第15話 Jewelry 宝石(6)
「逃げろ。逃げて逃げて、何でもかんでも振り切ってしまえ。そうじゃなきゃ生きられないっていうなら、そうすればいい。死んだら金も使えないんだろ? だったら逃げるために使っちまえ」
真っ当なアドバイスに、フィルニールは頭を抱えた。
真っ当なアドバイスというのは大抵、悩みを抱えた当人にとって考慮済みであるに決まっているのだ。
「ああ、精霊よ……。逃げるのだって限界があるだろう。何日逃げればいい? 何年逃げれば私は許されるというんだ? お前や知り合いが皆死んだあとでも、私は赤色の声に怯えてびくびくと生きなければいけないのか」
こいつは傲慢なやつだ。耳長の連中にありがちな田舎者丸出しのつまらないプライドに、人間社会の卑しい金銭的尺度を兼ね備えた、心底友達甲斐のないやつだ。
だが――だからといって、死んでも心が痛まないわけじゃあない。
「俺がこの事件を解決してやる。まあ、長くてひと月くらいだろうさ。エルフからしてみれば、大した時間でもないだろう」
フィルニールは口をぽかんと開け、見開いたままの目で俺を見た。
そのまましばらく俺の顔をジロジロと眺めまわした。人間にとっても、エルフにとってもそこそこ長い時間だった。そして、おもむろに腹を抱えて笑い出した。
「はっは! そうだな。そうだった。お前は探偵だった。探偵が動いている理由はただ一つだものな!」
「その通り。事件を解決する、そのためだけに俺はいる。探偵とはつまり、あらゆる難題へのマスターキーだ。赤色の声が何だ。俺に解けない謎などない」
月だって砕いて、その裏側まで暴いてやるぜ。
俺は左手をひらひらと振った。アダマンタイトの指輪はSランクの証。すべての冒険者の中でもほんの一握りの実力者/世界の上澄み。
月を砕く者=ムーン・レイカー。
「私からも依頼をするよ、ジェリー・フッカー。赤髪赤眼の女を――マルクを殺した忌み主を永遠に私から遠ざけてくれたまえ。金はいくらでも……いや、出来高次第で払おうか」
最後の最後までちゃっかりしてやがる。
まあ、いいだろう。そういうやつだと知っててこっちも付き合ってるわけだしな。本当に結構長い付き合いだよ。人間基準の時間感覚だけど。
「私の記憶をのぞいたのならわかるだろうが、敵は本当に強い。白虎の谷のベストメンバー全員でかかっても勝てることが想像できないほどに」
「中々おっかない相手だとは思うよ」
これは本当のことだ。嘘をつく意味がない場面ではなるべく正直になるのが俺の処世術だった。でないと、自分で自分を見失ってしまうからである。
「だから、だからジェリーよ。死ぬなよ。我が身可愛さで言うのではない」
「わかってるさ」
心を読めるのは便利だ。本当に。
男同士であんまりねっとりと気持ちを確認し合うなんてシークエンスは正直ごめんこうむりたい。
「死ぬな。どうせ人間は誰も彼も、私より先に逝くのだから。ならば、せめて年老いて死ね」
フィルニールは空になったエールのカップに水の精霊を呼び出して、清浄な水を注ぎなおして飲んだ。
酒精を追い出したフィルニールは片目を手の平で隠したあと、俺に向かって人差し指と中指と小指を向けた。エルフが戦士を送り出す際の仕草だ。
「精霊の加護のあらんことを」
「年寄りは言うことが一々大袈裟なんだよ」
フィルニールに背を向けた辺りで、腰帯のアリザラが不機嫌を表明するようにぶるりと身を震わせた。でっかい猫みたいだ。
『わらわの方があんなエルフよりも年上じゃし、汝との付き合いも長いわ』
嫉妬か? 俺は剣に嫉妬されてるのか? 異世界ハーレムってそういうノリ?
色々と思うことはあったが、俺は品がいいのでわざわざ言葉にすることはなかった。
良好な関係には妥協や歩み寄りが不可欠だ。そしてそれはもっぱら俺の役割だった。
『俺の相棒はお前だけだよ』
『どうだかの。最近は迷宮検査官の
『あれも色目に入るのかよ?!』
俺の相棒はひどく嫉妬深かった。どうも孤独でいた時間が長すぎて、距離感がガバガバになっているらしい。
俺は決してアリザラのことが嫌いではないが、自分がいつか死ぬ生き物だとわかってもいたので、こいつがいつかまたひとりぼっちになった時、孤独に耐えられるか心配になってしまった。
心の声でやいやい言いながらも、俺は酒場を出る前にカウンターに寄った。懐から大銀貨を取り出す。
「騒がせて悪かった。さっきはフィルのおごりでって言ったけど、あれは嘘だ。俺が払うよ」
「そんな……多すぎます!」
「迷惑料も含めてだ。客も追い出してしまったしな」
固辞する酒場の店員に無理やり金を渡して、俺はそのまま店を出た。
SランクはAランクとは稼ぎが違うってことを、たまには見せてやってもいいだろう。
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