第36話 Fuck 荒々しく攻め立てる(5)
人間に言葉を奪われ、同族からも蛮竜とさげすまれた愛する者に、赤い竜はどんな気持ちで寄り添っていたのだろうか。
俺にはわからない。
ただ、断絶がある。同じ人間同士でも理解できずに争うのに、竜と人とが単純にわかりあえると考えるのは傲慢ではないだろうか。
言葉が通じるというだけで、何でも上手くいくと思うのは馬鹿だ。
想像力の欠如はどうしようもない罪悪だ。
俺にわかるのは、この推測が合ってるにしても間違ってるにしても、赤い女の心に付け込めるということだ。
「お前に何がわかる……人間風情が! 苦しみを言葉で伝えることもできなくなったあの方の、何がわかる?!」
心の痛みに耐える仕草。
人や知性を持つ上位の魔物の心理防壁は、惑星の帯に似て俺の目には映る。
細かな粒子、小さな感情の破片がバラバラに身体の周囲に展開され、回転している。記憶や重要な知識を盗まれまいと、欺瞞情報をばらまいている。
引力に吊られて防壁の回転周期は大きくも小さくもなる。
赤い女の心理防壁が俺の言葉に反応して、今までにないほど大きく広がり、高速で回転した。
まるで竜巻のような回転。怒りで何もかもを引き千切ろうとしている。
けれど、俺にとってはそよ風みたいなものだ。
怒り?
知ったことか。
誰にだって理由はある。だが、それを汲んでやるとは限らない。
赤い女よ、お前がもし本当に人間だったのなら、俺はお前を助けるために全力を尽くしたのかもな。
わからない。今となっては。
俺にわかるのは、お前が竜で、俺の敵だということだけだ。
「わからないな。何も。まず世界の始めに言葉があり、意味と価値を結び付けたが、同時に言葉は俺たちを自己と他者に分割した。お前が俺の言っていることが本質的な部分でわからないようにな」
言葉持つ者はこの世界において特権者だ。
しかし、どうしようもなく限界を定められてもいる。
天蓋の高さを知り、一定以上に高く飛べない鳥のようだ。
言葉で解決できないものもある。この世界はどうしようもなく野蛮だ。
俺たちは冒険者。鉄と火と魔の理が俺たちを規定する。
つまり何が言いたいかっていうと、やるしかないってこと。
「不愉快な精神魔導士……我と愛しい方との聖域を土足で荒らす不届きな輩め。名乗るがいい。その名は未来永劫、忌み名として語られるだろう」
「俺はフッカー。ジェリー・フッカーだ。他でもないこの俺の名前を忘れるな」
「我はイース■ラルダス。
竜には竜の言葉がある。人間には発音できない声で口にされたその名前は、あえて翻訳するのなら『イースメラルダス』という風に聞こえた。
初めてお互いに名前を知ったな。
それがここまで取り返しがつかなくなってからだってことが何だかおかしくって、俺は皮肉に唇を歪めた。
赤い女――イースメラルダスも顔を歪めたが、人間の機微や感情表現を理解していないのか、歪めただけで何の感情を浮かべていたのかはわからなかった。心理防壁が俺の読心を防いでいた。
問答は終わり、とばかりにイースメラルダスがこちらに第一歩を踏み出そうとし――
「おっと、そこはやめといた方がいいな」
「お前はよほど我の心を逆なでしたいらしいな。怒りに狂って我が手を緩めるとでも?」
「いや? たださ~」
イースメラルダスの姿が消えた。
正確に言うと、第一歩目で落とし穴に落ちたのだ。クタラグが俺が追ってきた時のために仕掛けておいたものだった。簡単に読めたので再利用させてもらった。
『七歩ダッシュですぐ止まる!』
俺は仲間に指示を送信した。
皆、忠実にそれに従う。歩幅が違うレイラは律義に小股で足を運んだ。
「おのれ!」
落とし穴から炎が吹きあがり、イースメラルダスが不死鳥のように飛び出した。
穴の底には糞尿を塗り付けた返し付きのスパイクがびっしりと生えていたが、炎が傷ごとそれを飲み込んだ。怒りまでは噛み砕けなかったようだが。
五歩、六歩――向かってくる俺たちに素直に戦闘態勢を整えるイースメラルダス。可愛いやつめ。
火の粉が飛び散り、視界が晴れた。
イースメラルダスの邪視が俺をとらえようとする。そんなに殺したいか。確かに煽ったけどさ。
皮膚の表面にぷつぷつと嫌な感覚。電子レンジで温められた猫もこれを感じたのだろうか、と加速した知覚の中で嫌な考えが頭をよぎる。
七歩――
イースメラルダスと俺たちが衝突する一歩手前で急に止まる。
そうだ、この位置が本当に丁度いい。
『やれ』
俺はもう一人の仲間に指示を送った。
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