2.現場

 東の空が白々とし始めた頃、現場の確保がようやく終わった。

 あれだけ降り続けた雨も終盤でやっと止んではくれたのだけれども、夜通し作業を行なっていた僕は結局ずぶ濡れだ。やれやれ。

 第一発見者のギルビーには早い段階で帰宅してもらった。完全に怯えきっていたし、状況の詳細を聞くにしてももう少し落ち着いてからじゃないと難しそうだったからだ。

 死体に関してはペブル診療所に移動させることにした。ペブル診療所は街にある唯一の診療所だ。運営するニーデック医師に無理を言って女神像のところまで来てもらい、僕と二人で台車に乗せ移動させた。深夜にも関わらず現場まで駆けつけてくれた医師には感謝してもしきれない。僕はこの時、死体がとても重たいと言うことを初めて知った。いやあ本当に重たかった……。

 現場の確保は苦労した。

 死体を女神像の足下から引き上げた後で、血の混じった水を抜く作業を始めたのだが、これが中々に骨が折れた。

 作業的には単純で、水を手桶で掻きだして水場の周辺に撒くだけなのだが、普段身体を使うことのない僕にとって、これは本当に重労働だった。

 かなりの量を撒いてしまってから、僕は地面に残った証拠を消してしまった可能性に気がついた。

 だが、女神像の周りは石畳の広場になっていて、作業を続けている間もずっと雨が降り続いていた。希望的観測を含んでしまうのだが、水を流すだけで消えてしまうような証拠なら、もうすでに消えてしまっているだろうと僕は思うことにした。いずれにせよ血混じりの女神像を街の人々に見せられない。夜が明けるまでに解決するにはこれぐらいしか僕には思いつかなかった。

 赤く染まった水を手作業で排出し終えたあと、女神像の周りにロープを貼った。現場周辺を詳細に調べれば犯行の手がかりが見つけられるかもしれない。できればそれまでは立ち入り禁止にしておきたい。

 手桶とロープを借りに行った都合で、街の警備係である門番の二人にだけは事件の概要について説明してある。ただ、死体が切断されていたことについては伏せることにした。切断の事実は、事件を解決してからでも遅くはないだろう。それぐらいという現実はあまりにも突飛で、にわかに受け入れがたいものがある。

 ひとしきりの作業を終え、これから僕は診療所に向かわなければならない。死体を調べることで何かしらの手がかりを得なければならないからだ。

 その時、くうぅとお腹が鳴った。

 考えてみれば、何も食べずに五時間近く作業を続けてたことになる。僕は軽いめまいを覚え、同時にディアヌさんにいつものブルーチーズのサンドイッチとコーヒーを頼んでいたことを思い出した。ブルーチーズのあの強烈な香りが今はとても恋しくてたまらない。

 嗚呼、ブルーチーズ。

 白と青のコントラスト。芳醇で危うげな香り。口にするとピリリとした辛さの奥に乳感のあるコクと旨味が渾然と押し寄せてきて……。

 僕は唾を飲み込んだ。診療所に向かうのは腹を満たしてからでもいいだろう。

 僕はコートの裾を持ち上げキュッと絞ってから、疲れた身体を引きずるようにして川沿い亭へとゆっくり歩き始めた。

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