第十話 素直になれなくて

 そしてバレット医師は二階に案内され、ミラの部屋に通された。テレーズは柱の陰からこっそり覗いていたアルノーを発見、彼につかみかかる。


「アルノー、ですから私は仮病なんて通用するものですかと申しました!」


「いや、そうだが……」


「なんだかとても優秀なお医者さまのようですわよ」


「当ったり前だ! でなければ王宮医師の職になど就いていないわい。ミラがピンピンしていることなどあっという間にバレてしまうだろうな……ああ、再び破滅の危機だ……オオオ」


 アルノーは泣き出しそうである。


「全く、貴方たちは……自業自得ですわ」




 アルノーに王宮医師の訪問を告げられ、部屋に大急ぎで戻ったミラは寝衣に着替え、寝台に座っていた。そこへバレット医師が入ってくる。


「お嬢様、失礼いたします、王宮医師のバレットと申します。お嬢様の体調が思わしくない、と王太子殿下から伺いました」


 剣を振っていた時にアルノーに呼ばれ、階段を駆け上がったり着替えたりで息が上がっている。そんなミラを見てバレットはどう思ったのかニッコリ笑って寝台の側の椅子に腰かけた。


「熱でもおありですか?」


 ミラはまだ一言も発していない。部屋には他にレベッカが控えているだけである。


「先生、私が先生に診て頂くのは嫌だと申しましたら?」


「お嬢様、そういうわけにはいきません。私は王太子殿下の命でここに診察に参りましたので」


「そうでしょうね」


 ミラは観念した。バレットは微笑みを浮かべたままである。


「正直に申します。どうも私のやることなすこと、全て裏目に出て殿下のお目にとまってしまうみたいなのですよね。最初お会いした時は御身分を存じ上げず、何も意識せずに普通に楽しく会話が出来たのですけれど、一旦王太子殿下だと分かってしまうと……」


 ここが痛いあそこが痛いとでたらめを言っても王宮医師の彼にはすぐに嘘だとばれてしまうと考えたミラだった。バレット医師はミラの言葉に口を挟まず、にこやかな顔で頷いている。


「どうしても二人きりで出かけるだなんて。決して殿下とご一緒するのが嫌なのではないのです。先日も色々ありましたけど、最後は和やかに殿下と食事ができましたし。そうですね、家族以外の男性と二人きりになることに少々抵抗があると申しますか……」


「お嬢様のお気持ちも理解できます」


「まあ、お偉い王宮医師の先生でも、ただの一貴族の娘の気持ちがお分かりになるのですか?」


「別にその方の境遇に身を置かなくても想像、共感することはできますよ」


「それに私自身は王族の方や王宮とは無縁な静かな暮らしが送りたいのです。私の家族も同じです」


「はい、分かります。お嬢様や御家族のようなお考えをなさる方は貴族社会ではそう多くはいらっしゃらないでしょうが」


「どうぞ私のことはミラとお呼び下さい」


「ではミラ様、王太子殿下のお気持ちも少しは想像なさったことがありますか?」


「え? いいえ」


「殿下は最近とみにお楽しそうです。ミラ様に遠乗りのお誘いを断られたというのに、ニヤニヤされながら私に貴女の診察を命じられました」


 ミラは混乱した。王太子の気持ちなど考えたこともなかった。彼はミラに誘いを断れらたら他の令嬢にでも声を掛ければいいではないか?


「ええっと、私が折角のお誘いを辞退いたしましたのにニヤニヤ? 体調不良の私など放っておいてどなたか他に誘えばよろしいのに……」


「他の誰でもなく、殿下はミラ様と一緒にお出掛けになりたかったのだとは思われませんか?」


「……私と?」


「さ、私もこちらへは診察ということで参りましたので、最低でも脈と心音それに熱だけは診る必要がございます。では失礼して……」


 バレットは診察鞄を開けて聴診器を取り出した。


「あの、殿下には私が一人でだだをこねていた、と報告して下さいませんか? 家族はこのお誘い辞退には関わっていないのです」


「私も医師としての倫理規定に背くことは出来ませんが、守秘義務もございます。そうですね、ミラ様が殿下とお二人きりでお出かけになるのはまだ心の準備が出来ていない、とでも申し上げておきましょうか」


 驚いたことにミラにウィンクをしながらそう言ったバレットだった。パチパチと瞬きをしながらミラはあっけに取られていた。


「あの、先生はそれでお咎めは受けないのですか?」


「ハハハ、私のご心配まで。私も殿下のことは生まれた時から存じ上げておりますからね。王位継承者であると同時に彼も一人の人間ですよ。横暴なところなどなく、情け深くお優しい方です。さて、ミラ様の体調は健康優良児そのもののようですね。弟君と庭で木刀を振り回されるくらいですしね……」


「ウグッ……」


「ミラ様がそうして周囲に気を配る、そんなところも殿下はお気に召されたのだと思います。殿下にもミラ様のお気持ちを率直におっしゃってはいかがですか? 殿下との遠乗りや外出が嫌なのではないと。二人きりでなく家族や友人も誘ってよろしいですか、とか」


「それは失礼にあたりませんか?」


「仮病を使って断られるよりも殿下は納得して下さると思います」


「……そうですね。今日はお手数をお掛けして申し訳ありません……」


「いえいえ、私は体の病気だけでなく、心の悩みや問題も診るのですよ。また何かありましたらいつでもご相談下さい。それでは失礼いたします」


「大変お世話になりました、先生。ありがとうございました」


「いいえ、どういたしまして。この後も王宮医師として貴女様とは長く関わり合いになることと思いますよ」


「そうでしょうか? あ、また王宮の舞踏会に招待されることもあるかもしれませんしね。私ダンスに慣れていないので良く自分がつまずいて足を捻ったり、パートナーに怪我をさせたりするのです。その時はまたお世話になります」


「わっはっは! やはり殿下のおっしゃる通りですな、ははは」


 バレット医師はそうして高らかな笑い声と共に退室していった。




***ひとこと***

バレット医師は話の分かるオッチャン(失礼!)でした。何でもお見通しの彼が言ったように、ミラは将来王宮医師の彼に大変お世話になるようですね。

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