第十三話 野ばら

 遠乗りに出掛ける朝、ルクレール家のうまやでミラはジェレミーとどちらがどの馬に乗るか言い合っていた。


「ジェレミー、アンタがエクレールに乗りなさいね。私はブランシュで行くわ」


「いや、姉上がエクレールに乗って下さいよ」


「だってもし殿下が長距離お出かけになりたいのならエクレールの方が断然体力あるし、私はブランシュとゆっくりついて行くわ」


「何言ってんですか、殿下が姉上を置いてそんな遠くまで行かれるはずがないでしょう。殿下と競争するなら姉上だって勝ちたいですよね。だったらエクレールでぶっちぎらないと」


「それもそうね、私エクレールだったら殿下にだって勝てそうな気がするわ」


 結局額に稲妻のような白い模様のある黒毛の雄にミラが、真っ白な雌のブランシュにジェレミーが乗ることで落ち着いた。ミラの負けず嫌いな性格を知っていてそうけしかけたジェレミーはどうやら何か企んでいるらしいが、ミラは全く気付いていない。




 王太子は約束の時間に従者を一人だけ伴ってルクレール家の正門をくぐった。黒い乗馬服姿で栗毛に乗っている王太子は誰の目からも立派な凛々しい青年である。


(姉上この人の猛アタックにも動じてないんだよなぁ……我が姉ながら謎だぜ、全く。まあ人には好みってのもあるだろうけどさ……)


「乗馬服の君も素敵だよ、ミラ」


 王太子はミラの手を取り、軽く手の甲にキスしながら言った。


「えっと、殿下もとても素敵でいらっしゃいますわ」


(殿下も素敵とか言いながら、目がハートになってるわけでもなく……姉上は俺のこと絶世の美女もへのへのもへ子にしか見えてない、とか言うけど、そっちこそどんな美男子にも反応しねぇし)


 ジェレミーの意味ありげな視線も気にせず王太子は続けた。


「今日は王都東の森の方へ行ってみようと思っているのだけど」


「はい、小川もありますし、馬も休憩できますね」


「時間があったら森を抜けた先の丘まで足を延ばそうか?」


「ええ、殿下。丘まで行ったら私と競走しませんか?」


「君も無謀なこと仕掛けてくるねえ。俺は負けないよ」


「女だと思って油断なさらないことね、ゲイブ」


 ウィンクして答えた王太子に屈託ない笑顔で言い返すミラだった。


(あーあ、王太子にウィンクなんてされたらさあ、妃の座を狙う女なら腰砕けになっているところだぜ……姉上には全然効いてねぇよ! 攻略甲斐があるって言ってもなぁ……)




 馬に乗った一行は街を抜け、王都の東門の先に広がる森へ入って行く。途中の小川のほとりで馬を少し休ませようとしてミラはやっと気付いた。後ろに居たはずのジェレミーがいなくなっているのである。王太子の従者が一人ついて来ているのみだった。


「えっ、ジェレミーどうしちゃったのかしら? あの子がこの速さでついて来られないなんてあり得ないし、迷ったのかしら? ゲイブ、私少し探しに行ってもよろしいですか? 心配だわ……」


「ルクレール様は馬の調子があまり良くない様子だから引き返す、とおっしゃいました。折角の殿下のお誘いなのに申し訳ないとのことです」


「そうか、残念だな」


 全然残念そうでない王太子に対し、ミラはジェレミーと馬のブランシュのことが気になっているようである。


「本当に大丈夫かしら……ブランシュ、体調が悪かったなんて……」


「街からそう離れてはいないからきっと心配いらないよ、ミラ」


「そうですわね」


「もう少しで森を抜けるよ、ミラ」


「はい」


 王太子がジェレミーを追いかけて引き返そうとしないので、自分も帰るとは言い出せないミラだった。


 そして二人はそのまま東の方角に馬を進めた。木がまばらになり、小さな池のほとりまでやって来たところで再び休憩をすることになった。王太子は従者が木陰に広げた敷物の上にミラと一緒に座る。従者は三頭の馬に水を飲ませに行った。


「今日は暑すぎることもなく、過ごしやすいわね、ゲイブ。もう夏も終わるのね……」


「疲れていないか、ミラ?」


 水の入った水筒をミラに手渡しながら王太子は聞いた。


「いいえ、全然。何ですか、私と競走するのに怖気付いたとか?」


「ハハハ、そんな訳ありませんとも、ミラ・ルクレール嬢」


「どうだか!」


 そこで満面の笑顔だった王太子はいきなり真面目な顔になった。大木を背に隣同士に座っていた二人だったが、彼はミラと向かい合った。


「ところで君に話があるのだけれど」


「ええ、そんなに改まって何でしょうか?」


「ミラ・ルクレール、貴女に私の妃になる栄誉を与えよう」


「……」


 ミラは一瞬耳を疑った。目の前には真剣な表情をした王太子が座っている。


「たった今何とおっしゃいました? 殿下の……手先?」


「テサキ? 隠密か、君は? キサキとして迎えるって言ったんだよ!」


「このワタクシメをキサキに、ですか? ど、どうしていきなりそんなお話に……」


 ミラは居住まいを正して慌てて聞き直す。


「いきなりじゃないだろ! ままごとじみたデートはもう十分したじゃないか。そろそろもう一歩踏み込んだ関係になってもいい頃だ」


「ええっ? そ、そんな……」


 そんな横暴な、と思わず言いそうになって慌てて口を噤んだミラだった。ミラの意外な反応に少々不機嫌になりつつある王太子だった。


「ミラ、君はどうしてそこまで驚く? 今まで俺が何度も誘っていたのは何だと思っていたの?」


「そ、それはそうでございますけれども……あ、あの、殿下はまだお妃はお一人もいらっしゃいませんよね。側妃をめとるのはとりあえず正妃さまをお迎えになってからの方がよろしいのでは……」


「誰が側妃って言った? 妃って言ったら普通は正妃だろーが!」


「そ、そんな大役とても私には……どうしてもとおっしゃるのなら……せ、せめて第四、第五側妃あたりで! それでお許し下さいませんか?」


「数が飛んでるし! そんなに側妃ばっかりいらないよ!」


 どうもミラの前では調子が狂う王太子だった。


「えぇー、お妃さまお一人だけで我慢お出来になるのですか? 英雄色を好むって昔から相場は決まっていますでしょう? たくさんの美女にかしずかれて後宮にハーレムを築いて、なんてことが許されるお立場なのに、なんて勿体なーい!」


「いや、だから俺だって男だからそんな魅惑的な状況に憧れないことはないけれど……って何てこと言わせるんだよ! いちいち失礼なひとだね、君は……俺を何だと思っているの?」


「え、何って? それはもちろんこの王国の王位継承第一位の王太子殿下にあらせられますから、側妃を沢山お迎えになる権利をお持ちです!」


「側妃、ソクヒって連呼するな! 君を正妃に迎えるって言っているだろ!」




***ひとこと***

王太子殿下、小舅ジェレミーは消え、従者も追い払い、折角二人きりになったのにぃ! プロポーズが見事に空振りです……

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