第26話 Hook 釣り(5)
スラムというのはまあ、空気からしてあんまり気持ちのいいものではないし、かといってそういうものを自分とは一切関わりのないものとして切り捨てるのは一定以上の知性と品性があればはばかられるわけで、俺としてはなかなか複雑な位置づけの場所になる。
アスフォガルは王都なんかと比べても都会だが、それゆえによどみも存在する。
人の社会が発展すればするほど貧富の差は大きくなり、よどみも大きくなる。元の世界でも同じだった。完全にそういったものをなくすことはできない。
しかし、アスフォガルは迷宮都市だ。この都市は他では真似ができないほど、大胆に自らのよどみを切り離した。それがこのスラムだ。
アスフォガルのダンジョンは、正規の入り口以外にもいくつか穴がある。水がひびにしみ込むように、人はダンジョンに潜り込んだ。
いつしか、ダンジョンの中にスラムが形成されたのだ。
迷宮都市はダンジョンを経済に取り込んだが、スラムも巧妙にその手口を真似た。貧しい人間が皆、愚かだとは限らない。
ダンジョンの中に生息する魔物、植物。魔石。どれも人を生かすのに充分だ。ならば、ダンジョンで採れたものを食べて、ダンジョンの中だけで生きるのは可能だろうか?
その答えが、第一から第二階層にかけて存在するこのスラムだ。
浅い階層にいる魔物はさほど強くなく、十歳くらいの子供でもどうにかなるものも多い。
貧しい者、弱い者、元の社会に居場所をなくした者たちが寄り集まって新しい社会を作り出した。新しい、というにはいささか薄汚れてはいたが。
彼らは人生のほとんどの時間をダンジョンで過ごし、多くがダンジョンの中でそのまま死ぬ。数世代もそれを繰り返し、今ではダンジョンで生まれてダンジョン以外の景色を知らずに死んでいく人間もいることだろう。
女が吊るしたホーンラビットの皮を剥いでいる。ギルドに持っていけば金銭に替えられるが、そのまま食べても美味だ。
人型に近いゴブリンは食べない。心臓付近にある魔核を取り出し、あとは捨てる。穴で焼かれた肉が、嫌なにおいの煙を出していた。
ガスコンロにも似た青い炎は、ダンジョン内にしかけられたトラップを引きはがして勝手に流用しているものである。
ダンジョンの中にはいくつも自動生成されるトラップが点在しており、冒険者やスラムの住人は時にしたたかにそれらを自分たちに都合よく流用している。
ここにいる連中は、とにかく自分勝手に生きていた。俺はそれをどうこう言うつもりはない。ただ、自分自身に忠実だということだ。彼らは一人一人が彼ら自身の王なのだった。
「よお、シュマ。紹介してくれよ、そこのお客さんをよ」
下卑た笑みに乱杭歯。
これまたカレーに福神漬けレベルでスラムによく似合う三下が絡んできやがったな。
財布を渡してやってもいいが、この手のは一個じゃ満足しないだろう。焼け石に水だ。
俺は三下くんを“魚”にするか少し迷って、そして感じ取った彼の内面のあまりのスカスカさ加減に面食らってしまった。
まるで捨てられて何年も経つ船の朽ちたマストのようだった。
こんな人間もいるのか。
戸惑っている俺の前に、シュマが勝手に出しゃばって話し始める。
「おいおい、アンタ誰に口きいてるかわかってる? Sランク冒険者、魔王殺し、ジェリー・フッカーの兄貴だぜ。本来なら顔も見られない相手だっつーの」
立て板に水の調子でまくし立てるシュマ。このチーターの少女が俺に何を望んでいたかわかったので、仕方なく俺はそれにしたがってフードを脱いだ。
「黒髪黒目……精神魔導士のフッカー……」
「まあ、黒髪黒目のやつなんて他にもいるかもしれないしな。試してみるか?」
俺がいたずらにそう言うと、返事もしないで三下くんは逃げて行った。本当に何しに来たんだあいつ。
ついでに、さっきから俺に突き刺さっていた周囲の視線も幾分か散っていった。実際、俺は冒険者にしてもスラムの住民にしても身綺麗すぎたし、迷宮検査官や貴族といった風でもなかったから、気持ちはわかる。
代わりに畏怖の念が一帯にばらまかれたが、余計な絡まれ方をしなくて済むならそれでよかった。
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