ。姉上と二人きりで話がしたいから、と。でも俺も最初は同行させられたのですよ。最初から二人きりで、と誘ってもまた姉上に警戒されるだろうから途中まで居ろと命じられました。そして姉上に気付かれないようにそっと音もなく俺は引き返しました」


「そうだったのですか、殿下も中々の策士ですね」


「その後殿下と姉上の間に何があったかは知りませんが、その日帰ってきてからですよ、姉上の調子がおかしいのは」


「私が陛下から王命を受けた日だな……」


「えっ、ではその、遠乗りの時に外でなさった? 王太子殿下って意外とワイルドなのですね!」


「フロー、お前野外プレイとか露出とか興味あんのか?」


「いえ、そういうことではありませんけれど……」


「しかも従者にずっと見られてんだぞ、もしかしたら彼も参加させられ……」


「それは絶対嫌ですわ、私!」


「おい、お前達、ちょっと黙れ!」


 しかし各人色々と想像してしまって少々気まずい雰囲気になってしまう。


「ちょっと、良く考えてもみなさいな。ミラが殿下と遠乗りに出掛けたのはつい二週間まえですわ! もし、もしもその時に既成事実が作られて、それが命中していたとしても悪阻つわりなどの症状が現れるのは早すぎますわよ!」


(これが本当に天下の侯爵家でなされている会話とは……お嬢さま本人のいないところで好き勝手ばかり……)


 レベッカは我慢出来なくなり、恐る恐る口を開いた。


「あのう、一言よろしいでしょうか?」


「なんだ、レベッカ?」


「お嬢さまがご懐妊ということはないと思います。私は毎日お世話しておりますから分かります。けれどお嬢さまが何かとても気に病んでいらっしゃるのは確かですわ」


「そ、そうか……とりあえず良かった」


「そうですわよね、王太子殿下を疑うなんて不敬にあたりますわね」


「だいたい殿下だって手ぇ出すんなら、いきなりはらますなんてヘマしないでしょーに。まあそういうことで、デキてないからってヤッてないとは限らないですよね」


「ジェ、ジェレミー!」


「ミラにも悩みがあるのでしょうね」


「私もお嬢さまにお尋ねするのですが、いつも私は大丈夫、何でもない、とおっしゃいますがどう見ても調子が良くなさそうで……かと言ってお病気というわけでもないようなのです」


「南部の戦いに赴いた殿下の心配をしているのだろうな」


「それが一番考えられますわね」


「姉上ってそんな健気なタイプじゃないような気が」


「でも、お姉さまだって恋する乙女ですわ」


「いや、どう見てもさあ、あの姉上が殿下に恋しているってのが信じられないんだよなぁ」


「私もそうね、あの娘の母親としてもそれは少々疑問ですけれど、恋をしたら女は変わるわ。恋人が戦地に行ってしまったら心配なのも当然でしょう?」


 その時セバスチャンが居間にやって来てアルノーに告げる。


「失礼いたします、旦那様。ミラお嬢様がただ今階段を下りてきていらっしゃいますが」


「大変だ、皆、適当に何か別の話題をしろ!」


 急にそう言われても誰も何も言うことがないのでそれぞれわざとらしくお茶をすすっているところにミラが居間に入ってきた。


「あら、お父さまに皆さま、お揃いでごきげんよう」



***ひとこと***

ルクレール家の家族会議はいつも暗礁に乗り上げてしまいます。皆さんミラの居ないところで勝手な推測ばかり……

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