出会い
第一話 プレリュード
― 王国歴1015年-1017年
― ルクレール侯爵領、サンレオナール王都
「ああ、憂鬱。やだやだやだやだー!」
「お嬢さま、そこまで悲観されなくても」
「だってレベッカ、王都に戻らされたらもう気ままに乗馬も狩りも出来なくなるじゃないの!」
「乗馬くらいなら……」
「窮屈なドレスを着せられて、扇で口元を隠してオホホなんてお淑やかにしてないといけないのよね」
「普通に貴婦人になるのはそう難しい事ではございません。お嬢さま」
「お茶会に行って興味もない人の噂話を聞かされて、陰口を叩いてお互い足を引っ張り合うのでしょう? その上貴族学院では派閥があって、少しでもボスの気に食わないことがあったりしたら靴に針を入れられたり、本に落書きされたり、嫌がらせの嵐なのよね」
「下世話な物語の読み過ぎですわ」
ルクレール侯爵家の長女ミラは十四の年まで主に田舎の領地で過ごしていた。領地の屋敷では教師について勉強をしていたのだが、今年二つ下の弟ジェレミーが王都の貴族学院に進学するにあたって、彼女も王都の屋敷に連れ戻されたのである。いくら何でも田舎で野生児のままではまずいと父のルクレール侯爵は思ったのだろう。
そしてミラは貴族学院に編入し、ジェレミーと同時に通い始めた。
「私も騎士になれないかしら? 魔法は変幻しか使えないから魔術師は無理だけど。普通の花嫁修業なんてつまらないわ。あーあ」
「姉上も女性にしては腕がたちますが、騎士になれる程度ではありませんから無理でしょう」
「剣の腕前とかそういう問題ではないわい! 我が家から騎士は一人で十分! ミラ、頼むからもう少し貴族令嬢らしくしてくれ」
何かにつけて父親アルノーはミラのことを嘆いたものだった。ミラにとって貴族学院生活は意外にも楽しかった。気の合う友達も何人かは出来たが、ミラはジェレミーの男友達とつるむことが多かった。良い縁談に恵まれるのが全てと考える貴族令嬢の生き方を彼女はしたいとは思わなかったが、非難もせず理解はするように努めた。
そして父親のアルノーはミラにそろそろ良い縁談をと考えるようになっていた。
「侯爵令嬢という肩書だけで、こんなじゃじゃ馬を誰か貰ってくれる奇特な方がおられないだろうか……このさい貴族であれば、何でもいい! なんでこんなん押し付けるのだ、話が違うと結婚後に返品されても困るしな。どうして三人同じように育ててもまともに大きくなったのはフロレンスだけなのだ、うちは!」
「まあまあアルノー、ミラだって年頃の美しい娘に育ったではありませんか。きっと良いご縁に恵まれますわよ」
母親のテレーズはとことん前向き思考である。
「どうせ誰かに嫁がないといけないのならせめて私より剣の腕の立つ人がいいわ。クロードみたいな魔術師でも。彼は剣の腕は大したこと無さそうだけど魔術が使えるから」
「お前はそう選り好みできる立場にあると本気で思っているのか? はぁ……」
アルノーは頭を抱えた。
ミラは小さい頃から変幻魔術だけは得意だった。王都に連れ戻されてからは男の子の格好に変身し、使用人の平服を借り、屋敷を一人抜け出して度々外へ遊びに行く。アルノーにそれがばれた時はしばらく外出禁止令を出されたこともあった。
「お前が抜け出すのに手伝わせたレベッカにも罰を与えるからな!」
「お父さま、それはいけません! レベッカは私に脅されて逆らえないから嫌々手伝ってくれたのに!」
「使用人に迷惑を掛けているという自覚があるのならもう少し大人しくしろ! しばらくの間外出禁止だ!」
「えーっ、おとうさまーぁ」
「えーじゃない!」
ミラは自分の部屋でむくれていた。
「あーあ、つまんなーい! 学院と家の往復だけの生活なんて。あ、良いこと思いついたわ!」
それを聞いたレベッカは慌てて両手で耳を塞ぐ。
「何よ、レベッカ!」
「私は何も聞こえませんでした……何も聞いておりません……」
ブツブツ唱えながらその場を去ろうとするレベッカの脇をミラはくすぐった。
「ちょっと、レベッカ何処へ行く気?」
「は、は、キャーお止め下さい、お嬢さま!」
「くすぐりの刑よ、私から逃げようとするなんて!」
「お嬢さまが『良いこと』とおっしゃると絶対良からぬことですので……」
ミラの乳姉妹として育ったレベッカは生まれた時からミラのことを知っているため、彼女の言動のパターンは把握している。
「私と貴女が変幻魔法で入れ替わるのよ!」
「お嬢さま、何と!? お願い致します。私は心臓がいくらあっても足りません」
「まあそうよねえ。今度バレたら一か月外出禁止どころじゃ済まないわよね。貴女も暇を出されて別の頭ゴチゴチの侍女なんか付けられたらそれこそお先真っ暗だわ」
「謹慎が解けたらまた以前ほど、とはいかないでしょうが少しは自由に外出もお出来になると思いますし。少々の我慢ですよ」
「はーい。しばらくは大人しくしておくから、また色々面白そうな本があったら買ってきてね」
レベッカの母、ミラの乳母の実家は王都の繁華街にある本屋を経営している。初めてレベッカにその本屋に連れて行ってもらった時、ミラはいたく感動した。今までこんなにたくさんの娯楽本を見たことが無かったのだ。以前にレベッカが持っていた本を何冊か読ませてもらった時は面白くて夢中で読み漁った。
その本屋で初めて何冊か買い、更にレベッカの蔵書も弟のジェレミーと回し読みし、再びはまった。ジェレミーも本屋へ一度連れて行ったが、レベッカには気を付けろと口を酸っぱくして言われている。
「お嬢さまは変幻して庶民に紛れ込むことも出来ましょうが、お坊ちゃまは変装しても目立つのですから……」
「じゃあ顔に煤でも塗り付けて行くとするか」
「余計目立ちます!」
「ジェレミーも魔法で目と髪の色を変えてあげるわね」
レベッカはそういう問題でもない、と言いたかった。外見もそうだが、見た目を変えても立ち居振る舞いなどで庶民とは一線を画すところがある姉弟だったのだ。いくらがさつなところがあるミラでさえ、庶民にはなり切れない。
とにかく十代半ばの多感な時期に、大衆向けの娯楽小説やらいかがわしい内容の本やらを読み尽くしたミラとジェレミーである。彼らは平民でも一部の者しか使わないような語彙や言い回しを真綿が水を吸うように吸収してしまっていた。
アルノーが頭を抱える問題児二人の形成にはレベッカも一端の責任を感じてはいる。
「んなこと言ったってな、レベッカ。騎士志望の学生なんて俺程度の貴族にあるまじき汚い言葉遣いはいくらでもいる。心配すんな」
「騎士になられるお坊ちゃまはそれでもようございましょうが……お嬢さまの方です、私が心配するのは!」
レベッカはそれでもこの二人だけならまだしも、まだ幼い末っ子の天真爛漫なフロレンスまでこんな庶民の書物にかぶれてしまったなら、と考えると恐ろしかった。
***ひとこと***
ミラのファンの皆様(がいらっしゃるとしたら)、大変お待たせいたしました! ついに彼女のお話です!
彼女やジェレミーが読んでいた本はレベッカの実家の本屋さんが供給元だったのですねぇ。
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