第七話 Be our guest
王太子との昼食は何事も無く始まった、ように思われた。レベッカも常にミラの行儀作法について彼女を叱りつけている立場である。侯爵令嬢としての作法は一通り頭に入っている。アルノーもほっと胸をなで下ろしていた。
前菜とスープは無事に済んだ。ただ、事情を知らないテレーズがミラの様子がおかしいのに気付いたようだった。
「ミラ、どうしたの? オマール海老のパテなんて貴女の大好物でしょう? 殿下の御前だから緊張して食べ物が喉に通らないのかしら?」
(こいつが本物だったら殿下だろうが国王陛下の前だろうが、緊張して食欲が減るなんてことあり得ないだろーが!)
(お嬢さまだったら殿下の前でも普通に食事する度胸がありそうですけれど……)
アルノーは心の中で妻にツッコミを入れていた。フェイクミラのレベッカも同様である。レベッカは勿論食欲などあるわけなかったし、甲殻類アレルギーなので手をつけなかったのだ。
主菜の魚が運ばれている時だった、レベッカはふと庭に面した向かいの窓に自分自身の影を見た。それはレベッカに化けたミラで、こちらを覗き見していたのである。
「あっ!」
思わず小さく声を上げるレベッカだった。
「どうかされましたか?」
王太子に聞かれるも、本物のルクレール侯爵令嬢が窓の外に張り付いております、などと言えるはずがない。どうにかして隣のアルノーに伝えないといけないのだが、向かいに座っている王太子にばれないようにアルノーとこそこそと話が出来ない。
全員に主菜が運ばれ、給仕が一人一人に胡椒はいかがと聞いている。王太子はその時、皿の魚が自分にウィンクをしたように見えた。しかもその魚は尻尾をピクピクッと少し動かしたのである。思わず瞬きを繰り返した王太子だった。窓の外では本物のミラがクスクスと笑っているのも知らずに……
そしてレベッカもどきミラの姿は窓から見えなくなり、給仕がレベッカの後ろから胡椒はいかがと聞いてきた。
「少しだけお願いします」
レベッカは胡椒のせいか、くしゃみが出そうになった。
(あっ、だめ……我慢できないわ……)
こらえきれずにナプキンで口を覆って横を向きくしゃみをする。
「ハッ……クチョン!」
「お、お前……」
「ミラ殿?」
驚いたのは食卓に共に座っていたルクレール侯爵夫妻と王太子である。給仕をしている者も同様だった。母親のテレーズが呆れて言った。
「まあミラったらまたレベッカと入れ替わっていたの?」
「えっ? もしかして私……?」
「そのもしかだ、レベッカ。元の姿に戻ってしまったよ」
「ちょっとこれはどういうことか説明して欲しいね!」
王太子がきつい口調になるのも無理はない。レベッカは迷わず椅子からすぐさま下り、床に土下座した。ミラの格好で王太子の前に引き出された時点で覚悟していたことだ。こんな入れ替わりが最後まで上手くいくはずがないのは分かっていた。
「お許しくださいませ! 殿下がお見えになるとは存じませんでしたので、主人のミラも私も何の深い考えもないままこんな入れ替わりを……」
アルノーも立ち上がり、最敬礼で頭を下げる。
「いえ、これは私が命じたことです。というのもミラが行方知れずで、この偽ミラが目の前に居りまして……」
「まあ別に私も君達を取って食おうと言っているわけではない。本物のミラ嬢は何処へ行ったのかな?」
「そ、それが行方不明でございまして……」
その時セバスチャンが慌てて食堂に入ってきた。
「大変失礼致します、殿下。旦那様、お命じになられた件、解決致しました!」
セバスチャンはアルノーの後ろで王太子に頭を下げたままアルノーに報告する。
「それって本物のミラ・ルクレール嬢の行方のことかな?」
アルノーが口を開く前に王太子は直接セバスチャンに尋ねる。彼はより深く頭を下げて答えた。
「はい、殿下。主人のミラを発見の上、捕獲に成功いたしました。厨房です!」
「案内しろ!」
「え、しかし殿下、それは……」
「ルクレール、彼女に逃げられる前に何としても一言お灸を据えてやらないと気が済まない」
そこでレベッカは恐る恐る顔を上げ、王太子をチラッと盗み見し、彼の面白がっているような表情を見逃さなかった。
(楽観は出来ないわ……人を罰するのが楽しいのよ……きっとお嬢さま、旦那さまに私、不敬罪に課せられるのでしょうね……王都引き回しの上、拷問、
「案内出来ぬと申すのなら私が自ら行くまでだ」
王太子は食堂を出て行こうとする。
「セ、セバスチャン、ご案内して差し上げろ。いや、私が行く! お、お待ちください殿下! 厨房はこちらでございます」
その頃、再び厨房に行ったレベッカに化けたミラはグレッグに捕まっていた。セバスチャンからの指令だったのだ。レベッカ(仮)を見かけたら引き止めておき、セバスチャンに至急知らせることが昼食の準備よりも最優先だと。グレッグは呆れた顔で彼女を見ている。
「ミラお嬢さま、いい加減元の姿に戻ってレベッカを解放してやって下さい」
「バレてしまったわね、グレッグ。ミラよ。どうして分かったの?」
「それは……何となくですが……」
ミラが知る限り無表情でつっけんどんな職人気質のグレッグが少し赤くなっている。
「ふうん、そういう事。やっぱりそうじゃないかと思っていたのよ。レベッカにはいくら吐かせようとしても、あの子強情で口を割らなかったのよねー」
「……まあ、レベッカは調理台の上に胡坐をかいたりしませんしね」
「で? 貴方たち、どこまでイッたの?」
ミラは一応他の料理人や使用人に聞こえないよう、声を潜めて尋ねた。グレッグは益々赤くなっている。主人のミラの前であるが少々憮然とした表情は隠せなかった。
「お嬢様、失礼ですが、その質問に答える義務は調理人としての仕事内容に含まれていないと思います」
「それもそうね。レベッカが貴方に嫁いでも私の侍女を辞めないのなら、貴方たちがどこまでイッてようが構わないわ」
「は? さ、左様でございますか……それはそうと、お嬢様、お姿が元に戻っていますよ」
他の料理人達もミラの姿に気付いている。
「お、お嬢様!?」
それと同時にアルノーと王太子が厨房にやって来た。
「殿下、こちらでございます。ミラ! とりあえずそこから下りろ!」
ミラは未だに調理台の上に胡坐をかいていたのである。
「ゲッ、お父さま! それに貴方は!」
ミラは一応慌てて調理台から飛び降りる。
「ミラ・ルクレール嬢、貴女に二人だけで話がある。ちょっと一緒に来てもらおう」
「はい?」
ミラは王太子に手を引かれて厨房から出て、速足の彼に引きずられるように屋敷の中を進む。
「ねえ、貴方ゲイブよね? 高貴なお客さまって貴方だったのね。どうしてうちに?」
ミラは後ろから父親達が追いかけてくる足音を聞きながら呆然と何処へ向かっているのだろうと考えていた。そして王太子はミラの問いには答えず、適当に客用寝室の一つに彼女を押し込めた。扉を閉める直前に後ろに向かって毅然とした声で告げる。
「何人たりとも私の邪魔をすることは許さん!」
「そ、それは……殿下!」
「で、殿下!」
アルノー達のその声と同時に王太子は扉をバタンと閉めた。
***ひとこと***
ゲイブこと王太子と密室で二人きりに! しかも彼は少し怒っているようです、無理もないですが……ミラの危機です!?
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