第9話 真っ向勝負


【霞隠】により貧乏神の視界から姿を消し、一方的に攻撃を加える山天狗。

 猛攻を受けコーナーに追い詰められた貧乏神だったが、力なく突き出しただけの拳が、山天狗の鼻に当たった。


「つかまえた……」


 山天狗の全身の毛が、ぞわり、と逆立つ。

 拳を山天狗の鼻に当てたまま、貧乏神は全身の筋肉と関節をフルスロットルで稼働させる。


 足の裏から足首。

 足首から膝。

 膝から腰。

 腰から背骨。

 背骨から肩。

 肩から肘。

 各関節での加速を全て拳へと伝え...


「っじゃぁぁあ!」


 裂帛の気合と共に、ノーモーションで加速された貧乏神の拳が、山天狗の顔面を撃ち抜いた。

 ぐじゃ、という音の後に、山天狗の膝ががくり、と落ちる。


「山ちゃん!避けろ!」


 木の葉天狗が叫ぶ。

 その声が聞こえたのか、はたまた体に染み付いた危機回避の反射か、山天狗は後方に体を投げ出してマットの上を転がった。

 一瞬前まで山天狗の顔があった位置を、貧乏神の右足が通り過ぎる。


『なっ!あ、当たりました!貧乏神の拳が山天狗を捕らえました!たまらず後退する山天狗!しかし、今の貧乏神の打撃は何だったのでしょうか?!』


「ワンインチ・パンチ。中国拳法では寸頸とも言われるものだ。突きを効かすには拳を加速させるためにある程度相手との間に距離が必要だが、これはその拳の加速を関節の使い方で補っている」


 ぬらりひょんは冷静に解説する。

 だが、貧乏神にとっては、それは技術ではなく場当たり的な本能から繰り出された、破れかぶれの打撃であった。

 貧乏神は、にやり、と笑みを浮かべる。


「……たまたま上手くいっただけなんだけど、随分褒めてくれちゃって」


「どうやって我が妖術を破った?」


 立ち上がりながら、山天狗が尋ねる。まだダメージは残っているようで、膝が若干震えている。


「破る?何を言ってるんだよ。あんたの姿は見えないままさ。でも...」


 貧乏神がまっすぐにリング中央を指差す。


「見えなくたって、あんたはそこにいるだろう?」


「ばかな...」


「そう、俺は馬鹿だからな!理解できないものは受け入れるしかないのさ!」


 そう言うと大きく手を広げ、叫ぶ。


「来い!山天狗!俺は相打ちしか狙っていかねぇぜ!あんたが俺を殴るってことは、その瞬間だけはお前は俺の近くにいるはずだ!さぁ、こっからは我慢比べを始めよう!」


 貧乏神の相打ち狙い宣言に観客達が歓喜の声をあげた。


 木の葉天狗はそこではっきりと、自分のなんだかよくわからない不安がなんであったのかに気付いた。

 一方的に攻撃を受ける貧乏神の姿は、あの日の山天狗にそっくりだったのである。

 自分の攻撃をいくら受けても倒れない山天狗、彼に感じたものと同じ恐怖を貧乏神にも感じたのだ。


『なんという挑発!貧乏神、殴り合い宣言です!肉を切らせて骨を断つとでも言うのでしょうか。自らのタフネスへの信頼感が成せる技なのか?!さあ、山天狗この挑発にどうでるのか?』


 山天狗はしばし無言で貧乏神を見つめていたが、やがて何かを決意したように貧乏神に歩み寄り、両手をぱん、と叩いた。

 貧乏神の目の焦点が、山天狗に合う。術を解いたのだ。


「我慢比べなら私も少々覚えがある。さぁ、どうせやるなら条件は五分だ。存分にやろうじゃないか!」


 言うや否や、山天狗が拳を振り上げる。貧乏神もそれに合わせて腕を突き出した。

 ごっ、と硬いもの同士がぶつかり合う音が会場に響く。


「おおおおおおおおおお!」


「ああああああああああ!」


 そこからはもはや何の駆け引きも無かった。

 殴る。殴る、殴る。蹴る。殴る。

 殴る、殴る。蹴る、蹴る、殴る。

 お互い防御などを考えてはいない。頭にあるのは一発でも多く相手に拳をぶち当てることだけ。

 二人の小細工無しの殴り合いに、観客達は足を踏み鳴らし興奮を露わにする。

 山天狗の拳が、貧乏神のこめかみを打ち抜いた。


『貧乏神、ぐらついたぁ!』


 しかし、倒れない。

 貧乏神の肘が山天狗の頬骨に当たる。


『山天狗、これは効いたかぁ~?』


 しかし、倒れない。


『倒れません!お互い倒れません!意地の張り合いだぁ!一回戦からものすごい名勝負です!』


「っしゃあああああ!」


 貧乏神のアッパーが、山天狗の顎を捕らえた。山天狗の顔が跳ね上がり、ゆっくりと体が傾いていく。

 追い討ちをかけるように、貧乏神の横蹴りが山天狗の胸にヒットする。山天狗の体が浮き上がり、ロープに飛ばされる。ロープの反動で押し戻された山天狗に、貧乏神が攻撃を重ねた。

