第16話 Jewelry 宝石(7)


   *


 宿屋を出たところで、横から走ってきた獣人の子供が俺にぶつかった。


 獣比率が高い、二足歩行のちっちゃなチーターという風情。ボロきれを頭からかぶっていて、毛並みもよくない。


「おっと」


「あっ、ご、ごめんなさい」


「いいさ」


 そのまま立ち去ろうとした子供の手を、甲冑がつかんだ。

 甲冑はレイラだった。三十分遅れでフィルニールに話を聞きに来たのか。


 レイラは過剰な力で子供の手をつかんで離さず、子供はうめき声をあげた。哀れっぽく尻尾がバタバタと動く。


「レイラ、よせ」


「この子供はスリだ」


 確かに子供の手には俺の財布があった。レイラの握力に耐えかねて、その手から硬貨がいくつも散らばった。


「よせって言ってるだろ」


「スリは犯罪だ。利き手の親指の腱を切る」


 レイラが長剣を抜いた。

 銀色の輝きに、子供が顔色をなくす。ひげが力なく垂れた。


「だからよせって言ったんだ。その財布はくれてやる用のだ」


 俺は懐からもう一つの財布を取り出した。

 子供の手からこぼれ落ちた財布からは何枚か銅貨と銀貨がのぞいているが、Sランク冒険者が持つものとしては随分と少ない額だ。それでも、身寄りのない子供が当分暮らすには充分だろうが。


『善行ポイント十点追加じゃ!』


 アリザラが言った。


 俺は上着の前を開けると、複数ある内ポケットからいくつも財布を取り出して見せた。


 子供は一瞬きょとんとし、次に自分がある種の施しを受けたことに気付いて、怒りと恥ずかしさの入り混じった表情をした。負けん気は逆境を生き抜くための才能だ。


「こういうのは種明かしをすると興ざめなんだ。あんまり寒い真似させんなよな」


「そうか」


 そう言ってもレイラの声のトーンは変わらず、手を放す様子はない。剣もむき出しのまま。


「俺の話聞いてる?」


「聞いている。だが、盗みは盗みだ」


「違うね。譲渡だ。法律用語はしっかり使え」


「法は厳格に守られなければならない。それは正しい。なら聞くが、貴様はこの子供の名前を知っているのか? 誰彼構わず金を渡すわけでもないだろう」


 俺はとっさに子供の心を読もうとしたが、それよりも早くレイラが動いた。


「罪には、罰だ」


 レイラが剣を滑らせる。


 俺はとっさにアリザラを抜いた。

 レイラの長剣を跳ね上げ、短い分の取り回しの良さで柄を籠手に打ち付ける。


 一瞬の内に二度、金属音が響いた。


『子供の命を救った! さらに善行ポイント二倍なのじゃ!』


 アリザラはとても興奮して、ご機嫌だ。


 レイラは子供の手を放していた。


 親指の部分に赤い線が見える。もう少しで、一生まともな拳が握れなくなっていただろう。


「行け!」


 俺は子供に叫んだ。自分でもこんなに熱くなるとは思っていなかったような声だ


 子供はわずかの間迷った様子を見せると、それでも落ちた財布を拾って走り去った。チーターの見た目通り、足は速かった。


「待て!」


「待つのはお前だ」


 アリザラと腰帯をつなぐ細い鎖でレイラの腕を絡め、動きを止める。


「あの子の名前はシュマだ。財布はくれてやった。これでこの話は終わりだ」


「――そうか。だがああいう輩はこれからも同じ罪を重ねるだろう。次は必ず親指を切る」


「なら、そのたびに財布をくれてやるさ」


 俺はなかば意地になっていた。あまりにも話が通じないレイラの有り様に、気持ちが反発しているのだった。


「わからないな。そこまで貴様が孤児に心を痛めているようには見えない。その場しのぎの金を与えて何になる? それとも貴様は、すべての孤児の人生に責任を持てるとでも言うつもりか」


「それが俺の善意の臨界点だ」


 大きな力にはそれだけ大きな責任がともなう。


 だが、人と違う力を持って生まれただけで、常に誰かのために生きなきゃいけないなんて、そんなこと耐えられるか?

 俺には無理だ。スーパーマンに生まれついても、普通に毎日会社に行って帰ったら家でビールを飲みながらテレビを見てるに決まってる。この世のほとんどの人間がそうだ。限られた人間をのぞいて、普通の人は善意のためだけに生きられるわけじゃない。

 しかし同時に、善意を完全に無視して生きることもできない。それができるのは怪物だ。


 俺は超能力という大きな力を持っていたが、はっきり言って持て余していた。自分のためにも他人のためにも、力を役立てる術を知らなかった。


 異世界に転生して、ようやく力を社会に接続させる方法を学んだ。


 金や名誉に価値を感じたことはないが、社会の中で生きていくにはわかりやすい尺度だ。今の俺はこの世界で金も名誉も稼ぐことができる。


 稼いだものは還元しなければならない。他人のためだけに生きることはできないが、一日に何分か他人のことを考える時間があってもいい。

 それが誰にでもある善意の臨界点だ。


「お前はどうしてそこまで法や正義に固執する?」


「それが正しいことだからだ」


 俺の問いかけに対して、トートロジーめいたレイラの答え。


 心を読んでも、こいつの中には善意の臨界点が見えない。どこまでも突き進むだけの空恐ろしい暴走機関車だ。


「みんながみんな正しくあり続けることはできない。人は間違うものだし、間違いを少しずつ見逃すことで社会は回っているんだ」


「間違いを正すことをやめたら、そこに残るのは腐敗だけだ」


「そりゃあそうだけど、やりすぎだって言ってるんだ」


「法を変えるのは私の仕事ではない。私がするのは法を遵守し、刑罰を執行することだけだ。その権限は与えられている」


 迷宮検査官の仕事には、迷宮都市の治安維持も含まれている。大半の冒険者はともすればゴロツキと変わりないし、そういう連中が集まって回っている街だから冒険者以外も決してお上品ではない。


 レイラの言っていることは正しい。


 正しいが、俺は好きになれなかった。


「……ダンジョンに行こうぜ。第八階層の、蛮竜の死体があった場所によ」


「私は精霊術士のフィルニールというエルフに話を聞きに来たのだが」


「それは俺が聞いたよ。道すがら教えてやる」


「む。仕事が早いな。いつの間にかいなくなったと思っていたら、そういうことだったのか」


 この世界にはまだ正確な機械式時計がないため、三十分程度の時間感覚のずれは誤差で済んだ。


 身内と腹を割って話すのに、こいつがついてくると面倒だなんて正直に話すのも馬鹿馬鹿しいことだしな。



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