第九話 最後の言い訳

 数日後、王宮からの使いが王太子の書状を持ってルクレール家にやって来た。


『親愛なるミラ・ルクレール様


 先日は楽しい昼食の一時を過ごすことができました。三日後は貴女も学院はお休みでしょう。王都外れの丘まで遠乗りに出掛けませんか? 昼過ぎに迎えに参ります。


ガブリエル=アルフォンス・サンレオナール』


「ミラ、これはどういうことだ?」


「どうもこうも、遠乗りに誘われたようです。有無を言わさずお迎えにいらっしゃるようですわ」


「殿下がお誘いになったのは……お前一人? なのか?」


「さあ?」


「さあ……ってお前何をそんな悠長な! もう少し緊張感を持て!」


「何だかんだ言ったって、王太子の命でしたら私は行かざるを得ないのでは?」


「私もお目付け役としてついて行くぞ!」


「それはどうでしょうか、アルノー。お姉さまに付添をお願いしましょうか? こんな時は年配の女性の方が宜しいでしょう。お姉さまなら乗馬もお手のものですしね」


 テレーズの姉とはクロードの母親、ルイーズのことである。


「あ、体調が悪いと言ってお断りするというのは?」


 ミラは先日のように王太子と二人きりになることに少々抵抗があったのだ。アルノーは眉をしかめ、テレーズは非難するような顔をミラに向けた。


「やっぱり駄目ですか?」


「そんな手は一度しか使えんぞ。だいたいお前の様な野生児がそう頻繁に病に倒れるのも不自然だ」


「何度も誘われるはずありませんわよ。今回だって殿下の気まぐれではないのですか? 私みたいな者が少々珍しいだけでしょう」


「うむ、それもそうだな」


「そうかしらね? 私は仮病なんて名案とも思いませんけれど」


「いや、テレーズ、今回のお誘いを辞退すれば、そのうち殿下もミラのことなどお忘れになるに違いない」


「余計殿下の印象に残ってしまうのではないの?」


「王太子殿下ともあろうお方が折角の誘いを断るような侯爵令嬢のことなど気にするわけないだろう」




 テレーズの意見には耳も貸さず、父娘は結託して王太子に丁寧な断りの返事をしたためた。最近の暑さのせいか、体調が思わしくないのでお誘いは嬉しいが今回はご一緒出来そうにありません、などと真っ赤な嘘を書いたのだった。


 王太子からはすぐさま、それは残念だ次回を楽しみにしているという返事と見舞いの豪華な果物かごが送られてきた。二人の仮病作戦は上手くいったように思われた。


「またの機会だって、ただの社交辞令でしょー!」




 その次の日のことである。再び王宮からの馬車がルクレール家の前につけられる。今度は黒い鞄を持った、年配の白髪交じりの男性が降りてきた。屋敷の玄関で執事のセバスチャンに頭を下げた男性は名乗った。


「王太子殿下に遣わされた王宮医師のゲタン・バレットと申します。こちらのミラ・ルクレール侯爵令嬢の診察を命じられました」


 事情は少々知っていたが、優秀な執事セバスチャンは表情も変えず、うやうやしく迎え入れたバレット医師を応接室に通す。そして大至急アルノーとテレーズに報告した。アルノーは王宮医師が送り込まれたと聞くと、サーッと血の気が引いて行くのが感じられた。


「ま、まずいことになったぞ! ミラは何処だ?」


「あら、まあ……殿下もなかなかやりますわね」


 とりあえずテレーズがバレット医師の相手をして時間を稼いでいる間に、アルノーはミラを探すことにした。セバスチャンには一階を探させ、彼自身は二階に向かう。ミラの部屋はもぬけの殻で、自分の部屋から出てきたフロレンスはこう証言した。


「お姉さまならお兄さまと二人でしたわ。多分庭へ出たのではないでしょうか?」


「庭へ?」


「だって二人共木刀を手にしていましたもの」


「まずいぞ、まずいぞ……」


 応接室の庭に面した窓が開いていたのを思い出し、アルノーは更に血の気が引いて行くのを感じた。体調が悪いと言って王太子の誘いを辞退した娘が家で木刀を振り回しているなどと王宮医師の口から漏れることを想像して青ざめた。


「そんなことになったら一巻の終わりだ……」


 アルノーは転がるように階段を駆け下り、居間のテラスから庭に出る。案の定ジェレミーとミラの声がしている。


「ヤァー!」


「トォー!」


 屋敷の裏の方からである。応接室からは見えない筈だった。ゼイゼイハァハァと息を切らして声がする方へ走って行った。




 その頃応接室ではテレーズがバレット医師とお茶を飲みながら話をしていた。


「娘も難しい年頃ですので体調が悪いと申しながらも、医者に診せるのは断固拒否しておりますの」


「それは侯爵夫人もさぞご心配なことでしょう。それはそうと先程から聞こえてくる元気の良いお声はご長男ですか?」


「はい。剣の素振りでもしているのでしょう」


「ちょっと、ジェレミー! 不意打ちとは卑怯よ!」


 ミラの声である。テレーズは頬が引きつった。


「おや、女の子の声もしますな。もう一人の娘さんですか?」


(だから仮病を使うなんて止めなさいと言ったのに……)


「ええ。オホホ……女の子にしては少々元気過ぎるくらいですの」


「では私はそろそろミラお嬢様を診させていただきましょうか」


「ええ、でも本人が嫌がるところにいきなり先生をお連れするわけには……」


「それでも何日も部屋に籠っておいでなのでしょう、ご心配ではないですか?」


 確かにバレット医師もこのままミラの顔も見ずに王宮に帰されたとあっては、王太子にお叱りを受けるに違いない。そして王太子に不審に思われ彼自らに再び屋敷に乗り込まれたら益々まずい。


「少々お待ちくださいませ、先生。とりあえず娘の様子を確認させます」


 テレーズは呼び鈴を鳴らし、侍女を呼んだ。テレーズは事情を分かっているらしい侍女をミラの部屋までやった。今の間にアルノーが彼女を部屋に閉じ込めてとりあえず寝衣にでも着替えたミラが寝台に横になっているといいのだが……


「侯爵夫人、私は精神病理学、心理学も少々かじっております。医師に診せることに抵抗のある適齢期の御令嬢や若い女性も多く診ますので……きっとお嬢様も心を開いて下さることでしょう」


 テレーズは医師が全てを知っていてこんな御託を述べ出したのではないかと疑った。その時丁度先程の侍女が戻ってきて、テレーズの耳にミラが彼女の部屋にたった今戻ったばかりだと告げた。


「先生、ではミラの部屋にご案内致しますわ」




***ひとこと***

今度は仮病がバレそうです。新たな危機ですよ。全くこの父娘は……

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