第2話 全選手入場
『全選手入場ッ!』
ぬらりひょんがリング上で左の拳を突き上げると、会場に激しい音楽が鳴り響いた。
演奏は北海道からこの日のために遠征してきた【コロポックル交響楽団】によるものである。
ライトに照らされて、扉の奥に影が現れた。
左右から、ぶしゅぅっ、というドライアイスが吹き上がる。
この演出は、煙の妖怪【
リングサイドにいる実況の【夜行さん】がマイクを片手に声を張り上げる。
彼の額からは小さいが確かに二本の角がにょきっと顔を出しており、その下には一つだけしかない瞳が、かっ、と見開かれていた。
『皆さんお待ちかね、全選手入場です!実況を勤めさせていただくのは僭越ながら私、夜行でございます!』
わぁっ、と会場が沸く。
『さぁ、最初に入場してくるのは……』
花道を、一匹の妖怪がゆっくりと歩いてくる。全身毛むくじゃらで、片腕をくるくると回しながら顔にはにやにやとした下卑た笑いを浮かべている。
『おぉーっとぉ!これは最初から意外な選手ッ!黒といえば白という!イエスといえばノーという!俺の辞書に正直という文字は無いんだぜッ!!騙し討ちのアーティスト、【天邪鬼】の入場だぁーッ!』
天邪鬼はリングに降り立つと、観客たちにガッツポーズをして見せた。観客たちは天邪鬼のふてぶてしい態度にブーイングと歓声が半々の叫びをあげた。
『さぁ、選手はまだまだ入ってくるぞーッ!続いては……』
ぬちゃり、ぬちゃり、という耳障りな音が近づいてきた。
這っている。
全身を泥まみれにした長身の妖怪が、両手両足を巧く使って、花道を這って入場してきた。そいつが這った後にはなにやら黒い筋が残っている。
体毛は一切無く、良く見れば、手には指が三本しか生えていない。片方の目は潰れているようだった。
『き、来たぁー!三本指は怨みの印、二十四時間戦えますよ!田んぼの怨みは死んでも消えぬ!今日も叫ぶぞ、田を返せ!【泥田坊】がやって来たぁーッ!』
泥田坊はなめくじのようにロープを乗り越えリングインすると、天を仰ぎ、がぁぁ、と一声啼いた。会場にどよめきが広がる。こいつがどんな試合をするのか、観客は早くも興味を引かれているようである。
『
からん、ころん、という高下駄の音、軽やかな足取りで花道に現れたのは山伏装束に身を包んだ妖怪である。口ひげを蓄えた真っ赤な顔の中央からは、にょき、と長い鼻が伸びている。
『うぉぉ!き、期待通りに来てくれた!その称号は数知れず、妖界でも一、二を争う勢力を誇る天狗一族の中からとびっきりの野郎が出場だ!北海道は小樽から、【山天狗】が来てくれたァーッ!』
山天狗は花道のほぼ中央で立ち止まると、膝を曲げ、十分に溜めをつくって跳躍した。そしてそのままロープを飛び越し、リングに音も無く降り立つ。距離にしておよそ七メートルを助走もなく、膝の溜めだけで跳躍して見せたのである。恐るべき脚力だった。
『と、跳んだ~?!なんという跳躍力!やはり天狗は一味違ぁぁうッ!』
会場中が天狗のパフォーマンスに目を奪われている中、一匹の妖怪が花道上に現れていた。猿と、人の中間のような外見のその妖怪はぺたぺたと花道を歩いてくる。
一つしか無い瞳をぱちくりさせながら、愛嬌のある歩き方でリングへと向かう。
『おおっと、彼は誰だ?!手元の資料によりますと……?!ふ、不明!出身、経歴共に不明、とだけ書かれています。なんなんだ?彼は一体誰なんだ?わかっていることは唯一つ!彼の名前は【
覚と呼ばれた妖怪はゆっくりとロープを潜りリングに立つと、珍しいものでも見るかのように、その一眼で会場に詰め掛けた観客たちを見渡した。
『わかりません!彼はどんな戦いを見せてくれるのでしょうかッ!……さぁ、続いての登場は!』
花道には誰も現れない。
『……え?』
実況の夜行さんが素っ頓狂な声を上げる。
『ど、どうしたのでしょうか?次の出場者が現れませんッ!』
刹那、リングに黒い影が落ちた。
『あ、あぁぁぁぁああああ!上!上だァッ!!』
夜行さんが指を指す方向、リングの真上から、何かが降ってきた。
それは、まるでティッシュペーパーに墨を染み込ませるようにじわじわとその大きさを増していき、一直線にリングに落下する。
ずどぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおんん!
