第11話 小豆研ぎ
控え室の片隅で、小豆研ぎは緊張の面持ちでストレッチを繰り返していた。
自分が場違いな場所にいることは理解している。
それでも、この大会に賭ける想いは誰にも負けないつもりでいた。
小豆研ぎは歌を愛していた。自分の歌をもっと皆に聞かせたい。そして皆にも歌ってほしい。そう思って歌い続けていた。
彼は三十年ほど前に、たった一枚だけだがレコードを出した。
『小豆研ごうか、人捕って食おか』のサビでお馴染みの、あの歌である。
しかし、今ではそのレコードは揶揄の対象でしかない。あまりにも下手で笑えるという理由で、馬鹿にするような形で深夜ラジオで数年に一度流れるか流れないか、といった具合だ。。
彼は悩んだ。
自分の歌が下手なのは、正直、自分でも薄々感じていた。
だからといって歌をやめることなど、彼には考えられなかった。
ジレンマの中で、彼は自分の気持ちを封印することを決めた。
それからというもの、彼にとって歌は彼に残された唯一のモノになった。
彼にとって歌は誰かに聞いてもらうための物ではなく、自分が歌いたいから歌うものとなったのだ。いくら他人が笑おうと、自分が歌いたいのだから歌う、そう考えるようになった。
しかし、歌妖界は彼から歌をも奪おうとした。
はっきりと歌うな、という指令が出されてしまったのだ。
だから彼は姿を消した。
誰もいない、妖怪すらいない山奥に篭り、朝から晩まで好きな歌を歌い続けた。
そうやって長い年月が経った。
そんなある日である。一匹の妖怪が彼を訪ねてきた。
その妖怪は【山彦】であった。
山彦は、小豆研ぎが暮らす山の、隣の山に住んでいると語った。
彼は毎日聞こえてきた小豆研ぎの歌をえらく気に入ってくれた。
それからというもの、小豆研ぎと山彦は、毎日一緒に歌を歌って暮らすようになった。
楽しかった。
今まで一人で歌い続けていた歌も、二人で歌えば全く別のモノのような気さえしてくる。小豆研ぎの心に、忘れていた気持ちが再び湧き上がってきたのは、そんなときであった。
「なぁ」と、ある日小豆研ぎが山彦に語った。
「俺は、やっぱり歌が好きだ。それ故に俺はこんな山奥に追いやられたわけだが、それでも歌が好きなんだ。もっとみんなに聞いてもらいたいし、俺の作った歌を歌ってほしい」
山彦は少し困ったような顔をしながらも、小豆研ぎの話に耳を傾けていた。
「見返してやりてぇんだよ、俺を笑い、俺の歌を馬鹿にした奴らをよ……」
「でも小豆研ぎ。こんなことを言うのはとても心苦しいんだが、君は歌妖界から追放されている身じゃないか。あと、歌は下手だ。」
「別に歌妖界に戻ろうってんじゃない。どこか大勢の妖怪達が集まる場で、俺の歌を多くの人に聴いてほしいんだ。別に称賛が欲しいわけでも、拍手が欲しいわけでもない。馬鹿にされたっていい。ただ、もう一度表舞台で歌いたい。それだけなんだ……」
馬鹿な望みだということは彼自身気付いている。ただ、小豆研ぎの顔は真剣だった。
山彦はそこで数年後に開かれる格闘大会の話を小豆研ぎに聞かせた。
「ミドル級妖怪王座決定戦……そんな舞台に俺が出られるのかい?」
「わからない……そもそも小豆研ぎは格闘の経験なんてあるのかい?あと、歌は下手だ。」
「ない!だが、そこに出れば歌えるんだろう?大きな会場で、大勢の妖怪の前で!だったらやるさ。格闘技でもなんでも、やってやる!」
そんな邪な考えで出場を決めた小豆研ぎに、山彦は格闘技の先生として【
一本踏鞴は毛むくじゃらの体に一つ目の顔が乗っかっている妖怪だ。一番の特徴はその名の通り、足が一本しかないことで、その一本しかない足を巧みに使って戦うのである。
それからというもの、彼はトレーニングと歌の練習に一日のほとんどを費やすようになった。
一本踏鞴の指導の下、小豆研ぎはめきめきと格闘技の実力をつけていき、彼独特の戦い方を編み出していった。
実際、小豆研ぎには格闘のセンスがあった。
過酷なトレーニングと毎日のスパーリングで、小豆研ぎはキャリア数年とは思えないほどの実力を身に着けるに至った。
彼のセコンドは師匠でもある、一本踏鞴である。
小豆研ぎの戦い方には一本踏鞴の格闘スタイルが存分に取り入れられている。
山彦はというと、観客席で応援をするということになっていた。
「なあ、一本踏鞴先生。俺はどのくらいやれるかな?」
小豆研ぎが、緊張の面持ちで不安げに尋ねた。
そんな小豆研ぎに、一本踏鞴は不思議そうな顔を返す。
「どのくらいやれるかって……それは試合のことを聞いてるのか?」
「当たり前じゃないか。何の大会だと思ってるんだよ」
その言葉を聞いて、一本踏鞴は苦笑する。
「おい、小豆研ぎ。お前は俺の弟子だ。ある程度戦えるようになったと俺がお墨付きをやるよ。お前には格闘技の才能がある。ただな、お前はこの控室にいる、誰よりも弱い。そりゃそうだろう?確かにハードな特訓はしたが、他の奴らはそんなこと当然のようにやっているよ。だからあえて言ってやる。お前、ここに何しに来たんだ?」
小豆研ぎは一本踏鞴のその言葉に「あ」と呆けたように思い出す。
「そうだった……俺、別に闘いに来たんじゃないや」
「だろう?だったら気にするのはそっちじゃない」
「ああ、俺の歌を、この数年で手に入れた、俺の新しい歌を、どれだけ聴かせられるかってことだな!」
小豆研ぎは、いつもの底抜けの明るさを取り戻していた。
「でもまぁ……勝てばそんだけ長く歌えるってことだよなぁ」
そういってぎらついた眼を見せる。
小豆研ぎにとって、三十年振りのステージが幕を開ける。
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