第27話 Hook 釣り(6)
気になるのはシュマだった。
何故かさっきから、三下くんよりも俺の方に敵意? 怒り? よくわからないけど赤くて黒くて触れにくい熱さの感情を向けている。卑しい感情には硫黄のようなにおいがつきものだが、それは感じなかった。
何故か、と言ったところで心が読める探偵の俺にとってはそんな疑問は本来なら一瞬で解けるのだが、シュマは頭の回転が速く、それにしたがって感情もスピーディーなので追いつけない。
「兄ちゃんはさあ、誰にでも美点があって、その部分をちゃんと他人に向けないのが気に食わないのかもしれないけどさ、それってゴーマンだよ。そんな人ばっかりじゃないし、そういうのをずっと求められるのって疲れるんだよ。ハッキリ言って、ウザい」
そう言うと、シュマはまた歩き出した。先っぽが黒いしっぽが左右にくねるのを、俺はぼんやりと見ている。
シュマは賢い。俺よりもずっと。
他人の心が読めてよかったと思えるのはこういう時だ。自分の想像を超えるものが存在するということ。
そして、三下くんが絡んできた理由や、周囲の視線が散っていったことも少しわかった気がした。
シュマも、レイラも、フィルニールやライザ、アリザラだって、結局は他人なのだ。
みんな自分自身の世界を持っていて、言葉が世界を隔てているし、同時に接続もする。俺個人が勝手に推し量っていいものではないのだ。俺はどうも、そこら辺の境界が曖昧らしい。
繰り返しになるが、他人は自分を映し出す鏡だ。
俺は自分の心だけは操作できない。であるからには、俺にはどうしても他人が必要になるのだ。
鏡を見ずにひげを剃れば剃り残しもできるし、怪我をすることだってある。俺が大金持ちになっても探偵を続けてる理由がそれだ。山に一人でこもっているだけだと、自分の心が倦むのを止められなくなる。
人と関わり続けることが、俺自身をチューニングすることになるのだ。
だから必要以上の感情移入で感傷的になることも、俺は無理に止めることはない。
貧困は恐ろしい病だ。他人がそれにかかっているのを見たら、心配にもなる。それを余計な干渉と取る人間もいるかもしれないが、俺は止めない。
『堕落は許されぬ。弱い人間がいることは仕方のないことじゃ。しかし、強い人間が弱いふりをすることをわらわは許さぬ。ゆめ、忘れるでないぞ』
アリザラが俺を戒めるように鎖を引っ張った。
ふと、俺はクリスチャンだった母の言っていたことを思い出していた。
――七つの大罪。
暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、傲慢、嫉妬が有名どころだろう。
と言っても、これら自体が罪なのではなく、人を罪に駆り立てる欲望や感情といった原因そのものを指すので、七つの罪源とも訳す。
なので、現代では遺伝子改造、人体実験、環境汚染、社会的不公正、貧困、過度な裕福さ、麻薬中毒を新たな七つの大罪と言う場合もある。中々とってつけた感もあるが、それらが人を罪に近づけるというのもわからないでもない。貧困なんてその最たるものだ。
俺は怠惰だ。自分でも認める。でも、ダラダラしてるだけで罪に問われるのはちょっと厳しすぎやしないか? って思う。
そのことを母に話したら、母は『天命を受けてやるべきことが決まっているのに、それをしないのは怠惰なこと。有用性を発揮しないのは、社会の誰かの時間や資源を奪い取ることだからよ』と言った。
こういうところが俺と母の上手くいかないところだったんだと思う。俺はそれを聞いてメチャクチャ胸が苦しくなった。断絶があった。
超能力がほしいと思ったことなんかないのに、またここでも責任を求められた気がした。大きな力には……ってベンおじさんは何回死ぬんだよ?
俺は結局、その責任に耐えられずに元いた世界を、母を捨てたのだ。
とはいえ、生きていればどこででも責任は生じてしまう。俺は腰帯に手をかけた。アリザラも母と同じように捨ててしまいたくなる時がある。
魔王を倒すのにアリザラは必要だった。今はどうだ? 竜から身を守らなくちゃならない。それが終わったらどうだ? 義務と権利が本当に釣り合っているのか?
「……死にてえ~」
死ねば何もなくなる。死人に責任を問うやつは馬鹿だ。死んで楽になってしまいたかった。
「何か言った?」
シュマの耳がピクリと動いた。
「何も言ってないよ」
「あっそ。そろそろ着くよ」
小屋というより、テントみたいな家だ。中にいる人間が俺たちの足音を察知して、自分から外に出てきた。
動きに一々衣擦れの音すらない。歩き回る影法師じみた男。手練れのシーフだ。
「連れてきたよ」
シュマが男に駆け寄った。男は数枚の銅貨をシュマに渡す。
金を受け取ったシュマは一度俺の方を見て、あっかんべーをすると、スラムのゴミゴミした通りの中に走って消えた。
間に何も知らないやつをはさむのはいいやり方だ。心を読めるような相手に対しては、特に。
「お前がクタラグか」
「そうさ」
スラムの人間は自分がどこにいて他人がどこにいるかなんていちいち考えないし、心の中に置いておかない。惨めさから自分を守る防波堤だ。
身を隠すにはもってこいの場所だろう。つくづくフィルニールは馬鹿だった。
「シュマに金を払わないで殺すと思った」
「そんなこたァしねえよ」
「ジョーシュの死体は燃やしたのに?」
「参ったな、もうそこまで読んだのか? 精神魔導士ってのはもっとスットロい連中だと思ってたんだがな」
とんとん拍子に話が進むが、これは俺たちが親しいというわけではなく、単に俺が天才なだけだ。
俺の感応は誰が相手でも容赦しない。
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