第三話 私のお父さん
舞踏会へはアルノーとミラの二人だけで出席することになった。テレーズまで居ると彼女の知り合いにまで挨拶して回らないといけないということで、今回は舞踏会になるべく長居をしたくないアルノーは妻を同伴するのをやめた。
そして舞踏会当日、王宮へ向かう馬車の中には神妙な面持ちのアルノーとミラが居た。空色のドレスに身を包み、豊かな金髪を結い上げた年頃の娘ミラは親の贔屓目を差し引いても美しく、これから花開かんとする蕾のような瑞々しさに溢れている。
(黙って動かず座っていればな……)
濃い緑の礼服を着たアルノーは苦々しく思った。彼は既に胃が痛くなっていた。
「お父さま、ご安心ください。私の行く末は安定ですわ。私クロードと協定を結んでいますから」
「何だ、その協定って」
「お互い二十代半ばで婚約も結婚もしていなかったら、二人くっついちゃいましょうという約束をしているのです。クロードも何だかSっぽくて、私も痛いのはちょっとごめんこうむりたいのですけれど、ジェレミーほど筋金入りの変態では無いようですから」
「はぁ?」
「お父さま、相手がクロードではご不満ですか?」
「お前は一体自分を何様だと思っているのだ? クロードはお前の従兄と言っても公爵家の跡取りで、高級魔術師としてゆくゆくは総裁まで上り詰めるだろうと言われているのに、お前なんか貰ってくれるわけないだろーが!」
「そうでもないのですよ、お父さま。彼も超が付くほどの女嫌いですし、持ちかけられる縁談は片っ端から断っているそうですよね。どうせ結婚しないといけないなら恋愛感情は湧かなくとも私となら気心も知れているし、生理的に受け付けないこともないし、と本人も言っています」
「……お前が二十代半ばで売れ残っていてもクロードは絶対良い縁談が既にまとまっているに決まっている!」
「そんなこと分かりませんよーだ!」
「分かりますよーだ!」
しかしこの舞踏会でミラはある出会いをし、二人の未来予測はことごとく外れることになる。勿論ミラとクロードの間の協定も反故になるのだった。
「とにかく、そろそろ王宮に着く頃だ。無駄口叩くなよ、今晩をなんとか切り抜けることだけに集中しろ! 分かったな!」
「アイアイサー! 決戦の火蓋が切って落とされました!」
「ふざけるな……頼むから……」
そして二人は人の注目を惹かないよう気合満々に馬車を降りた。
「ルクレール侯爵並びに同令嬢のお着きです」
王宮の大広間は舞踏会の出席者である煌びやかなドレスを
「わあ、お父さま、私一度にこんな大勢の人を見たのは市で開かれる闘牛や競走馬の催しの時くらいですわ」
「しぃー! どこの貴族がそんな市での集まりに出かけると言うのだ! ボロが出る! 黙れ!」
アルノーは周囲を気にして笑顔で口調だけは厳しく娘を叱っている。
「申し訳ございません。つい口が滑って……オホホ」
周りの人間には会話の内容が聞こえていないので、談笑しているようにしか見えていない。二人は腕を組んで国王一家の王座の方へと向かった。
「ほら、両陛下と王太子殿下の御前に着く。お前は何も言わずただ微笑んで頭を下げていろ」
「ほぇーい」
「何かお言葉を掛けられたとしても私が両陛下や殿下に答える」
「分かりました。私も別に会話に加わりたいとも思いませんもの。お父さま、私たち最近良く気が合いますね」
国王一家へのお目通りも済み、アルノーはほっと一息ついた。王妃はミラのことをテレーズそっくりの美しい令嬢だと言っていたがアルノーは心の中で一人毒づいていた。
(……見た目も性格もフロレンスの方がよっぽどそっくりだわい!)
