第365話 空っぽの家(前編)
緑依風は家の中にいた。
自分の部屋の――ドアの前。
そして、その階下からは物音と人の気配がする。
「…………!」
緑依風は慌てて階段を駆け下り、食器の音や家族の声がするリビングへと向かう――が。
「あ……」
ドアを開けた途端、葉子、千草、優菜の姿が一瞬にして消えてしまい、緑依風は肩を落とす。
すると、ガタンと今度は玄関の方から音がして、急いで振り返ると、母が家を出て行こうとしている後ろ姿が見え、緑依風は「お母さんっ!」と呼び止めた。
「お母さん、待って!お母さんっ、お母さんっ!!」
緑依風が葉子を追って手を伸ばすと、その手は乱暴に振り払われ、「さわらないで……」と、母は冷たい声で言った。
「私はもう、あなたの母親じゃない」
「えっ……」
「私の子は、千草と優菜だけ……言うこと聞けない子なんて、いらないの……」
「……っ」
「さよなら緑依風……」
「待って……待ってっ……!!」
緑依風は自分を置いて立ち去ろうとする母を追いかけるが、走っても走っても、母との距離はどんどん遠くなり、遂には視界から消えていってしまった。
「……っ、あ、ちぐ……さ……」
いつの間にか、母と入れ替わるように妹の千草が目の前に立っていた。
「ちぐさ……あ、あのっ……!」
「お姉ちゃんのせいで、うちの家族はバラバラだよ……」
「あ……」
千草も母同様、軽蔑するような眼差しで緑依風を睨んでいる。
「バイバイ、お姉ちゃん」
「千草っ……」
彼女も母が歩いて行った方向へと去って行き、緑依風はまた一人になる。
「緑依風……」
「おとう、さ……」
今度は父の声がして、緑依風が振り向くと、北斗は両手で頭を抱えながら「お前のせいで……」と、言った。
「お前が、余計なことを言わなければ……っ!」
北斗もそう言った途端、緑依風からどんどん遠くに離れてゆき、緑依風はぐにゃぐにゃとした灰色の世界の中に一人取り残されてしまう。
「やだ……っ、お母さんっ!お父さんっ!千草っ、優菜……っ!戻ってきてっ!帰ってきてっ!」
緑依風は何度何度も家族を呼ぶが、彼女の声に反応してくれる家族は何処にもいない……。
「ごめんなさい……っ、ごめんなさい……」
私がずっと我慢していれば……。
こんなことになるくらいなら、本音なんて言わなければよかった……。
「ごめっ、なさ……ごめ……っ」
「――……緑依風、緑依風っ!」
「――――!」
緑依風が目を覚ますと、心配そうに自分を覗き込む風麻と目が合った。
「ぁ……ふう、ま……?」
どうやら先程見たものは、夢だったらしい。
「もうすぐメシできるから起こしにきたんだけど……うなされてたぞ……大丈夫か?」
風麻はティッシュを取り出し、涙の跡が残る緑依風の顔をそっと拭いた。
「う、ん……だいじょ、ぶ……」
ゆっくり起き上がると、風麻は「まだ、ちょっとだけほっぺ赤いな……」と言いながら緑依風の頬と額に触れ、熱を確かめる。
「体温計、取って来る……」
「――っ、行かないでっ!!」
風麻が立ち上がろうとした途端、緑依風は叫びながら彼の服の裾を掴み、必死な形相で引き止めた。
「えっ?」
「お、お願い……っ、ひ……っ、ひとりにしないでっ……!」
「いや、すぐ戻るし……」
「一人はやだ……っ、ひとりになりたくない……っ、こわい……っ!」
緑依風がそう言って泣き出してしまうと、風麻は服を掴んだまま震え泣く彼女を優しく抱き締め、「わかったわかった、大丈夫だ……」と緑依風を落ち着かせるように言った。
「ちゃんといる……」
「……っ、う……っ、ホント?」
「おぅ、緑依風が怖くなくなるまで、一緒にいる……」
「うん……っ」
緑依風がぎゅうっと風麻の背中の服を強く握り締めると、風麻はしばらく何も言わずに、緑依風の不安が和らぐまで彼女の背や頭を撫で続けた。
*
緑依風の気持ちが落ち着いてきた頃、伊織が部屋の外から声を掛け、緑依風と風麻の朝食を和室まで持って来てくれた。
引き戸は半分程開いていたので、さっきまでの光景を見られていたのを思うと、二人共少々恥ずかしく思ったが、伊織はそのことについては何も言わず、緑依風の体調や心を気遣ってくれた。
八時を過ぎると、風麻は部活に行くための準備を始める。
「じゃあ、俺そろそろ出るけど……」
風麻はそう言いつつ、なかなかリビングを出ようとしない。
さっきのこともあり、緑依風のことが心配で気が進まないようだった。
「今はもう大丈夫だよ。おばさんもいてくれるし」
緑依風が言うと、風麻は「まぁ、な……」と言いながらリビングのドアを開けるが、くるりと振り返り、動かなくなってしまった。
「あ~もう!兄ちゃんが遅刻したら、緑依風ちゃんが余計気にしちゃうだろ!」
秋麻が兄の背中をグイグイ押して、玄関へと追いやる。
「俺らもいるんだから大丈夫!な、緑依風ちゃん!」
――と、風麻と緑依風を交互に見上げ、頼もしく送り出した。
*
風麻が家を出ると、伊織は食器の片付けが終わり次第、緑依風の荷物を一緒に取りに行こうと言ってくれた。
「お父さんから鍵はもう預かってるの。着替えは三日分あればいいと思う」
「わかりました」
「あとは、携帯と充電器と保険証とかかしら……?熱は下がってたけど、まだご飯も食べれないし……。病院に行けば、気持ちをリラックスさせるお薬とかもらえるけど……」
「あ、いえ……病院は大丈夫です……」
薬を飲んだって家族は元通りにならないし、医者に理由を説明する気にもならない。
「わかった。じゃあ、もう少し待っててね」
伊織はそう言って、北斗から預かった鍵を緑依風に渡す。
通学鞄に入れていた家の鍵。
昨日リビングに置いてそのままにしてしまっていたが、きっと父が取り出して、伊織に渡してくれたのだろう。
その父も、今はもう店に出て開店の準備をしているはずだ。
家に入っても、誰もいない。
家族のいない家に帰るのが、怖かった。
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