第四話 英雄ポロネーズ

 庭に連れ去られそうな女性を目撃して焦ったミラは、丁度バルコニーの扉の前を通りがかった背の高い若い男に声を掛けた。


「そこの貴方! 子羊が狼に襲われてしまうわ! じゃなくて、か弱い乙女に無体を働こうとしている男がいるの! 奴をとっちめるのを手伝って下さらない?」


 ミラも必死だったため、顔もろくに見なかったその男性は上着を脱いでいて白いシャツ一枚だった。ズボンも白で金糸の飾りがついている。彼はすぐ側にいた男性に一言二言何か言った後、ミラに聞いた。


「そいつはどこに居る? バルコニーか?」


「もう庭に下りているわ」


 ミラは急いでバルコニーに戻り、令嬢を抱きかかえるようにして庭の奥に向かう男に向かってまず扇子を投げた。


「そこの黒い狼、待ちなさい! ピンクの子羊を何処へ連れて行く気?」


 それを外したのですかさず片方の靴を脱ぎ、それも投げつけた。その靴はボコッというような音がして見事狼の背中に命中する。


「靴なんて投げたことはなかったけれど我ながらやったわ! 私の腕もなかなかね!」


「イテテテ、誰だ?」


「誰だじゃないわよー、意識が朦朧としている女性を暗がりに連れ込んで何をするつもりだったのよ! 今人を呼んだからね! アンタを捕まえに護衛騎士がすぐにやって来るわよ!」


 ミラが言い終わるや否や、王宮の護衛騎士が四、五人ささっと現れバルコニーの階段を下りあっという間に黒い狼はお縄になった。ピンクの子羊も騎士の一人に支えられ、助けられたようである。医療塔に連れて行ってもらえるのだろう。ミラはほっと一息つき、自分の隣の存在に改めて気付く。


「えっと、貴方が丁度通りがかって良かったわ。ありがとうございました」


 その背の高い男は何か楽しそうな表情をしていた。


「どういたしまして」


「ピンクの子羊に何か変な薬を盛ってバルコニーにおびき出した赤い狐も居たのですけれど、もうとんずらしてしまったかしら?」


「赤いきつね?」


「ええ、赤いドレスを着た女狐よ。顔を見てもちょっと分からないわ。薄暗くてよく観察出来なかったから」


 そこで彼は吹き出した。上着は着ていないが、上質のシャツだということはミラにも分かる。髪は濃い茶色か黒、眼の色は……良く分からない。ミラはそこで彼の目の色なんて知ってどうするの、不要な情報だわと自問自答した。


「先程騎士たちに捕らえられたあの男、君は黒い狼って呼んでいたね、奴がきっと共謀者の名前を吐いてくれるよ。あ、それに助けられた子羊ちゃんが証言してくれるだろうね」


「そうですわね。卑劣な手段で人をおとしめようとするあの女こそ令嬢の風上にもおけないわ! 絶対捕まえてもらわないと!」


 ミラは思わず息巻いてしまう。


「まあまあ落ち着いてよ。ところで今日の舞踏会は楽しめた?」


「ええ、はい、楽しめました」


 別に楽しくもなんともなかったが、ミラは当たり障りのない返事をした。


「へーえ。じゃあ何人もの男性と踊った?」


「(全然踊ってないし)いえ、そんな……」


「君も王太子殿下狙い?」


 何だか会話がまずい方向に向かっているような気がしないでもないミラだった。彼はニヤニヤしている。


「いえいえ、そんな滅相もないです! 私が殿下に見初められる? ないない! そんな天変地異が起こるわけがないでしょうし、もし起こったら天変地異の前に父がストレス過多で伏せってしまいますわ」


「じゃあどうして今夜この場にいるの?」


「正直に申しますと、私は特に結婚願望はなくてですね、今日は父に無理矢理連れてこられたのです。ええ、その父も実は……あ、いえ何でもありません」


 そこでミラは誰とも会話をするなとアルノーにきつく言われていたのを思い出した。


「結婚願望がない? でも貴族令嬢である限り普通は何処かに嫁がないといけないのじゃないかな?」


「ええ。ですから二十代半ばになったら超女嫌いの従兄と便宜的に結婚しようって協定を結んでいます。お互い気心も知れているし、生理的に受け付けられるから。まあ、チャチャっと事務的にコトを済ませば跡継ぎだって作れると思うし」