衝撃で、既に入場した妖怪たちの体がふわり、と宙に浮いた。
『な、なんという入場の仕方でしょう!これが俺だ、と言わんばかりのデモンストレーション!アイアム落下!【釣瓶落】が空から降っての登場だァ!』
「ふぉふぉふぉ」
釣瓶落はその顔だけの巨体を嬉しそうに揺らすと、四方に向かってお辞儀のような仕草を見せた。
『さぁ、続いては?!』
のそのそと歩いてきたのは、小さく丸っこいシルエットの妖怪だった。
身長はおそらく150cmに満たないだろう。しかし、観客たちはその身体に息を飲んだ。
全身が分厚い筋肉に覆われている。
丸っこい印象のシルエットは、低い身長に対して胴や四肢の筋肉が異常なまでに発達しているからであった。
極度に発達した筋肉のいたるところに、ひび割れのように血管の筋が浮かび上がっている。
つるつるのスキンヘッドにまで筋肉が詰まっていそうである。
子供の身体にボディビルダーのような筋肉を持った妖怪だった。
彼はリング前で立ち止まると、足を大きく開いて腰を落とし、片足を天に向かって振り上げた。
相撲の「四股」の型だ。
高く上げられた足が、勢い良く振り下ろされる――
ずどぉぉぉおおん!
という地響きと共に、衝撃破が発生した。
『会場が揺れたぁぁあ!あの身体はなんなんだ?!首が太い、腕が太い、胴も、足も、その佇まいさえも太い!ここはボディビルの大会会場ではないぞ!?強さとは力であり、力とは筋肉であると主張する圧倒的な肉密度!怪力無双!【赤頭】だぁぁああ!』
赤頭はロープを潜ってリングに上がると、無表情で既に入場している出場者たちを睨み付ける。
『面白い選手です!さぁ、まだまだ選手の入場は続きます!』
ぽん、と乾いた太鼓の音が聞こえた。
『おぉっ!この音は……!』
ぽん、ぽん、ぽぽん……
花道から現れたのは、大勢の狸だった。
しかし、一般の狸と違うのはその狸たち全員が二本足でしっかりと立って歩いており、自由になっている前足二本で自らの腹を叩きながら入場してくることだ。
『狸です!日本古来から人を化かさせたら右に出るものはいないという、狸が一族挙げての入場です。これが噂に聞く狸囃子というやつなのでしょう!……おっと?最後尾から出てきたあの一際大きな狸は……』
列の最後尾には他の狸の三倍ほどの大きさはあろうかという狸がいた。
首に数珠をかけ、右手には酒の徳利を提げている。
紫色の着物に身を包んだその狸は、軽く目を閉じ、ぶつぶつと何かを唱えていた。
『で……伝説が現れたァァァア!四国八百八の化け狸の総大将、伊予松山から【
リングに上がると、隠神刑部は目を開け、かけ声を上げた。
「いよほぉぉぉぉぉぉおお!」
ぽぉん!とすべての狸が寸分たがわぬタイミングで腹鼓を打つ。その一糸乱れぬ行動に、会場からは拍手の渦が巻き起こった。
『気合の腹鼓!隠神刑部、発気揚々です!さぁ、続いて花道を歩いてくるのは……』
髪は腰ほどまで伸び、前髪で顔が良く見えない。髭も伸び放題である。
『か、会場に異臭が立ち込めます!これは臭い!汚い!そしてなにより貧相だァ!神という名前を与えられながらも、その地位の低さから皆に忌み嫌われた妖怪界の異端児、【貧乏神】!己の臭さを屁ともせず、それがどうしたとばかりの佇まいです!』
貧乏神、人からも妖怪からも嫌われた妖怪である。リングに上がる彼を、会場は大きなブーイングで迎え入れた。ブーイングのシャワーを貧乏神は両腕を大きく広げて浴びる。
「ははっ、いい響きだ……」
そう呟く声は、まだ若さの残る青年のような声に聞こえた。
『なんというふてぶてしさ!本来中立を保たなければならないはずの私、実況の夜行までなんかムカついてきました!ぬらりひょんさん、何故彼の出場を許可したのかァァッ!』
夜行の隣に座るぬらりひょんは、表情一つ変えずに冷静に答える。
