第13話 Jewelry 宝石(4)


「ドラゴンの素材はどれをとっても一級品だ。牙に鱗に翼の被膜、全部が武器や防具や薬にも毒にもなる。血の一滴だって無駄にできないことくらいお前だって知ってるだろう?」


「俺は竜を殺したことはないが、そうらしいな」


 俺は魔物と闘う時はほとんど魔王を倒すための通過点でしかなかったせいで、Sランクと言われているがほとんど冒険者らしいことをしたことがない。パーティーだって数えるほどしか組んだことがないのだ。


 知識としては知っているが解体の手順も怪しいので、ここはただうなづくだけになる。


「中でも逆鱗は高く売れる。知ってるか? めったに市場に出ない知恵の霊薬の素材の一つが竜の逆鱗だと」


「初耳だ」


 逆鱗とは、竜の喉元に一枚だけ逆さに生えた鱗のことである。


 強靭な再生力と生命力を誇る竜のほぼ唯一と言っていい弱点であり、それゆえに生半可な覚悟で触れると怒りを買うハイリスク・ハイリターンな部位だ。


「まあいい。それに目がくらんだのだろうな。雇っていた荷物運びポーター性質たちの悪いやつだったようでな。逆鱗をくすねおった」


「そのポーター、ジョーシュというやつじゃあなかったか?」


「ふむ……そうだったかもしれん。その場限りの仲の定命の者など一々覚えておらんよ」


 エルフってのはそうだよな。クソ。


「盗まれたのがわかったのはどこでだ?」


「地上に戻ってからだ。その時にはもうポーターとは別れた後だった」


「間抜けだな。お上りさんでももうちょっと注意するぜ。金を分配するまでが契約だろう」


「急いで別れる必要があったのだ。素材もほとんど回収できなかったが、それでも少しは持ち帰った。その中にあったはずの逆鱗がなかった」


「なるほどな。じゃあ、素材も取らずに急いで別れなきゃいけなかった理由ってのは何だ?」


 フィルニールはエールを飲み干したが、少しも酔った様子はなかった。むしろじっとりと冷たい汗をかいていた。


 不吉につながる記憶の扉を開けようとしているのだった。


 俺の感覚の糸は、複雑に入り組んだ心の迷宮をたどった。


「――あれは、人の形をしていたが、人じゃあなかった」


「化け物に襲われたわけか」


「蛮竜を倒して、いざ本格的に解体するという時だった。やつは、いつの間にか俺たちの後ろにおった。マルクの眼球が煮えたのが見えた。次の瞬間には、


 フィルニールは自身に刻み込まれた恐怖の記憶を鮮烈に再生していた。

 ニアと同じように、それが脳裏にこびりついて消えないのだった。


 毎晩、何度も同じ悪夢を見ているのが俺にはわかった。


 マルクというのはさっきのニアの話には出てこなかったから、白虎の谷に所属する準レギュラーのメンバーなのだろう。


「私は煮えたぎったマルクの血と脳を浴びても、まだあやつが死んだことを受け入れられなかった。人がそんな風に死ぬなどとは思えなかったのだ」


 想像力を超え、その上でただどうしようもなくリアルに存在する死を突き付けられ、フィルニールの心は折れていた。


「わかるよ」


「わかる? わかるだと?」


 フィルニールが激昂した。


「定命の者が思い上がったことを抜かす。お前ごときにマルクの死の、私が感じたことの何がわかるというのだ!?」


「俺にはわかるんだ」


 努めて冷たい風に俺は言った。


 共感と距離感が今のフィルニールには必要だった。彼の記憶には熱が入りすぎて、今にも焦げ付いてしまいそうだったからだ。

 心は卵に似て、不可逆な変性をする。ゆで卵は生卵に戻らない。これ以上フィルニールを追い詰めるのはよくないと俺は判断した。


「そうか……そうだったな。心が読めるとはそういうことであったな」


 俺の意図通り、フィルニールは少し温度を下げた。俺は自分の分のエールをフィルニールの方に押しやった。

 俺は酒は好きじゃあない。フィルニールへの嫌がらせで頼んだだけだ。フィルニールはそれを知ってか知らずか、エールを受け取って口をつけた。


「ともあれ、マルクは死んだ。そして私たちはマルクを殺したそいつを見た」


 フィルニールの手が震えて、机とカップがカタカタと音を立てた。

 あまりにも大きな恐怖がフィルニールの認識を誤らせているのがわかった。


「いや、正確には見てはいない。そいつの気配を感じたんだ」


 俺は見たという本人以上に正確さを求めて、訂正をした。

 人の記憶は感情によって簡単に歪められてしまう。人は見たいものを見たと思いたがる。

 記憶を正確に読み取るのは、古い地層に埋まった化石を欠けなく掘り出す行為に似ている。その困難さも。


「赤髪赤眼の女だった」


「それはお前が感じ取ったオーラだ。探偵への供述は正確にな」


「それでも、私は見たと感じた。そして、あまりの恐ろしさに逃げ出したのだ。持ち帰ったのは、戦闘後に拾った鱗と爪の欠片、そして逆鱗だけだった」


 白虎の谷はAランクの冒険者が集まったクランだ。マルクのことは知らないが実力は確かなのだろう。

 それは越えがたい壁があるとはいえ、あと一ランク昇級すれば俺にも並びえるということでもある。それを触れもせずに爆殺するとは……。

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