第八話 乙女の祈り
部屋の扉を後ろ手に閉めた王太子はミラに言い放った。
「何だか俺も舐められたものだな……さて、この落とし前はどうつけて貰おうかな? ミラ・ルクレール侯爵令嬢?」
「ゲイブ、殿下って? もしかして貴方、王太子殿下なのですか?」
「やっぱり俺のこと知らなかったのだね。ガブリエル=アルフォンス・サンレオナールにございます。貴女の前で本名を名乗れるとは何という栄誉でございましょう」
「(ゲッ! 本当に本物の王太子ぃ!)先日はゲイブなんて異国風の愛称をおっしゃるから……存じ上げなかったのは大変失礼いたしました。えっと、今ここで二人きりという状況は非常にまずいですわよね……」
「何がまずい? 俺は何をしても許される身だけど?」
王太子の表情からは彼が怒っているようには見えなかったが、彼の低い声は冷たくミラの耳に響いた。そして王太子にじりじりと詰め寄られて、後ずさりしたミラは寝台に足が当たってしまう。
(ゲ、男と二人きりで部屋に閉じ込められて、しかも身分だけは高い傲慢ヤローで家族も立ち向かえない……ピ、ピンチ!)
そしてあれよあれよという間にミラは寝台の上に押し倒される。勿論のこと初めてだったし、男の人が怖いと思った彼女だった。ミラだって伊達に弟のジェレミーと一緒になって庶民の娯楽本を読み漁ってはいない。経験はないものの、これから何が起こるかは分かっていた。
(ああ、このまま手籠めにされて何処へも嫁げなくなったら……ルクレール家の不名誉だわ……家族に迷惑が掛かる……)
「なに体固くしているの? 別に君を痛めつける気はない」
(嘘つけ! この野蛮王子!)
か弱いわけではないが乙女を押し倒しておきながら、そんな台詞信じられるはずがない。
「あの、私が全て悪いのです。侍女のレベッカと入れ替わったのも、王太子殿下のご尊顔を存じ上げなかったのも……ですから、私のことは殿下のお好きなようになさっても、どうか家族にお
「へぇ、家族思いの感心なお嬢さんだねぇ」
ミラは寝台の上に仰向けで両腕を押さえつけられ、王太子は彼女の上に馬乗りになっている。そして不機嫌そうな表情をした彼の顔がミラに近付き、口調や態度とは裏腹に優しく軽いキスが彼女の口に落とされる。
「じゃあ遠慮なく」
そして彼はミラのドレスのボタンに手をかけた。ここで王太子の急所に膝で一撃を与え逃亡、なんて考えが一瞬よぎったミラだったが、そんなことをしでかしたら不敬罪でルクレール家は爵位返上の上家族全員島流しの刑なんてことも大いにあり得ると思いとどまる。自分が傷ものになったら、非常に退屈しそうだが余生を修道院で過ごせばいいだけである。
「えっと、本で読んで知識だけはございますが……実体験はないですし……その、ご期待に添えるかどうか分かりませんけれど頑張ります!」
「何言っているの? 普通ね、君の様な嫁入り前の令嬢で経験がある方がおかしいだろ。それとも、火遊びしていてもう生娘ではないのにそのフリしているとか?」
「フリ? いいえ、それはないです。証明しろとおっしゃっても困りますが……」
「まあ、ヤッてみれば分かることだ」
王太子は片手で器用にボタンをはずしにかかっている。
「あ、あの……痛いのですよね?」
「痛みは個人差が大きいと思うけど?」
「巨大な
それを言った瞬間ミラはしまった、と思ったが遅かった。
「あのね、大きな虻とか我慢するとか……男としてのプライドズタズタに踏みにじられているのだけど、俺」
「も、申し訳ございません! つい口が滑ってしまって……思ったことをすぐに口に出してしまうのは私の悪い癖なのです」
「もういいよ、その気も失せた」
ミラのドレスを脱がそうとしていた王太子の手は止まる。唖然としているミラの身体から彼は下り、彼女の体は自由になった。ミラは大いに焦る。自分が不甲斐ないせいで王太子の相手が務まらず、家族に迷惑を掛け彼等の名誉を
