ミドル級日本妖怪王座決定戦
骰子十三
第1話 開会式
それは蒸し暑い夏の夜だった。夜にもかかわらず気温は35度を超え、辺りにはただ立っているだけでじんわりと汗ばんでくるような湿気が立ち込めている。
時刻は午前二時半、時代が時代ならば『丑三つ時』と呼ばれる時間帯である。
何もいないはずの夜の森に、微かにざわめきが聞こえる。
夜風に吹かれ葉が擦れあう音に混じって、確かに喧騒が聞こえる。
闇を縫って聞こえる『声』は興奮していた。
確かな熱を持った雄たけびが、夜の森に反響して、消えた。
『ミドル級日本妖怪王座決定戦』
今夜行われるそのイベントは、百年に一度の妖怪たちの祭典であった。
全ての妖怪たちが心待ちにし、リングサイドの特等席はプラチナチケットとなり、妖怪たちの通貨である【宝玉】で二十個という高値がつけられていた。
日本円にして約二百万円である。
会場に近づくにつれ、ダフ屋の姿もちらほらと見える。
「チケット~、チケット買うよ~」
だみ声を張り上げるのは子供ほどの身長の男だ。
男は体こそ小さいが、首の上に鎮座する顔は老人そのものである。その上、彼の顔には目が一つしかない。明らかな異形である。しかし、彼は当たり前のようにそこにいて、その一つ目をきょろきょろと愛嬌たっぷりに動かしながら、「チケット~、チケット買うよ~」と繰り返していた。
わぁ!という一際大きな嬌声が森に響いた。
一つ目の老人が思わず振り返ると、一筋の光が空へ向かって伸びていくところだった。
光は、どぉん、という音と共に夜空に大輪の華を咲かせた。
花火。
しかし、通常のものと違うのは、炸裂した火の粉が消えず、そのままゆっくりと光を保ったまま会場に降り注いでいることだ。
花火は【火の玉妖怪】たちのパフォーマンスなのである。
数百という火の玉が筒の中に入り込み、蛇に似た毛むくじゃらの妖怪【
会場にいる妖怪たちは、火の玉花火に拍手喝采を送り、その興奮の熱量を上げていった。
突如、会場を照らしていた明かりが全て消えた。観客たちは最初こそざわめいたものの、やがて落ち着きを取り戻し、あたりにはこれから始まる一大イベントへの期待と不安が混じり合った静寂が訪れた。
静寂の中に、どん、と太鼓の音が響く。音はその感覚をだんだんと短くしながらなり続ける。
どぉん…………。
どぉん……。
どぉん。
どん、
どん、
どんどんどんどん……。
どぉん!!
一際大きい太鼓の音に呼応するように、会場の中央、リングのど真ん中だけが、明かりに照らされた。
ちなみに本日の照明は日本の代表的な火の玉妖怪【
四方向からのスポットライトが集中するリング中央には、いつの間にか一匹の妖怪が立っていた。
タキシード姿のその妖怪は右手にマイクを持ち、天を仰いでいた。
頭が異様に大きい。
顔は皺くちゃで、目は糸のように細い。
彼は【ぬらりひょん】。
妖怪の総大将と言われている。
彼はゆっくりと右手を動かし、マイクを口に近づけていった。
『今日、われわれ妖怪はその姿を隠しながら生きている。目立たず、騒がず、出しゃばらず、静かに平穏に暮らしている』
ぬらりひょんのしゃがれた声には、どこか寂しさめいた響きが感じ取れた。
観客たちも、彼の言葉に静かに耳を傾けている。
『それは、愚かな人間共が我々から住処を奪ったから、という理由ではない。逆だ。我々妖怪が、あいつら人間共を見限ったのだ。
高度経済成長期とバブル期を経て、人間共は実に面白みの無い生活をするようになった。自然と共に生き、万物を尊ぶような人間はもうほとんど居ない。
かつては我々妖怪の存在を通して奴らに「教訓」を与えてやっていたが、もうそんなことをしてやる気も失せた。我々とて、暇ではないのだからな』
会場から「そうだ!」「昔は良かったなぁ!」「最近は供え物も少ねぇ!」などと声が上がる。
『しかしだッ!そんな中において妖怪の本質!強さ!怖さ!恐ろしさを求めて止まなかった者たちがいるッ!』
会場が、揺れた。
ぬらりひょんの言葉に、「おお」とも「ああ」ともつかぬ嬌声と雄たけびの混じりあった声が一斉に沸き起こった。
『そんな誇るべき妖怪たちが、今ここに終結したッ!皆!今夜は百年に一度のお祭りだ!存分に楽しもうではないかッ!!』
かっ、とリングへ続く一本の花道が照らされる。花道の両脇には小さな火の玉が等間隔で燃えていた。暗闇の中で道を示すように、火の玉はゆらゆらと青く怪しい光を燈しながら、一本の道を作り上げていた。
『ただいまより、ミドル級日本妖怪王座決定戦を開始するッ!』
会場のテンションが最高潮に達した。叫び声がうねり、会場全体が地鳴りのように足を踏み鳴らす。
ぬらりひょんが左の拳を突き上げる
『全選手、入場ッ!』
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