「確かに彼は臭い。しかし、だ。彼は強い。それは十分な出場資格にあたる」
『なんと!貧乏神は主催者ぬらりひょん氏の推薦選手だったァァ!彼の実力はいかほどのものなのか!』
貧乏神の放つ異臭に会場が騒然とする中、続いての出場者が花道に出てきた。先ほどの貧乏神とは対照的な、甘く、芳しい香りを放ちながら歩いてくるのは……
『うぉぉぉぉぉおお!セクシィィィィイ!ビューティフルゥゥウ!もはや説明は不要だ!オトした男は数知れず!その艶やかなボディーを武器に、今日はどこまで魅せてくれるのかッ!セクシャルバイオレンス【
会場が、今までとは比べ物にならないほどに沸き立つ。絡新婦は投げキッスをしながら、花道を進み、ロープを軽々と飛び越してリングに降り立つ。着地の瞬間、彼女の胸がぷるん、と揺れた。
『まだまだ来るぞぉ!次は誰だぁ!』
壁が歩いてきた。
比喩ではなく、本当に巨大な壁がゆっくりと花道を歩いてくるのである。
のそり、のそり、とその歩みは非常に緩慢であるが、会場はその異様さに息を呑んでいる。
『でかぁぁぁぁい!その名に恥じぬ巨体ぶり!邪魔する奴は押しつぶす!悪意は無けれど通せんぼ!妖怪、【塗り壁】ここにあり!』
塗り壁がロープを跨ぎリングに入ろうとする。が、足が引っかかりそのままリングに倒れこみそうになる。
『あ、あぶなっ――』
夜行さんがそう言いかけた瞬間、会場に一陣の風が吹いた。
風は花道から吹き込み、一瞬にしてリングに到達すると、塗り壁の倒れそうになる体を支え、ゆっくりと体勢を立て直させた。
『何が起こったのでしょうか!?恥ずかしながら私の目には全く見えませんでしたッ!しかし、リング上には既に次の出場者が現れています!』
塗り壁を支えたのは、一枚の反物であった。
ぴらぴらと風に舞うように『それ』はリングの周りをひゅるりと一周し、塗り壁の隣に降り立った。
『その薄っぺらい体のどこに塗り壁を支えるほどの力が宿っているというのか?!スピードキング、九州代表、【一反木綿】が一瞬のうちにリングに現れているぅぅう!』
ほぎゃあ、ほぎゃあ、とどこからか赤ん坊の泣き声が聞こえる。
『え?こ、子供?』
花道をてくてくと歩いてくるのは子供だ。
小さい、幼稚園児ほどの身長しかない人影が、リングを目指して歩いてくる。
『あぁ~!皆さん、あの顔をご覧ください!私たちは彼を知っています!体は子供、頭脳は大人どころかもう老人!そろそろ痴呆の症状が出てきているとの噂もあります!ミスターチルドレン、【
児啼爺はロープをよたよたと越えると、リングの上でにっこりと観客たちに微笑む。
「……久しぶりじゃのう。百年ぶりか」
児啼爺が懐かしそうに呟いた。
『前回大会ではこの児啼爺、準優勝を果たしています!実力は確か、しかし年齢の壁は越えられるのでしょうか?!』
夜行の実況に、ぬらりひょんが苦笑を漏らした。
「くっくっく……あの男を老人扱いするとは、なんと言うか……」
ぬらりひょんの苦笑は誰にも届かぬまま会場の歓声にかき消された。花道に、次の出場者が現れたのである。
現れたのは、アンバランスな妖怪であった。
顔が大きい。
目も大きいし、口も、鼻も大きい。
しかし、身長自体はあまり大きくないのだ。せいぜい百七十センチといったところであろう。顔だけが以上に大きいのである。しかも顔は紅潮したように真っ赤だ。
『顔がでかぁぁぁあい!顔が体に付いているのか、体が顔に付いているのか?!その真っ赤で大きな顔から、付いた名前は【
朱の盆はリングに降り立つと大きな口をいっぱいに開き、右拳を天に突き上げ叫ぶ。
「ッしゃぁぁぁぁああああああ!」
『ッしゃぁぁぁぁああああああ!』
会場全体がそれに呼応するかのように、声を張り上げた。興奮と期待で騒然とする観客たちの心を、朱の盆は腕一本で鷲摑みにしてみせたのである。
