第10話 絡新婦

 絡新婦じょろうぐもは控え室の隅で静かにマニュキアを塗っていた。

 傍らでは小さな男の子の姿をした妖怪がうつむきながら体育座りで付き添っていた。

 絡新婦のセコンド【座敷童】である。


「おねぇちゃん……」


 座敷童が絡新婦の顔を見上げながら不安そうな声を出す。


「なぁに?」


 絡新婦は座敷童には目もくれず、マニュキアを塗った爪にふーふー、と息を吹きかけながら聞く。


「本当に大丈夫なの?みんな強そうな人ばっかりだよ?」


「な~に言ってるの、大丈夫よ。私のほうが強いから」


「でも、殴られたら痛いよ?」


「殴られなきゃいいのよ」


「でも……」


 まだ何か言いたそうな座敷童の口に、絡新婦が指を押し当てる。


「心配してくれてありがとうね、でも大丈夫。キミはおねぇちゃんの戦いをしっかり応援してて。ね?」


 座敷童はこくり、と頷くとそれきり何も言わなくなった


(ウザいガキ……)


 絡新婦は横目で座敷童を見つめながら、心中でそう呟いた。

 彼女と座敷童は当然兄弟でもなんでもない。

 彼女はある人物に頼まれて彼の面倒を見ているだけだ。


(全く面倒なモノを残していってくれたもんだわ、あいつも)


 絡新婦と座敷童の出会いは三年前に遡る。


 当時、絡新婦は人間に化け、都会の街で暮らしていた。

 絶世の美女でもある絡新婦にとって、人間の街は餌に溢れた狩場のようなものだった。

 真夜中でもネオンの輝く歓楽街でクラブのホステスとして働きつつも、夜な夜な人間の男を誘い、精気を喰らう。

 馬鹿な人間の男共は、彼女の妖艶な魅力に抗うこともなく、簡単に捕食されていった。

 そんな『夜の蝶』ならぬ『夜の蜘蛛』として暮らしていたある冬の日のことだ。

 その日の『食事』を終え帰宅する途中、ビルとビルの間の薄暗い隙間に、同族の気配を感じた。

 妖怪は同族の気配に敏感である。それは、本来、森で暮らしている妖怪にとっては縄張り意識という本能による部分が大きい。

 だが、彼女の場合は違った。

 こんな都会のど真ん中で妖怪の気配を感じたことに、懐かしさのようなものを感じたのだ。

 一人、薄暗いビルの隙間に入っていく絡新婦。

 カツン、カツン、とハイヒールの音が路地に反響する。


「誰だ……」


 薄闇の奥からそんな問いが投げられた。


「お仲間よ。こんなところで同族の気配を感じたもんだから」


 絡新婦が目を凝らすと、ゴミ箱の横に一人の男が壁を背に座り込んでいた。

 腹のあたりが、黒い液体でぐちゃりと濡れている。

 息も絶え絶えで、肩で荒く息をしていた。

 脇に大きな塊のような荷物を抱えている。


「仲間?お前みたいな美人の知り合いが居たら、こんなところで野たれ死んで無いよ」


 男はコートのポケットから煙草を取り出すと、震える唇に咥える。

 その煙草に、絡新婦がライターで火を付けた。

 いつの間にか男の傍らにしゃがみ込み、その香しい顔を近づけている。


「職業病なの。席料はサービスしとくわ」


「同族って言ったな……お前、こいつと同じなのか?」


 男は絡新婦の顔を見つめる。

 絡新婦はその問いに、一瞬だけ自分の変化へんげを解くことで答えた。

 変化を解いた絡新婦の顔には八つの瞳が妖しく輝く。


「ははっ!」


 男は口から煙とともに笑い声を漏らす。


「驚いたり、叫ばれたりするのは慣れてるけど、笑われたのは初めてよ」


「あんたみたいな美人の初めてを貰えて光栄だな。まぁ、こんな死にかけになる前に出会いたかったが――いや、今だからこそ、か」


 勝手に何かを納得した男は、抱えていた塊を絡新婦に差し出す。

 差し出された塊は、毛布にくるまれた子供だった。


「いいか、俺はもう死ぬ。そこで、あんたに頼みがある。こいつを匿ってやって欲しいんだ」


 怯えた表情で、目に涙を浮かべたその子供は、絡新婦と同じ気配を身に纏っていた。

 この路地裏から感じた同族の気配は、この子供のものだったようだ。


「この子……妖怪なの?」


「ああ、座敷童だ。俺はこいつを、とある妖怪から預けられた。なんで俺だったのかは今でもわからない。ただ、座敷童を守れと、そう命じられたんだ。こいつと一緒に暮らし始めてから、俺は幸運続きだった。大きな仕事に成功し、組織での地位もどんどん上がっていった。だが、そんな俺を妬む奴らに、こいつの存在がバレた。奴らは座敷童を奪おうと襲撃をかけてきやがったのさ――ぐッ」


 男がごほごほとせき込む。煙草が地面に落ち、喉の奥から血を吐き出した。内臓が傷ついているようだ。


「なんとかここまで逃げてきた。だが、もうすぐここにも追手が来るだろう。どうかこの子を守ってやってくれ。そして……いつか、座敷童を再び会わせてやってくれ――」


 男はそこまで言って意識を失った。

 まだ息はあるようだったが、もう長くは無いだろう。

 絡新婦は手の中で未だに震えている座敷童に尋ねる。


「どうする?逃げる?」


 座敷童は涙を浮かべながらも、微かに頷いた。


 それから彼女は、もう三年も座敷童の面倒を見続けている。

 正直、最初はただの気まぐれだった。

 死にかけの男から託された妖怪を預かる、というシチュエーションがテレビの中のドラマのように感じられ少し興味を惹かれただけだ。

 最初の頃こそなかなか懐かない座敷童だったが、今では彼女をよく慕っているように見える。


 座敷童と生活を始めてから、彼女はこれまでのような男遊びを一切しなくなった。

 いや、しなかったわけではないのだが、遊んでいても座敷童のことが頭の片隅に浮かんでくるので楽しめないのである。

 もやもやとした気持ちのまま捕まえた男を喰わずにリリースし、帰路につく。

 家に戻り、座敷童が眠っているのを見ると、何故だか心臓が絞り上げられるような感情に襲われる。

 彼女はそんな自分に嫌気がさしていた。

 捕食者として世の中の男を食い物にしてきた自分が、何故こんな子供のために我慢をしなければならないのか。

 そして、座敷童の寝顔に何故、安堵感を覚えなければならないのか。

 女性として、妖怪として、彼女は自分に芽生えてきた『母性』を否定したかったのかもしれない。


 彼女がこの大会に参加したのは、この座敷童を残して消えたという【ある妖怪】を探すためであった。

 結果的には、あの名前も知らない男が果たそうとしていた望みを叶えてやろうとしているのである。

 この大会は百年に一度の大イベントである。日本中の妖怪が集まるといっても過言ではない。

 無論、妖怪放送協会(YHK)の生中継も入っている。セコンドとして座敷童を大観衆やメディアに晒すことで、その妖怪が座敷童に気付いてくれることを願ったのである。


 また、自分がどこまで『やれるのか』ということも知りたかった。

 女性の身でありながら、たったひとりで他の妖怪たちと張り合ってきた自分が、この大舞台でどこまで通用するのかということが知りたかった。

 彼女もまた、妖怪の本能を抑えられない剛の者だったのである。


「どこの誰だか知らないけど……会ったら一発ぶん殴ってやる」


 絡新婦の呟きは、誰にも届かないまま控え室の喧騒にかき消された。

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