「え、そんなことおっしゃらずに、殿下、お願いいたします。どうぞお情けを。私のせいで家族が島流しにされたり、彼らを路頭に迷わせたりするわけには! どうかその気になって下さいませ!」
「いや、だからもういいって言っているだろ!」
ミラはガバッと起き上がり王太子のシャツを掴んで懇願する。掴んでしまってからそれは失礼だったと考え慌ててパッと離した。その代わりに寝台の上に座ったまま頭を下げたが、それでも無礼かと思い、転がり落ちるようにして床の上で土下座しなおした。
「私にお色気が足りないのは重々承知しておりますが、そこを何とか!」
「君も家族も咎めない。だいたい君は俺を何だと思っているの? 嫌がって体をカチコチにしている女性をどうこうしようって気にはならないって言っているじゃないか」
「私、嫌がってなど……少し緊張しているだけでございます」
「それは君が家族に迷惑を掛けない為に体を張っているだけだろ、その気になっていないのはそっちもだ。さあ、服を整えろ、扉を開けるぞ。君の両親達がそこに張り付いて聞き耳をたてている筈だ」
ミラは慌てて鏡の前で髪とドレスを整える。それと同時に王太子は扉を開けた。
「で、で、殿下!」
案の定アルノー以下、扉に張り付いていたようだった。無理もない。
「ルクレール、安心しろ。娘の身はまだ清いままだ」
「はっ、それは……でも、しかし……」
アルノーは王太子の後ろから出てくるミラの姿をまじまじと眺めている。
「だいたいこの短い時間に何が出来る? 君達親子揃って何気に失礼だよね……」
「では、やはりミラは何か粗相をしでかしたのでしょうか?」
「いや、それもない。とにかく、私たちの間には何も起こらなかった、と私が言っている。大体衣服だって乱れていないだろう? 分かったな」
「はっ、殿下がそうおっしゃるのでしたら……」
「さあ、本物のルクレール侯爵令嬢と食事の続きをしようかな」
「は、はい」
そしてミラは王太子にしっかり腕を掴まれ、食堂に連れられて行き、昼食は仕切り直されたのだった。意外にも食事は和やかに滞りなく進んだ。
「舞踏会の時バルコニーで君が俺のこと知らなかったのって、意外と言うか結構ショックだったのだよね」
「ミ、ミラお前何という失礼を……」
王太子の機嫌もやたらと良さそうである。アルノーは焦り、テレーズはニコニコしている。
「申し訳ございません、殿下。最初お会いした時はある程度の身分のある貴族の方だとしか認識しておりませんでした」
「まさかね、父上に連れられて玉座まで挨拶に来ていた君がそのすぐ後、俺の顔を見ても何の反応も示さない時にはねぇ。今日この屋敷に突然押し掛けるまで知らなかったとは」
「舞踏会ではあまり目立たないように、お偉い方々をガン見するなとも父には言われておりましたし」
「俺、ダンスが始まってから母や妹と踊っていたけれど」
「えっと、それも、見ておりませんでしたので」
「そこまで無関心でいられると少々悲しいね」
そう言いながらも王太子は楽しそうである。
それから王太子に促されてアルノーとテレーズはミラの子供時代の話などをしていた。ミラ自身も王太子の同席を、彼との会話を意外にも楽しんでいる自分を認めざるを得なかった。
帰り際、王太子は使いも何も寄こさず突然訪れた無礼を詫びた。そしてミラの手の甲に
「君とは近いうちにまた」
帰って行く王太子が馬車に乗り込むのをミラはホッとしながら見送ったのだった。
(近いうちも何もないわよ……さよーなら、ガブリエル王太子殿下)
そんな呑気なことを考えていたミラは大いに間違っていたのを数日後に知ることになるのだった。
***ひとこと***
ミラの貞操の危機も、ルクレール一家王都引き回しも島流しも免れました。さて王太子は近いうちに今度は何を仕掛けてくるのでしょうか?
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