 右拳。左拳。右拳。右膝。頭突き。右拳。

 何度もロープに跳ね返され、山天狗は倒れることもできないまま貧乏神の攻撃を受け続けた。


『形勢逆てぇええええん!貧乏神の猛攻が山天狗を襲います!山天狗これはもうだめかぁ?』


(あ~、これはマズい……)


 山天狗は、薄れ行く意識の中で冷静にそんなことを考えていた。目の前の貧乏神は、ものすごい形相である。瞼の端が切れていたし、へし折れた鼻からも夥しい量の血液を垂れ流している。

 ほとんど無意識のうちにパンチを返すが、貧乏神はかまわず打ち返してくる。

 不意に山天狗の腰が落ちた。


「山ちゃん!」


 木の葉天狗の叫びが山天狗の耳に微かに届く。


(木の葉……)


 その瞬間、山天狗の瞳に光が戻った。打たれながらも、山天狗の拳が強く握られる。


(そういえば……最初に教えてもらった技は……これだったなァ)


 山天狗の顔面に、貧乏神の拳がめり込んだ。

 完全に手ごたえのある一撃だった。


「!」


 貧乏神の背筋に、ナイフが入り込んだような冷たい感覚が走る。


(腰を落とし、しっかりと足を踏ん張って……)


 山天狗の拳が、動いた。


(最短距離を、最高スピードで……)


「やばっ」


 貧乏神が拳を引き戻そうとするより早く、山天狗の突きが貧乏神の鳩尾に突き刺さる。


(打ち抜く!)


 どんっ、という衝撃音と同時に、貧乏神の体が吹き飛んだ。

 貧乏神は反対側のロープまで飛ばされ、跳ね返り膝をついた。

 追撃に備えすぐさま立ち上がるが――


「?」

 

 追撃が来ることは無かった。

 山天狗を見ると、彼は最後に突きを放った姿のまま、リングの上で固まっていた。貧乏神がゆっくりと近づいていくが、山天狗は全く動かず、石像のように一点をにらみ続けている。

 そこで、セコンドがタオルを投げ入れた。

 同時に太鼓の音がどぉん、と打ち鳴らされる。


「勝負あり!」


 主審の油すましが右手を挙げながらそう宣言した。


『決着!山天狗、立ったまま、攻撃を繰り出した姿勢のまま気絶しています!素晴らしい試合でした。甲乙付け難い名勝負でした!しかし、勝ったのはァッ……貧乏神!』


 歓声と拍手が会場から巻き起こった。

 木の葉天狗は山天狗に駆け寄ると、二度、軽く肩を叩く。

 はっ、と目を覚ました山天狗は事態を理解していない様子で、木の葉天狗に殴りかかる。

 その拳を受け止めると、木の葉天狗は山天狗に抱きついた。


「もう、終わったんだ」


 泣いていた。それは悔しさでも、やるせなさでもなく、間違いなく賞賛の涙だった。


「そうか、私は……負けたんだな」


 山天狗が呆然としたまま言う。

 木の葉天狗はそんな山天狗を、しっかりと支えていた。

 貧乏神が山天狗に駆け寄る。


「あ、あの……」


 木の葉天狗は貧乏神に鋭い視線を投げる。一瞬たじろいだ貧乏神であったが、それでも近寄って山天狗に握手を求めた。


「おい!」


 木の葉天狗は声を上げてそれを制そうとするが、山天狗は微笑みと共にそれに応じた。


「……山ちゃん」


「木の葉、俺は満足だ。貧乏神は俺と真っ向からの殴り合いをしてくれたんだ。それで負けたのだから悔いはない」


 山天狗は貧乏神の手を高々と上げ、勝者として称えた。

 会場から賞賛の拍手が両選手に送られる。

 木の葉天狗の肩を借りてリングを降りた山天狗は、花道の途中でぼそり、と言った。


「最後の一発を放つ瞬間、何故だかお前との最初の勝負を思い出したよ」


 木の葉天狗は、笑って「俺もだ」と答えた。


「またここから出直しだ」


 そう言った山天狗は晴れやかな表情を浮かべていた。

  

 一回戦第一試合 ×山天狗VS○貧乏神


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