「ブッ、君って面白い事言うね」


 思わず色々口走ったミラだったが、この気さくな男性には何故だか正直に話したくなってしまうのだった。


(白いサラブレッドってとこかしら)


 高位の貴族なのだろう、上品で物腰も柔らかい。ジェレミーの友人達とは大違いだった。男性ともう少し話をしていたい、などと思うのは初めてだった。




 そこで大広間の向こうから額の汗を拭きながらやって来る濃い緑の礼服のアルノーがミラの目に入った。


「あ、ヤバい。緑の狸がやって来たわ! 行かなくちゃ!」


「緑のたぬき?」


「あ、いえ父のことです。ということで失礼いたします」


 彼はミラの視線の先に目をやり、笑いを噛み殺していた。


「ゲイブだ」


「はい?」


「俺の名前。君は?」


「ミラよ。じゃあね、ゲイブ。お話できて楽しかったわ」


 ミラは不覚にもこのゲイブと名乗る男ともう少し一緒に居たかったな、と思った自分に戸惑いを覚えた。心を許して何だか余計なことまで口走ってしまったような……でもきっと今日限りで再び会うことはないだろうと自分に言い聞かせた。


 大広間に戻ろうとしたミラは自分が片足しか靴を履いていないのに気付く。今から庭園に下りて靴を探しているとアルノーに何を言われるか分かったものではない……ドレスに隠れて見えないだろうからきっと気付かれないと思い、普通に歩くためにもう片方の靴もそこに脱いで置いておくことにした。手で持って行くことも出来ない。扇子はバルコニーから落としたことにすればよい。


「まあ屋敷に戻るまでは何とかなるわね、よっこいしょっと。扇子と靴一足で子羊の身が助かったのだから安いものだわ」


 ミラはそこから両足靴下を履いただけの足で何事も無かったようにアルノーの方へ向かい声を掛けた。


「遅かったですわね、お父さま」


「すまん。同僚達に少々引き留められた。さあ、さっさと退散するぞ」


 バルコニーに残されたゲイブは一人、お腹を抱えて笑っていた。


「気に入ったよ、空色の暴れ馬ことミラ・ルクレール侯爵令嬢。君みたいな子と一緒だったら退屈することなんてないだろうね」


 そして彼はミラがそこに残した片方の靴を拾い、庭に下りてもう片方の靴と扇も回収したのだった。




「お前の方は何もなかったか? 待たせてすまなかったな。つまらなかっただろう?」


 何もなかったわけでもなく、退屈もしなかったが、ミラはもちろん黙っていた。どこかの貴族の子息と少し話したなどと、余計なことをアルノーに言うのもまずいだろう。扇子と靴が消えているのにも気付かれていないようだった。


 そして二人は無事帰宅した。ミラがレベッカに大目玉をくらったのは言うまでもない。


「お、お嬢さま! 靴を無くされて王宮からずっと裸足で帰ってこられたのですか? どうしたら両足とも消えるのですか!?」


「裸足じゃないわよ、靴下は履いているじゃないの」


「ええ、泥まみれでボロボロになった靴下を! それから扇子まで無くされて! 旦那さまに見つからなかっただけようございましたね、全く!」


「ちょっと色々あってね……お父さまには内緒なのだけど……ピンクの子羊を黒い狼の魔の手から救ったのよ」


 レベッカには事の顛末をかいつまんで聞かせた。彼女は頭を抱えている。


「それで扇子と片方の靴を投げつけ、もう片方は自然に歩くために置いてきたと……どうしてそう自ら厄介ごとに首を突っ込まれるのですか。よりによって大人しくしていないといけない王宮の舞踏会で! どなたかに知らせて護衛騎士を呼べば済むものを!」


「だって急いで狼を止めないと、という考えで頭が一杯だったのだもの! あ、それに通りがかった人に助けを求めたら護衛を呼んでくれたわ。とにかく、子羊が喰われてしまわなくて良かったじゃない?」


「それはそうですが……」


「お父さまにも靴と扇子が消えていることも、人と話したこともバレなかったしね」


 しかし、ミラの考えは甘かった。後日アルノーには全て露見してしまうのである。しかも最悪な形で、である。



***ひとこと***

このシンデレラは両方の靴に扇子まで王宮に置いてきてしまいました。それを拾ったのは……

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