他愛のない彼らとの会話中、ミラは言いつけを守り最初の挨拶以外一言も発しなかった。アルノーが久しぶりに拝顔した王太子殿下は更に立派な青年になっていた。貴族の親どもが躍起になるのもうなずける。
(そりゃあ私だってフロレンスがもう少し彼と年が近ければ王太子妃候補レースに参戦したかった)
アルノーはその後ミラを連れ、親しく付き合いのある人々に一通り声を掛けてまわった。ミラはその間もずっと挨拶以外には何も言わなかった。
「もうそろそろいいだろう、帰宅しても」
広間ではダンスもとっくに始まっていた。そこで大広間の隅にアルノーは同僚数人を見かけ、彼らにも一言挨拶をするため、そちらへ向かおうとした。
「お父さま、私少々バルコニーに出ていてもよろしいですか? そろそろ頬の筋肉が引きつりそうで……」
「そうだな……バルコニーのどの辺りに居るつもりだ?」
「南の角の所に居ますわ。誰とも踊ったり話したりしませんから」
「分かった。後で迎えに行く。ほんの数分だ」
そこで二人は別れた。今までほとんど口を開いていなかったミラは独り言を言いながらバルコニーに出た。
「これが舞踏会というものなのね。何だか異様な熱気に包まれているわ。私なんてダンスも好きでもないし、婿漁りもしないから別にまた来たいとも思わないわねぇ」
侯爵令嬢であるミラは今までお金に苦労したこともなく、それは恵まれていると思っている彼女だったが、貴族社会のしがらみなどには閉口していた。
「特に誰かに嫁ぎたいとも思わないけれど、ただ気楽に楽しく暮らせるだけでいいのよ。退屈なのは嫌だわ」
貴族学院に編入させられる時に手に職を付けようと薬学や医学を学びたいとアルノーに言ったら断固反対されたミラだった。
「女は職を持たなくてもいいなんて、時代錯誤な考えをしているのよね。あのオヤジは……だいたい私に普通の縁談なんて……」
その時である、ミラの持たれている手すりの下の方からヒソヒソと話し声が聞こえてきた。
「彼女の飲み物に薬を混ぜてから、このすぐ上のバルコニーに二人で来るわね」
「庭園の方へ連れて行けばよろしいですか?」
「ええ。貴方は顔を見られなければ何をヤッてもいいわよ。最後までシちゃってもね」
「貴女も恐ろしい人ですね」
そっと覗いてみると二人の若い男女だった。この二人は誰かを陥れようとしている。多分女性のライバルとなる令嬢だろう。彼女を男に襲わせようとしているのだ。
庭園の
(大変、なんとしてでも阻止しないと!)
ミラは正義感に燃えていてアルノーの忠告などすっかり頭から抜け落ちていた。広間に戻って誰かに告げると言っても犯人の二人がミラには誰か分からないのである。ミラがこの場を離れて彼らを見失ってしまうと終わりである。
確か女は標的の人物に薬を盛ってこのバルコニーに連れ出すと言っていた。そして彼女を庭に誘導するつもりなのだ。
(じゃああの赤いドレスの女狐はここを通るわよね)
ミラは庭に下りる階段からは見えないように扉の陰に隠れた。早速その女が広間に戻って行ったのが見えた。そしてしばらくして、赤いドレスがもう一人女性を連れて出てきたのである。
「ねえ、バルコニーか庭で外の空気を吸いに出ませんこと?」
「そ、そうね、少しは気分も良くなるかもしれませんわね」
先程の女狐と、もう一人はいかにも清純そうな令嬢だった。彼女はピンクのドレスを着ている。
(何てこと!……ヤツらの計画通りじゃないの!)
何を飲まされたのか、淡いピンクのドレスを身に纏った標的の子羊はまんまとバルコニーから庭へ連れ出されてしまった。
(まずい、ピンクの子羊が危険な庭に放り出されちゃったわ! お父さまはどうして来ないのよ! もう、肝心な時に居ないのだから!)
ミラはバルコニーの手すりに駆け寄り、彼らを確認した。
「私、お水を頂いてくるわね」
赤ドレスがバルコニーから広間に戻って来ようとしている。
(ヤバい! ピンクの子羊が黒い狼と暗闇で二人っきりに! まんまと食べられちゃう!)
ミラの目にはふらふらとなっているピンクのドレスが黒服の男に支えられて庭の方へ向かうのが見えた。
(もう、私一人で立ち向かっても勝算があるかどうか……誰でもいいから呼ばないと!)
***ひとこと***
ミラ姐さん、事件です!
これは大変なことになりました!
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