『なんというカリスマ性ッ!それもそのはず、彼、朱の盆は今、歌妖界で最も熱いロックグループ、【怪奇団】のボーカルを務めておりますッ!大ヒット曲「妖怪酒場は今日も雨」は二百九十四万枚のビッグセールスを記録し、今なおその記録を伸ばし続けているのです!』
「へっ、アイドル様がこんなところに来て何をする気なんだよ……」
観客の大歓声を浴びる朱の盆を、天邪鬼がそう挑発した。しかし、朱の盆は冷静に、挑発には乗らず答える。
「俺は今、【怪奇団】のボーカルとしてではなく、一匹の妖怪としてこのリングにいる。何をする気かって?決まってるだろう……優勝さ」
天邪鬼はしばらくの間、朱の盆を睨んでいたが、次の出場者が現れたことによる会場のざわめきと共に視線を逸らした。
しょき、しょき、という何か小さなものがぶつかり合う、マラカスのような音がする。音はだんだんと歌になっていき、歌声は実に楽しそうにそのテンポを上げていく。
「小豆研ごうか、人捕って食おか……しょき、しょき」
下手だった。しかし、歌声の主はそんなことは意に介せず、楽しげにリズムに乗って花道を歩いてくる。
『この破壊的な歌声!音程を無視した旋律!間違いありません、小豆研ぎです!あまりの下手さに歌妖界から追放され今日まで姿を消していた、ある意味伝説のシンガーソングライター、【小豆研ぎ】が現れました!それにしても歌が下手だぁぁあ!』
会場から、「引っ込めー」「下手糞~」といった野次が飛ぶ。しかし小豆研ぎの耳にはそんな声は全く届いていないようで、リングに降り立った彼は両手を振る。
「ありがと~、ありがと~」
リングに空き缶が投げ込まれた。
『物を投げないでください!お怒りはごもっともですが、物を投げないでください!さぁ、出場者もあと二匹を残すところとなりました!続いてはぁぁああ?!』
彼が現れた瞬間、会場が急に、水を打ったように静まった。
全身を、緑色の鱗に覆われた彼は、周囲に突き刺すような視線を振り撒きながら花道を歩き、リングに上がった。スポットライトに照らされて、頭の皿がきらり、と輝く。
『と、とんでもない出場者が現れましたァッ!妖界でも断トツの凶暴性を誇る種族、河童一族が参戦です!負け、すなわち死という種族固有の考え方はあまりにも危険なため数百年前に特別隔離指定種族とされた河童一族。その末裔がこのリングに降り立ったァァア!その名は【
岸涯小僧はリング上からぬらりひょんに対し丁寧に一礼する。ぬらりひょんはそんな岸涯小僧に小さく頷いた。その瞳には、なぜか優しい光が揺れていた。
『お待たせしました!次が最後の出場者です!』
夜行がそう叫ぶ。会場がどっ、と揺れる。
花道に黒いシルエットが浮かび上がる。細い、そして長い、そんなシルエットだ。夕暮れ時の影のように細長い妖怪がのそり、と花道に現れる。黒く、長いマントを体をすっぽりと隠すように羽織ったその妖怪は大きな歩幅でリングに向かう。手と足が以上に長いくせに胴が非常に短い。
『最後の登場となりました、彼の名は【手長足長】!名は体を現すとはよく言ったものです!見てください!リーチは三メートルを越え、股下は二メートル。リング上で手の届かない場所はありません!痒いところに手が届く!手長足長、ここに見参!』
選手入場が終わり、ぬらりひょんが再びリング上に上がった。彼は出場選手たちを一瞥すると、声高に宣言した。
『ルールは一つ、ルールなし!何をしてもいい。噛み付こうが、武器を使おうが、呪おうが自由だ!勝負の判定はどちらかが負けを認めるか、試合続行不可能になったときだけ!皆、存分に戦ってくれい!』
ぬらりひょんはそれだけ言うとリングを降りる。
ついに、百年に一度のお祭り騒ぎ、ミドル級日本妖怪王座決定戦が始まるのだ。
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