第362話 看病(前編)


 緑依風がひとしきり泣き続け、やっと嗚咽がおさまってきた頃。


 伊織は「さ、緑依風ちゃん。おばさん蒸しタオル持ってくるから、体拭いて着替えましょうか」と言って、身を離す。


「泣いたら余計汗かいちゃったみたいだし、制服は風麻のと一緒にクリーニングに出しておくからね」

 緑依風がぐずっと鼻を鳴らしながら「ありがとうございます……っ」とお礼を言うと、伊織は風麻にわざとらしいにっこり顔を向けて、「出て行きなさい」と、声を出さずに訴えた。


 一旦退室した風麻は、冬麻とカーペットの上に並び座り、特撮ヒーローのビデオ鑑賞を始める。


 伊織は、電子レンジで作った蒸しタオルを手に持って、緑依風がいる和室に戻り、彼女の背中を拭いてくれた。


「とりあえず、今日はこれ着て過ごしてちょうだい。体調が良かったら、お風呂も後で入っていいから」

「ありがとうございます」

 伊織から、彼女が使っていないパジャマを受け取った緑依風は、早速それに着替え始める。


「パンツはこの買い置きの新しいのがあるけど……ブラジャーは、おばさんのじゃもう、絶対入らないわよねぇ……」

 伊織は、汗に濡れた緑依風のブラジャーを畳みながら、カップの大きさに少々慄いた表情になっている。


「明日、家から着替えを何着か持ってくるといいわ」

「そ、そうです……ね。あはは……っ」

 緑依風は顔を赤らめながら、わざとらしく笑って、恥ずかしい気持ちを取り繕った。


「もうすぐお夕飯できるけど、ご飯は食べられそう?」

「あ……少し、なら……」

 朝だってほとんど口にできなかったのに、食欲が湧かない。


 伊織は「だと思って、雑炊作っておいたの」と、緑依風があまり食べられないのを見越して、彼女用の食べやすい物を作ってくれていたようだ。


「準備が出来たら持ってくるわね」

 伊織がそう言って閉めていた戸を開くと、はしゃぎ声を上げた冬麻が、緑依風の布団の上にダイブしてきた。


「わ!」

「ざぶ~ん!!」

 普段はあまり使わない和室に、布団が敷かれている光景が珍しいのもあって、冬麻はプールで泳ぐように手足を広げて、楽しそうに遊び始める。


「冬麻、緑依風ちゃんはしんどいんだから静かにしてあげてね」

 伊織は緑依風を気遣い、末息子を注意するが、緑依風は無邪気で可愛らしい彼の姿に、ほんの少し心が軽くなるのを感じた。


「緑依風ちゃん、おねつ?」

 冬麻が緑依風の額に小さな手を当てて心配すると、緑依風は「ううん、お熱はないよ」と答えた。


「おばさん、大丈夫だよ……。冬麻と遊んでる方が気が紛れそう」

 緑依風が言うと、伊織は「そう……それなら、緑依風ちゃんの看病は冬麻にお任せしようかな」と言って、台所に戻った。


「緑依風ちゃん、おいしゃさんごっこしようよ!」

「うん、いいよ」

 緑依風が頷くと、冬麻が和室の隅に置いてあるおもちゃ箱の中をガサゴソと探り、「これと~、これも~」と、注射器やメスなどを畳の上に出していく。


「何してんだ?」

 風麻と秋麻が和室を覗くと、「あ、お兄ちゃんたちも、おいしゃさんごっこしよう!」と、兄二人を誘った。


「緑依風ちゃんはかんじゃさん」

「うん」

「秋麻兄ちゃんはかんごしさん」

「おう……」

「お兄ちゃんはおいしゃさん」

「あれ?冬麻は……?」

 緑依風が首を傾げると、「ぼくはカントク」と、言った。


「か、監督……?」

「最近の冬麻、自分が考えたシナリオを他の人に演じさせるのが好きなんだよ」

 風麻が説明すると、「はい!じゃあお兄ちゃんこれつけて!」と、冬麻が風麻に聴診器を渡す。


「……で、緑依風ちゃんはふくをめくって」

「えっ!?」

「はい、お兄ちゃんはこれで緑依風ちゃんのおむね、もしもししてね!」

「はぁっ!?」


 きっと冬麻は、いつも自分が風邪を引いて病院に行った時にしていることを、みんなに再現してもらうだけのつもりだろう。


 だが、緑依風は今、パジャマの下に何も着けていないし、風麻も遊びといえど、緑依風の胸元をおもちゃ越しに触れるなんてできない。


『(どうしよう……)』


 まだ幼い冬麻に疑問を持たせず、諦めてもらう説明が思いつかない緑依風と風麻は、気まずそうに顔を見合わせたまま固まってしまう


「ほら、さつえいがはじまっちゃうよ!」

 冬麻はおもちゃのカチンコ取り出し、じれったそうに腕を組み、二人が何故困惑しているのか理解している秋麻は、畳の上で笑い転がっている。


「――お医者さんごっこは、また今度ね」

 そう言って、風麻から聴診器を取り上げたのは伊織だった。


「え~っ……」

 冬麻が不満そうに口を尖らせると、伊織は「ほら、プチモンのゼリーあげるから」と言って、彼をリビングへと誘導させた。


「そっ、そうだ冬麻!兄ちゃん最近プチモンのアニメ観てないな~!い、一緒に観ようか!なっ?緑依風!」

「そ、そうだね!私も新しいプチモン知らないし、教えて欲しいなぁ~!」

 二人にそう言われると、冬麻の気持ちはすっかりプチモンへと移動したようで、「いいよ~!」と、録画したDVDを取り出した。


「あ~あ、見たかったなぁ~……兄ちゃんと緑依風ちゃんのお医者さんプレイ」

 秋麻がつまらなさそうにため息をつくと、「プレイとか言うな……。ごっこだろ、ごっこ遊び」と、風麻が彼の頬を手で挟み、ムギュッとさせた。


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